今夜、どこで寝る

旅と踊りと酒

一人の時間がないと気が狂う

朝ですね。おはようございます。
いろいろやってたら寝付けなくなってしまいました。
もう1月も終わりか〜〜〜

 

日々心がけているのですが、私は一人きりの時間を特に大切にしています。
1日の中に1回でも完全に一人きりの時間がないと気が狂います。
ところで「気」ってなんなんでしょう。
私はそれをMPと呼びます。
人と会ったり、話したり、物を書いたり、踊ったり、人ごみに行く時にMPをたくさん消費します。

1日に使えるMPが100とすると、
電車移動片道 10MP
人と会う20〜50MP
物を書く 50〜80MP
踊る 50MP
人ごみに行く 90MP
という感じで、1日に使えるMPの量は限られています。


物を書く+踊る は1日の間にできます。
電車移動+人ごみ+物を書く はできません。
人と会う+物を書く は内容と会う人によってはできます。
人ごみに行く+踊る はできません。(踊るが手抜きでよければできます)

通常MPは寝たら回復するのですが、季節やお天気や体調(HP)によってMPの回復速度が早まったり遅くなったりします。
夏は回復速度が速く、それぞれの活動による消費MPも普段より少なくなります。
冬は回復速度が遅く、消費MPが増えます。よって、一人きりでどこかにこもり、回復行動をする必要があります。

お家で、一人きりで、静寂の中、本を読んだり映画を見たり頭の中に詰まった考えを文章に直したりするとMPが回復します。
物を書くことと踊ることは時にMP回復の手段にもなりえます。

ではMPを回復できないまま日常を送るとどうなるでしょう。
めぐるべき「気」が巡らなくなり、考えはまとまりをなくし、胸が苦しくなり、何をやってもイライラして、悪い想像ばかりするようになります。
それに気がついた時は速やかに一人の時間を確保し、美しいものを見たりバカバカしいものを見て笑ったり、深呼吸してストレッチするようにしています。

 

以前、人と何ヶ月か同じ部屋で暮らしていた時は、発狂寸前でありました。
シェアハウスとかはいいんですよ。自分の部屋があるからね。
でもその時は1LDKに転がり込まれていたので、一人の時間が自分の思う通りにならないわけです。
仕事で疲れて帰ってきても、誰かいる。
仕事で気を遣いまくってボロボロのヨレヨレになって、いますぐ一人になって回復行動をしたい時に、人がいる。
それがもう耐えられなくて、昼間、携帯の電源を切ってカーテンを閉め切って寝たりしてました。
きっと今後、同棲とかする機会があったとしても、絶対に絶対に2LDK以上の部屋じゃないと無理だなーと思う。


人が部屋にいると、まとまった文章を一切書けなくなります。
集中ができない。
相手がこっちのことを完全に無視して一切構わないでいてくれたら、そういう姿勢を示してくれていたら、できるかもしれないけど、やっぱりひとりきりの時より効率は下がってしまう。
人がいても、カフェとか他人だらけだったら問題ないんだけど(それでもあんまり騒がしいのは嫌だ)
できたら寝るのも別々がいい。(これは相手によるかな。)
週末だけは一緒に寝るとかして、平日はそれぞれの生活を尊重しあって暮らしたい。
すげえ狭量で冷たいのかもしれませんが、自分の中の揺るぎないペースと、何かを生み出すための集中力、MPの回復のためには、絶対に絶対にひとりきりの時間が必要不可欠。
ないと死んでしまう。

昨年、しばらく付き合った人と大もめの末に終焉を迎え、恋愛はもーしばらくお腹いっぱいだーとなっている。
けれど、それもこれも、自分の中で譲れない条件、みたいなのをはっきり掘り下げていなかったせいかもしれないな、と思った。


相手は四六時中一緒にいたくて、何もかも共有して、同じ感覚でいてほしい、友達にもガンガン紹介したいし紹介してほしい、みたいな人だった。


残念ながら私は真逆だったと思う。
四六時中一緒にいたらどんなに好きでも嫌気がさしてくるし、何もかも共有するなんてつまらないと思ってしまう。
隠し事をしたいとかじゃなくて、もちろん日常のこととかたくさん話すし気持ちを隠したりはしないけど、いちいちその日何やったかとか話すのは別にいいや、って感じ。
それに会うのも毎日じゃなくて、平日はお互いの生活をしっかりこなして、週末まとまった時間をゆっくり一緒に過ごしたい。
他人同士が全く同じ感覚になることは難しいし、だからこそ分かり合えた時の喜びが大きいのだと思っている。


友達に紹介するのはおいおいでいいし、そんなに無理に紹介してくれなくてもいい、タイミングが合った時でいい。お互いの友人を無理につながなくてもいい。
相手は大切なものを見せびらかしたいタイプで、私は大切なものは大事にしまって自分だけで楽しみたいタイプだったのだと思う。
付き合ってることをSNSとかで大っぴらにしたり、人に言いまくったりするのが苦手です。
本当に大切な人たちだけに、お付き合いが始まった時にお伝えする。
二人の関係が落ち着いてきてから紹介したい。
たぶん、私が秘密主義すぎるのだと思う。
大切であればあるほど、人目にさらしたり見せびらかしたりしたくない。自分だけの秘密の恋人でいてほしい。独占欲なのかもしれない。
二人だけの世界に浸りたいのです。

電話を毎日するとか面倒だし、メールでよし。
電話したまま寝るとか狂気の沙汰で絶対に嫌だ…とか思ってしまう。
電話をしたまま寝るとか、電話をつなげたまま作業するとかが好きな人だったなあ。人の気配があると、寂しくなくて落ち着くらしい。
私は、人の気配があると、気が狂いそうになって全く落ち着かなくてすごいストレスなんですわ。
電話するより週末会うんだからその時でよくない?と思ってしまう。

こういう風に思う私のことを冷たい、と感じる人とはたぶんお付き合いできないし、付き合ってしまったら私は割と相手に合わせようと頑張ってしまうので、双方苦しい。
なので今後はこのあたりの距離感、相手のライフスタイルに対してどの程度理解を示してくれるのか、こういう接し方でも嫌でないかどうか、などを要確認して付き合えたらいいなあと思う。

 

でも恋って突然崖から突き落とされるように始まるからさ、こんなこと言っててもいざ始まったら何もできないんだよね。
始まることを止められないんだよね。
苦しくて切なくて甘いね。
おわり。

おっぱいが大きかったのでポールダンサーになった話 4話が公開です

「おっぱいが大きかったので会社員を辞めてポールダンサーになった話」の4話が公開されました!

 

nihonzine.com

1〜3はこちらです。

 

nihonzine.com

 

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5話からは会社を辞めたその後になります。
ポールダンサーになったよ!めでたしめでたし。ではないのが人生でありますね。
5話を書いてるときは、当時を思い出すために昔のメールや日記を読み返し、すごく懐かしい気持ちになりました。

ぜひ読んでくださいませ。

おわり。

自分のことを誰も知らない場所へ行きたい

言ってしまえば現実になる気がするので書きますが、今年の夏、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を800km、徒歩で走破します。
そのあと、「地の果て」と呼ばれる場所までさらに90km歩いて行って、着てる服を燃やす。

 

スペイン巡礼のことを知ったのは、数年前にバルセロナに旅行に行った時だった。
日本人宿に泊まり、毎日お茶を飲んだりその辺を散歩したりしてダラダラ過ごしていた。
ある日、みんなで夕食を作って食べる会に誘われ、料理を作って宿の居間へ集まった。7〜8人くらいはいただろうか。乾杯をしたあと、順番に自己紹介と、なぜバルセロナに来たのかを話すことになった。
わざわざバルセロナまで来て日本人宿に泊まるくらいなので、変わった人が多かったように思う。
休学して世界一周している大学生、弾き語りをしながら旅をしている人、スペイン料理の修業をしに来たシェフ……。20代から30代が多い中、一人だけ、50はとうに超えていると見えるおじさんが、自己紹介を始めた。


「20年連れ添った妻を亡くしました」と彼が言った瞬間、それまであった「旅人同士の妙なテンション」は消え、部屋は静まり返った。そしてそれぞれが真摯な気持ちで彼に向き直った。とても大事な話が始まることを誰もが確信していた。


おじさんの名前は佐橋さんという。
佐橋さんの奥さんは、ある夏の日の朝、突然倒れて、三日間意識不明になり、そのまま亡くなったそうだ。何の予兆もなかった。
やりきれない気持ちで数年を過ごし、眠れない日々を重ねる中で、佐橋さんは奥さんのある言葉を思い出した。それは、いつかスペインの巡礼路を一緒に歩きましょう、と言っていたこと。奥さんはキリスト教徒だったそうだ。
そして佐橋さんは仕事を辞め、一人スペインへ旅立った。
フランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーから始まる「フランス人の道」を800km歩き、キリスト教徒の聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」へ。
英語もスペイン語もままならず、ピレネー山脈を超える厳しい道のりを、佐橋さんは歩き切った。ただ奥さんの言葉を胸に。
そして、日本へ帰る前に、ここバルセロナへ立ち寄った。

佐橋さんが話し終わる頃には涙を流している人もいた。愛する人を突然失い、その人の遺志を継いで800kmもの距離を歩いた人を前にすると、誰一人として言葉が出てこない。しかし気まずい雰囲気ではなく、皆が佐橋さんの気持ちに心から共感していた。

旅から帰って何年経っても、ずっと佐橋さんのスペイン巡礼の話が心に残っていた。しかし、自分で歩こうとは夢にも思っていなかった。
実は今年の3月に約1か月バルセロナに滞在するのだけれど、その下調べと思ってスペインのことを検索していた時、スペイン巡礼をした人のブログを見つけてしまったのだ。そう、見つけてしまった。そして、面白そうだなと思ってしまった。
そのあと、スペイン巡礼に関する本やブログを片っ端から読みあさり、スペイン巡礼を題材にしている映画も見た。

 

カミーノ! 女ひとりスペイン巡礼、900キロ徒歩の旅 (幻冬舎文庫)

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星の旅人たち [DVD]

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私の心はもう巡礼路を歩き始めている。
寝ても覚めてもスペイン巡礼のことばかり考えている。恋かもしれない。マメを作らないために足の裏に塗る用のヴァセリンをどれだけ持っていくか、どんな靴を履こうか、リュックは今持っている登山用のでいいかな、とか。3月のバルセロナの支度は何もしていないのに、夏の巡礼の準備だけは着々と進んでいる。

 

私は自分のことを、本当におもしろくない人間だと思ってる。話がつまらないし、面白いことを言えるのは仕事中だけで、それ以外の時はクソまじめなことか極端に振り切れた下ネタしか話せない。面白い話ができなくてすいません、といつも思ってる。
そんなクソまじめな自分が好きだけど、自分から自分へ下される評価と、他人から自分への評価が全く違うことも理解している。なので自分が良いと思っても、他人が良いと思わないことは百も承知だ。
時々、ではなく、ほぼ毎日、どこか遠くへ行きたいと思う。自分のことを誰も知らず、誰も私になんて興味を持たず、何もかもがこれから始まる場所へ行きたい。
私のことを何も知らない人と、少しずつ話をして、友達になってみたい。毎日20kmも30kmも歩くのがどんなに辛いか、まだ想像もつかないけれど、自分のペースでのんびり歩いてみたい。
どんなに涼しい顔をして歩いていても、誰もが心の中に、軽々しくは話せない事情を秘めているのかもしれない。佐橋さんのように。
何かを失ったり、無くしたり、新しく始めようともがく人々が向かう場所が、サンティアゴ・デ・コンポステーラなのだ。

 

2011年〜2017年、私は何度も失ったし、無くしたし、大切なものを自分からぶち壊してきた。突然失うのが怖かったから、かけがえのないものを自分からゴミ溜めに捨ててきた。
もしかしたらもっとずっと一緒に過ごせたかもしれない人を、めちゃめちゃに傷つけ、突き放し、何もなかったように振る舞った。
そうすることで自分の心を守ってきた。
もう、そういうの、やめたい。
大切な人に大切だと言える人になりたいし、何もかもを突然放り投げてしまうことをやめなければいけない。長いことかけて大事に大事に作ったお庭をある日突然踏みちらかして壊すようなことは、終わりにしたい。というか、もしかしたら私は、壊すためにその庭を作っていたのかもしれない。
そんなことは無駄だし、意味がないし、みんな辛い。

800km歩いて、何かが変わるとか、世界一周したから人生が変わるとか、そういうことではないと思う。
人の、変えたいという意思が、変える。
ただそれは日常生活の中ではなかなか強固にならない。
旅は非日常で、魔法です。人の思考を現実にし、何かを引き寄せ、いらないものといるものをより分けることができる。
旅は魔法だと思う人に、その魔法はかかると思う。
手始めに寝袋を買うところからはじめましょう。
おわり。

自分の生き方は、自分で決める/ 「夫のちんぽが入らない」感想

「夫のちんぽが入らない/こだま」読み終わりました。

 

夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

 

 

こだまさんのブログを読んでいて、入院している時の日記とか面白いなーと思ってツイッターでも追いかけていた。
なので、この本もブログの内容に近いものなのかな、と思っていたら、全然違った。

ざっくりあらすじを説明する。
ど田舎で生まれ育ち、大学進学で一人暮らしをすることになったこだまさんが、ボロボロのアパートで知り合った同じ大学の男性と恋に落ちる。付き合うことになってセックスに至るけど、なぜか入らない。「行き止まりになってる」と言われる。
それでも交際は続き、結婚し、やっぱり入らないままで二人の生活はちょっとずつおかしくなっていく。夫は風俗に通い、こだまさんは不倫をし、不倫相手とは普通にセックスが出来る。夫とはできないのに、他の人となら出来る。


「そもそも、ちんぽの入らない私が悪いのだ。血まみれ、オイルまみれになって痛がり、気分をぶち壊してしまう私がいけない。風俗へ行くことを許さなければいけない。」

なんだかうまく言えないけど、思うままに書いてみましょうね。
この現代日本に女として生まれ育つと、ごく自然に自分には課せられた役割があるように思い込んでしまう。
それは男性と付き合い、セックスをし、子供を産み育てること。
与えられた役割をこなすことこそが崇高であり当たり前で普通で、誰もがすること。
そして、それをしない人、できない人は「おかしい」「異常」「ヤバい女」であるということ。

私も、思ってました。

男の人と付き合って、セックスして、子供産まなきゃヤベーって。
女なのに女の子を好きなんてありえないし、早く彼氏作ってその人とセックスしてどうこうならなきゃいけないなーと漠然と考えていた。
けれど、思えば私も「ちんぽが入らない」側の人間だった。
高校生の時に付き合った彼氏とは2年間前戯だけで、挿入することのないまま関係を終えてしまった。なんで彼はいれなかったのか。
童貞だったとはいえ、いれること自体はそんなに難しくはないはずだ。私も処女だったから、されるがままだった。
最初の半年くらいは入らないことも微笑ましい悩みだったけど、そこを過ぎるともはや「なぜセックスができないのか」ということが重苦しくのしかかるようになった。
セックスのできない自分は、おかしい。
彼がおかしいのかもしれないけど、「入らない自分」は、もっとおかしい。
男とセックスをしなければ一人前ではないみたいな風潮がティーンエイジャーには確実にある。処女はダサい。彼氏がいないとかかっこ悪い。モテないのには何か理由があるんじゃないの?みたいな。田舎だとなおさらだ。

なので、その彼氏と別れ、しばらくして付き合った人とあっさりセックスできた時には、心底ほっとした。
ああ、これで私も一般社会に無事参加できたんだと。
もう自分が処女である事、ちんぽが入らない事に脅えて生きなくてもいいんだ。
私はその他大勢になれたんだ。
男の人に求められる「普通」の女になれたんだ。
これからは私も男の人に必要とされる。
もう「男性」を、自分を脅かす、危険な存在だと思わなくていいんだ。

そう、生まれた時から私にとって「男性」は、自分の生命や存在意義を脅かすものだったのだろう。
実父に捨てられ、義父に殴られ続けた私は、どうやって男の人と接すればいいかわからなかった。「男性」は、私を脅かす可能性が非常に高いと思って日々過ごしていた。
けれど私は、本当はどちらの父からも娘として愛されたかった。
殴られながらも、本当は、実父の事も義父の事も「お父さん」と呼びたかったし思いたかった。
思春期になり、「女」になってしまった私が、世界中のありとあらゆる男性から「娘」として愛される可能性は永遠に消え去った。女の体で、セックスのできる肉体で、そういう目でしか見られない。
だから男の人と付き合うと、全部相手に丸投げしてしまう。
女の自分も、「娘」の自分も、何もかも受け入れて愛してくれよと相手が潰れるまで要求してしまう。自分も相手も、相当にしんどい。
でも、男の人と付き合わなきゃね。だって私は女だから。女は男と付き合ってセックスして結婚して子供を産むのが当たり前なんですよ。

その呪縛から逃れられた時、つまり初めて女の子とちゃんとセックスした時のことは忘れられない。
別に誰とセックスしてもいいんだな、と思えた時、私の世界は音を立ててきちんと回転し始めた。
男だろうが女だろうが、セックスしたいと思った相手とすればいいんだと。
「男とセックスしたいと思えない自分」が不完全な存在なんだと、自分で自分を罰するのはやめよう、と思った。


「もうセックスをしなくていい。ちんぽが入るか入らないか、こだわらなくていい。子供を産もうとしなくていい。誰とも比べなくていい。張り合わなくていい。自分の好きなように生きていい。私たちには私たちの夫婦のかたちがある。少しずつだけれど、まだ迷うこともあるけれど、長いあいだ囚われていた考えから解放されるようになった。」

 

書くのは簡単だが、何かを諦めることの何と難しいことだろう。
私は女の子を好きになってしまう自分、男の人に父親を求めてしまう自分を戒め続けて生きてきた。
でもやっぱり、好きなように生きたい。
たとえ他人に後ろ指を指されても、子供が産めなくても、結婚できなくても、人と違う生き方でも、自分が好きだと思った人とセックスしたいし暮らしたい。そういう人と家族になりたい。
ただそれだけのことなんだ。

私たちは課せられる役割を生きなければいけないのではない。
自分の人生を生きていける。
そもそも、役割なんてない。
誰かが勝手に決めた役割をこなせない自分を、責めなくていい。
自分の生き方は、自分で決める。

おわり。

おっぱいが大きかったのでポールダンサーになった連載が更新されたよ

「おっぱいが大きかったので会社員を辞めてポールダンサーになった話」
の2話と3話が更新されております。

 

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最初に書いた記事では会社を辞めた経緯を書いたんですけど、連載の方では
「そもそもなぜポールダンスなのか?」
「会社員になった理由は?」
とか何がどうしてそうなった?の部分を掘り下げて書いております。
当時のこと結構覚えてるものだなと自分の脳みそに感心しています。
ポールダンサーになったその後、まで書く予定なので皆さま良かったらこっちも読んでくれたら嬉しいです。

よろしくメカドック

書きたいことが頭からこぼれていく

今週のお題「2017年にやりたいこと」

 

2017年になっちゃいましたねー。

毎年毎年カウントダウンしたりして新年を楽しんでる気もするし、何のことはない日常のように過ごしてるような気もするし。陽はまた昇りますね。
頭の中でたくさん文章が生まれてきてもその時に書いておかないと、どこかへ泡のように消えていく。思いついたその瞬間に書いておかないと、波打ち際に書いた落書きのように一瞬でなくなる。
どんなつまんないことでもいいからちゃんと書き残しておかないとなー。
自分にとって意味のあることを書いていきたいなー。

 

昨年までは、それはそれは他人の顔色を伺って生きてきました。
よくあるタイプの機能不全家庭で育ったために、実家にいるときは気の休まる時間が本当になかった。正直なんで殴られてたのか今も分からないし、多分理由なんてないんでしょう。
しかし「理由がない」からこそ怖いんですよねー。どんな理由で殴られるか、怒鳴られるか、投げ飛ばされるかわかんないから、いつもいつでも顔色伺わなきゃいけなくなる。
よくドラマとかで、虐待を受けてる子供が、親がちょっと手を挙げた瞬間に構える演技をするけどあれ見るたびに「あーよくやってたなーあれ」と思う。そしてそれをやることでまた殴られる。繰り返し繰り返し。
くだらねートラウマだなーと思うけど、確実に根深くて、きっと一生ついてまわる。

このような家庭で育つと特殊能力が身につくんですよ。
その名も「コールドリーディング」
きっとみんな一度は聞いたことあるでしょう。
wikipediaさんからの引用によると
「外観を観察したり何気ない会話を交わしたりするだけで相手のことを言い当て、相手に「わたしはあなたよりもあなたのことをよく知っている」と信じさせる話術である。」
とのことなんだけど、もうちょっとざっくり言うと、
相手が何考えてるか、見てるだけで何となく察知する能力
のことだと思います。


最初はこの「なんとなく相手を見てるだけで何考えてるかわかる」ってことに名前があると思ってなかったんだけど、何年か前にこの記事を読んで確信に至った。

lair-onett.hatenablog.com

この記事では
・幼少期に虐待を受けている
・本をたくさん読んでいる
・多くの人と接する
・経験を分析する
ことによってコールドリーディングができるようになるとのこと。
私の経験からすると、これらの条件外にはなるけど、水商売のお姉ちゃんにもコールドリーディングができるようになる人がいる。

 

夜のお店で働いていると、どうしてもお客さんの反応を見ることが多くなる。
私の場合は、なんとなーく顔を見たり、手足の動きを見てると、
「もう帰りたいのかなー」
「私のことタイプじゃないんだなー」
「左隣に座ってる子と連絡先交換したいんだろうなー」
「こういうお店好きじゃないんだろうなー」
なんていうのがわかるので、自ずと対処が楽になる。

 

で、よくよく話を聞いてみると、カンのいい子や、経験が豊富な子、接客センスがある子は同じ能力を発揮している。
相手をよく観察し、ほんのすこし会話をしただけで、その人がなぜお店に来てどんなことを求めていて、どういう会話をしたいのか、すぐに見抜いてしまう。
そしてガンガン売れていきめちゃくちゃお金を稼いでキリのいいところで夜を辞める。潔くて美しい生き方だと思う。

これ、仕事だとすごく便利な能力なのですけど、プライベート、特に恋愛でこのスイッチが入っちゃうとすんごく辛い。
常に相手の顔色を伺い、少しでも不機嫌になられたら全力でご機嫌とりにいく。
相手がそれに慣れて、もしくは味をしめて、不機嫌を言葉ではなく態度で表すようになる。どんどん思ってることを話さなくなる。
私が察するのを待つようになる。
私は限界ギリギリまでそれを続けるが、MPを使い果たし、ジ・エンド。

 

昨年、MPを使い果たすどころか魔力の源を誤って森の深い泉に投げ込んでしまい、しばらく魔法が使えなさそうなのです。
生身の人間として、盾と剣を手に生きていくしかないので、魔力を使わなきゃいけない人間関係は去年で終わり。
今年は、森の深い泉と、美しいけど恐ろしい海に裸で潜って、素敵なものとかわけのわからない遺物とかを拾ってきて、それをスーツケースに詰めて行商にでも出るかな。売れるかな。行商したいな。
たくさん売れたら美味しいものでも食べて、生身の人間と笑って踊ろう。
おわり。

日本でポールダンスがお気軽に観れる場所六選

12/29ですね!もう2016年もあとわずかです。
思い残したことはありませんか?
ありますよね?
そう。あなたはまだ生まれてから一度も、生でポールダンスを観ていない。

観たいですよね?ポールダンス。
そう思ってました。観たいんじゃないかと。
そんなあなたのために、日本でポールダンスが観れる場所をザクザクご紹介しまーす。
もちろん関東だけじゃなく日本全国紹介するよ!

※情報は2016年12月29日現在のものです。
料金、営業時間等はお店へご確認くださいね〜

 

◉北海道
フェニックス / すすきの

s-phoenix.jp

地元出身のポールダンサーさんがガンガン踊っているお店だそうです!
来年春で2周年!私も是非一度遊びに行きたいお店です。

 

◉東北・北陸・甲信越は毎日ポールダンスが観れるお店はなさそうです。
もしあったら情報求む!コメントでもメールでもお待ちしております。

 

◉東京

・バーレスク東京 / 六本木

burlesque-roppongi.com

フェスにイベントに引っ張りだこ!
一昨年あたりから人気急上昇したショークラブ「バーレスク東京」さんです。
こちらは1時間半くらいのショータイムの間にポールダンスのショーがあります。
ショー自体のクオリティも高く、女の子のレベルもすごい!
みんな可愛いしショーは勢いがものすごく、必ず楽しめるでしょう。
人気なので予約必須。
チップを買って女の子に挟むチップ遊びができるので是非ぜひチップを挟みましょう。

 

・nest / 歌舞伎町

www.nest-shinjuku.jp

歌舞伎町のど真ん中!
どの時間帯に行ってもショータイムが見れるよう工夫されていて、女性同士でも楽しめる綺麗な大箱。ポールも3本立っていて見ごたえ抜群です。

 

・ギラギラガールズ / 歌舞伎町

giragiragirls.com

新宿を歩いている人なら一度は見たことのあるド派手な宣伝トラックが有名なギラギラガールズ。初回は飲み放題で1日のショーの回数も多いため、ふらっと入っても大丈夫。とにかく内装に圧倒されます。話のネタにもなります。

 

◉関西

ありすぎて把握しきれておりません。
京都にポールダンスのガールズバーさんがあるらしいとのこと。情報求む。

 

◉中国・四国

SAD / 香川

www.show-sad.com

高松の繁華街にあるわりと大箱。ステージが広くお席も広いのでゆったりと座ってショータイムを楽しめるとのこと。チップを買って挟むシステムだそうです。

 

◉九州

Maja / 福岡

maja-dance.com

こちらもぜひ一度遊びに行ってみたいお店。西日本のポールダンス大会で優勝したダンサーさんが在籍されています。

◉沖縄

複数あるのですが毎日営業されてるか不明なので情報求む。
クラブやショーパブなどの情報あり。


老若男女お気軽にもっとショーを!
そして全ての人が心からエンタメを楽しみ、素晴らしいものがますます発展していくことにこれからも尽力します。
おわり。

 

追伸

私のポールダンスが見たいと言ってくださる皆さま

メールやブコメ、コメントなどで、ポールダンス見たいです、どこで会えますかとお問い合わせいただいた方々、ありがとうございます。
私はこのブログで、大好きなポールダンスについていろんな人が知ってくれたらいいなと思い記事を書いています。
このブログで皆さまが少しでもポールダンスに興味を持ってくれたら本当に嬉しいです。

そして、私が皆さまに「私はどこどこで踊っています」「ここに来たら会えます」とお伝えしてしまうのは、他のダンサーに対してフェアな行為ではないと感じています。
なぜなら、通常ポールダンサーは、そのダンス、パフォーマンスでのみ自分を表現し、宣伝し、活動しているからです。
もちろんブログやインスタグラムをやっている子はいます。文章を書いている子もいます。そしてそれは、「ダンサー何某」と名乗って、パフォーマンスと密接に結びついています。
私が皆さまに所在を明かし、ここで踊るから見に来てくださいと宣伝する行為は、「おっぱいが大きいから会社員を辞めてポールダンサーになった話」を読んでいただいた大前提で、自分に対して非常に甘い採点になりうる、ズルい行為だと思っています。
ポールダンサーの私は、私のダンスだけで、その場限りのパフォーマンスだけで評価されたいのです。
だから、文章を書きたい私は、文章を書くために、このブログを開設しました。
この女めんどくせーなって思いました?私も思ってますよ。

ポールダンスには、ポールダンスにしか表現し得ないことがあります。
それを「あのブログを書いた筆者」だと思いながら鑑賞していただくのは、私にとっても皆さまにとっても、余計な情報でしかありません。
ですので今後も特にどこで踊ってるとか、どこで会えるとかそういう情報は一切公開しません。お返事もできません。

これからはこうお考えください。私はその辺に数多いるポールダンサーの、有象無象の一部、概念であり、実在するものではありません。
私は今日もどこかで踊っています。
あなたの街でも。
だから、一番近い場所へ、ぜひ足を運んでください。
あなたが最初に見たそのダンサーが私です。
ぜひぜひチップを1枚、スマートに渡してあげてくださいね。

 

追伸の追記
そんな風にブログの読者さんが見にきてくれたらどんなに楽だろうと思います。
超ホームな空気のわけでしょ。みんなが楽しみにしてくれるんでしょ。
そんなあったかい空気の場所で悠々自適に踊るより、冷え切った会場、私のことを誰も知らない超アウェイなところで踊って、自分のダンスだけでその場の人たちの目つきが変わっていくのを見る方が百万倍気持ちいいんですわ。
ぬるま湯は嫌いです。