今夜、どこで寝る

旅と踊りと酒

上手く話せないから手紙を書く

拝啓

私は話すのがすごく苦手です。
口から言葉を出して思いを伝えることがすごく下手です。
思ってることを話そうとすると、どもったりもたついたり、上手くまとまらない。
三分の一も伝わらないっていうけど、本当にそれな、と思う。
だから大事なことは文章にして手紙で渡す方が好きです。

と思っていたんだけど、それはもしかして自分の気持ちを繕いたいだけなのかな、と思うときもある。
感情のままにバーッと話してしまうと、相手を傷つけすぎたり、本当のことばかり言って相手を追い詰めてしまっていいことがない。
本当のこと、正しいことは、良いことかもしれないけど、そればかりをぶつけたら誰だって辛い。
正しいことばかり押し付けて、こっちは気持ちよくなれるかもしれないけど、相手はそうじゃない。
誰にでも弱さや辛い部分があり、脆い部分をかばいながら生きている。
感情的になるとそういうところを鋭く刺すようなことばかり言ってしまう。
言った方がいいこともある、けれどただ自分が優位に立ちたいだけのために「正しさ」を武器にして攻撃することは、なんか違う気がする。
だからその正しさと優しさの絶妙なバランスが難しくて、人と上手く話せない。
「愚痴を言いたいだけ」の人にアドバイスをしてはいけないし、「ノロけたいだけ」の人に真剣な忠告をするべきではない。


多分本当の意味でアドバイスが欲しい人なんてどこにもいないんじゃないかな。
だって本当はみんな、自分で全部わかってるんだから。
それをわからないフリしてる方が楽だから、そうしているだけで、見えないようにしてるだけだと思う。
でもそれをずっと続けてると本当に分からなくなってしまうんだよねー。
分からないフリをずっと続けていると、「本当に自分が感じていること」が何なのか、わかんなくなってしまう。
だからわかんないフリなんてしないで、自分の感じたことをそのままやったほうがいい。
Don't think, FEELですね。

相変わらず上手く話せないし、忘れられないことばかりだけど、何とかやっているよ。
あなたは元気にしているんだろうか。
好き、と嫌い、くらいは口に出して上手に言えるようになりたいです。
おわり。

泥沼の真ん中でシャワーを浴びて

女同士で付き合っていったい何になるんでしょうね?
何にもならなくたっていいじゃないですか。
愛し合ってるならそれが何より素晴らしいことでしょ?

 

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同性同士で付き合うことは「子供もできないし結婚もできない」から意味がなくて、異性の結婚・子供を作ることには意味がある、
なんてことはない。どっちも意味があるしどっちも意味なんてない。
意味があるから何なんだよっつー話ですよしゃらくせえ。
そしたら人生なんでもかんでも意味のあることばっかりなのかよ?
昨日までに食べたお米粒の数にも意味があるんですか?
今日の下着の色にも?
今私がここで生きてることも?

今私がここにいることに意味なんかないし、あるとしたらそれは自分で決める。
誰にも決めさせないし誰にも奪わせないし自分の中に大切に持つ。
自分の生きてる意味を世間さまの基準でしか決められないんだったら、それこそが「意味ない」よ。

私はこの世に私が生まれてきた意味があるとしたら、それは生を謳歌するためで五感をフル活用するためで、人を愛したり愛されたり大泣きしたりバカみたいに笑ったりするためだと思ってるよ。
誰かが勝手に決めた意味だの価値観だのに振り回されてる暇は私の人生には1秒もない。

いろんな人が勝手なことを言ったり押し付けたりしてくる時、どんなに一人になってゆっくり考えても、気持ちが押しつぶされそうになる時があった。
そういうのって「泥沼の中でシャワーを浴び続けてる」ようなものだなと思った。
人の価値観という泥沼に腰まで浸かってたら、どれだけ自分の気持ちに正直になろうとしてもあっという間にまた泥だらけになる。
そうなる前に、自分を泥沼に引きずり込むような人や泥沼そのものから離れる方がいい。
困ったことに泥沼の住人は、自分以外の人がシャワーを浴びて泥を落とすことが許せない。
みんながみんな、そんな地獄の入り口みたいなところから出てそれぞれの場所で楽しく暮らせたらいちばんいいんだけどな〜。
自分で自分を責めたり暗い穴に突き落とすのはやめる。

人の幸せだったり価値観を貶めたがる人・いわゆる「マウンティング」をしたがる人って自分の価値観だったり幸せに自信が持てないのかな。と最近思いました。
何言っても不安にさせたがったり、未来がないような物言いをしてくる人。
昔はそういう人に会うとすごく悲しくなってしばらく人に会いたくない…って思ってたけど、今は、そういう人こそ「自分」を見つけられるといいね、って心の中で思っている。
この人の自分、どこに行っちゃったのかな?って。

まとめ・人が人を慈しむ気持ちは何よりも美しいですよ。
おわり。

あなたとコーヒーが飲みたい

東日本大震災から6年が経ちました。
このニュースを読んで思ったこと、まとまるかどうかわからないけど書いてみます。

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仙台市に住んでいた同級生は、子どもと、妊娠中だった奥さんが津波に流され、家族の中で自分だけ生き残った。そいつは胸まで海につかって長い棒を使って自分の子どもを捜し出し、口の中が泥だらけなのを洗ってあげて。奥さんは2週間後に2キロくらい離れたところで発見された。その後、同級生は仮設住宅で1人でがんばっていたんですけど、やっぱり耐えられなかったんでしょうね。奥さんを火葬した日の1年後に、「子どもに会いに行ってくる」という遺書を残して自殺しました。

 そいつの気持ちがわかるんです。俺でも、たぶんそうするかもしれない。同級生のことは別にニュースになっていることでもないんですけど、被災地では、そういうことがいっぱいあるんだろうと思います。

 

 こういう話を読んでしまうと本当にたまらなく辛い。
全てが鮮明に蘇ってくる気さえする。

あの日私は東京にいたし津波被害に遭っていない、友人知人、家族に至るまで幸いにも無事だった。
私自身も怪我もせず、今日まで生きている。

それでも、被害という被害を受けていなくても、ただただあの惨状が辛かった。
信じられない気持ちばかりだった。何もできない自分が苦しかった。
無力さと、無念さと、歯痒さでいっぱいだった。
直接的に被災した人、被災しなかった人(と便宜上は書くけれど、あの時日本にいた、もしくは日本国外にいた日本人全てが被災したと言っていいと思う)、それぞれの苦しさや辛さがあったと思う。

死んだ人と会うことはできない、というのは言葉にすると簡単だけれど実感することはなかなか難しい。しかし、ついさっきうたた寝をしていてそれを実感することができた。


短い夢を見た。
私は祖母と一緒に、死んだ父の墓を探しに、父の故郷の山の中を歩き回っていた。蝉が鳴いていて首筋にじっとり汗をかいている。
祖母は鉈を持って藪の中をどんどん進んでいき、時折姿が見えなくなる。老人にしては足が速すぎる。元気が有り余っていて困るくらいだ。
私は父と父方の祖父母に絶縁されているため、告別式にすらこっそり出席したし、墓の場所なんて知る由もなかった。なので、父の実家の近所の寺や神社を訪ね歩き、おおよそのあたりをつけてその山の中を探そう、ということになったのだった。


母には言いづらかったので、そういう時は物分かりの良い祖母の方がいいだろうと思いついてきてもらった。
小一時間も山の中を歩いていると、それらしき墓がちらほら見受けられるようになった。おそらく親類縁者の土地にまとめて墓を建てているのだろう。
しかし、まとめてとはいうものの、山の中で土地が有り余っているために、墓と墓が絶妙に距離を取っていて一つ一つ調べるのはかなり骨が折れた。しかも、親類なのでみんな同じ苗字。ちゃんと近づいてみないと誰の墓かわからない。
父は若くして亡くなったので祖父母が健在で、さらに離婚していて独身なので新しく父だけが入る墓を建てることになる、という話を聞いていた。なので、真新しい墓石があればそれが怪しいだろうと祖母と二人で話していた。


水筒に入れてきた冷たい麦茶を飲み干し、手で額の汗をぬぐいながら歩いていると、ようやくそれらしき墓石を見つけた。名前を確認する。父の墓だった。
萎びかけていたが花も供えられていた。供物を置き、吸ってたかわかんないけど煙草に火をつけて線香入れに置いた。私は煙草を吸わないので、口にくわえて火をつけるのが下手だ。煙にむせて涙ぐんでしまった。
何分間かそこで手を合わせた。長ズボンを履いてきたのに何箇所も蚊に刺されている。山の蚊は強いしものすごく腫れるので本当に嫌だ。
山を降りて、車を停めた場所まで歩いていると、一台の車がこちらに向かってゆっくりと走ってくるのが見えた。それを見た祖母が突然ものすごい勢いで反対方向へ走り出し、角を曲がって身を潜めたので急いで着いて行った。
「何なの?!急に走ったりして。」と言うと祖母は「あれはあんたの父親の父親、つまりじい様の車だよ。見つかったらまずいと思って。」と言った。
なーんだそういうこと、びっくりさせないでよ、と軽口を叩きながら、私たちは再び車に向かった。


車に向かっている途中、急に違和感を感じた。
なぜ祖母は走っているのだろう?つまり、なぜ祖母は走れるのだろう?
去年病気をしてから、杖をついて歩くのがやっとなのに。
そうか、これは夢なんだ。と気づいて、現実と夢が混じり合っていくのを感じた。
私は夢の中でさえも父の墓を探している。夢の中でも彼はもう、死んでいる。
人生で一度しかまともに対面したことがないから、彼は私の夢の中にさえ、出てくることはないんだな。
そう思いながら目を覚ました。

墓を探したくだりは丸々全て事実なので、夢というよりは記憶を再生したにすぎない。
あれから数年、父は死んだまま、私は彼女と別れ、祖母は病気になって歩くこともままならなくなった。何もかもが変わり、時が進んでいく。死んだ父にはまだ会えていない。

今私はバルセロナにいる。午前中、ポールダンスのレッスンを受けに行った。
バルセロナに知り合いは一人もいないため、一人で受けに行ったレッスンだったけど、先生も生徒もとても親切にしてくれてすぐに打ち解けた。
レッスンが終わり、特に声をかけてくれたキューバ人の男の子と話していたら、お茶をしに行こうと言われた。もう一人ロシア人の女の子もクラスに残っていたので、その子も誘って近くのバルでコーヒーを飲んだ。
ポールダンスという共通点があるので、話がはずむ。同じ苦労や喜びを味わっているもの同士、世界中どこに行っても「ポールダンサーあるある」が通じるなあ、などと思いながら楽しい時間を過ごした。
一杯のコーヒーを飲み終わるまでの短い時間だったけれど、私たちはまた次のレッスンも一緒に受けよう、次は終わった後飲みに行こう、と約束をしそれぞれ帰路に着いた。

 

ポールダンスのレッスンを受けて、コーヒーを飲み、家に帰り、うたた寝をし、短い夢を見て今日という1日が平穏無事に終わっていく。
あの日からもう6年が経ち、私は私のやりたいことをやるために、人生を喜びで溢れさせるべく生を謳歌している。
楽しいことばかりです、と言いたいところだけれど、一番の後悔は父が死ぬまえに和解できなかったことだ。


時を戻せるのなら、父とコーヒーを飲みに行きたい。
初めてまともにあった日、19歳のあの日も私は大人ぶってデニーズでコーヒーを注文した。そのあと、なんでも頼んでいいよ、と言われてパフェも頼んだ。
19歳の私はコーヒーはおろかカフェラテすら普段飲むことはなく、その時のコーヒーはただ苦くて酸っぱい黒い汁だった。美味しいなんて全然思えなかった。
父はお代わりもしていたから、少なくともコーヒーを飲める人なんだろう。
そんなことすら私は知らない。


あれからもう10年近く経って、私はコーヒーが飲めるようになった。
ブラックでは飲まないけれど、カフェラテは好きだ。バルセロナのコーヒーはどこも美味しい。
ここに来てくれないかなあ、美味しいコーヒーがいつでも飲めるのに。
その辺の適当なバルかカフェに座って、3月のバルセロナの太陽を浴びながら、父とコーヒーを飲んでどうでもいい話がしたい。仲直りがしたい。もう一度会いたい。墓なんか探しに行きたくない。
クソ野郎、こんなに早く死にやがって、と焼香台の前で散々悪態もついてやったけど、聞こえてすらいないんだと思うと腹立たしい。

 

いつの日か私が死んで、もしその行き先に父がいてもう一度会えることがあるのなら、一発殴ってそのあと一緒にコーヒーを飲む。
そしてこれまでの文句と、恨みと、愚痴とワガママと愛を一緒くたにして伝えたい。
おわり。

 

追伸
異国にいると、日本のニュースも見ないし、今日が311だということを共有できる人がいなくて結構寂しいものです。
外に出てみたら愛が深まるとよく言うけれど、今日は本当にとてもセンチメンタルな気持ちです。
存外自分の国のこと大好きだったんだなって気付きました。

自分のご機嫌は自分で取る

他人にご機嫌を取ってもらうのは赤ちゃんまででやめよう、という話。

 

19歳で実家を出るまで私は他人のご機嫌をとることを第一に生きていた。
そうしないと生命の危険があり、日常生活がままならなくなるからだ。
そして実家を出て、誰の顔色も伺わなくていい生活に羽を伸ばしていた。
のもつかの間、今度は恋人の顔色を伺うようになってしまった。
彼ら・彼女らが不機嫌になった時、私は全力でその機嫌の回復に努めてしまう。
イライラしてる人が隣にいるとそのイライラが伝わってきて怖いし、不快だし、ご機嫌でいてほしいからだ。
そしてそれを継続していると彼らは、「なぜ不機嫌であるか」を言語化することを放棄するようになる。
「なんで不機嫌かはてめーが察せよ」というフェーズに入ったらもう手遅れである。
急に口が退化したの?と思うほど、機嫌の悪くなった彼・彼女らは黙り込んだり意味のない言葉をわめくだけになってしまう。

今思えばそれは彼・彼女らの「お気持ち表明」の機会を奪っていたにすぎないし、そうさせてしまった一端は明らかに私にある。
そして私はそもそも「思ってることを口で言わない・言えない」タイプの人を選んで付き合ってしまっていた。無意識的に。
彼・彼女らにしてみたら、付き合う前から俊敏に気持ちを察し、その気持ちに沿った言動をする私のような存在は魅力的なのではないかと思う。
顔色を伺わせたい人と顔色を伺いたい人が付き合うお似合いのカップルの誕生。
その先には地獄が待っている。

 

その地獄にはもう二度と立ち入りたくないので、そもそも顔色を伺わせたいタイプの人と付き合わない・もしその傾向が見られても、お互いの機嫌はお互いで取りましょうという合意を得てから人間関係を築きたい。

自分のご機嫌は自分で取れる。
ただしそれは、自分が何が嫌いで何が好きか、何が心地よくて何が不快か、徹底的に自分を見つめて深掘りして知っていないと難しい。
つまり、自分のご機嫌が自分で取れないタイプの人は、自分が何を好きで何が嫌いかよくわかっていない。
だから自分の気持ちを言語化するのが下手になる。
なぜ自分の気持ちをわからないまま放置しているのかというと、
自分のことを知るのが怖い・しんどい・目を向けることが辛い・重苦しい・面倒・などのどれかに当てはまると思う。

 

そりゃー自分のことを深掘りするのってクソめんどくさいですよ。
しんどいです。
「自分探し(笑)」とか言ってバカにされちゃうような世の中だし、昔のことや自分の欠点を改めて思い返すの超つらいし、夢でうなされる。
しかし、しかしですよ。そんな辛さを何度かみしめても余りある位素晴らしいことがその先には待っている。
自分が何を好きで何を嫌いか把握し、自分のご機嫌を自分で取れるようになることは確実にQOLをぶちあげる。
自分が何でイライラしてるかもわからないままイライラし続ける人生の100万倍良い。

 

そして自分のご機嫌を自分で取る、というのは実はすごく簡単なことで、
「嫌なこと・辛いことをやらない」
「好きなこと・快適なことをする」
この二つの地道な積み重ねを日々行うだけ。
ただし前述の通り自分が何を好きで何を嫌いかわかっていないと難しい。
嫌なことを無理やりやってたら気分が荒んでいくし、好きなことを知らなかったら回復もままならない。
好きだとおもってやっていたことが実はしんどいこともあるし、その逆も然りでやってみないとわからない。
日々トライアンドエラーである。

 

自分探しをバカにするようなやつとは付き合わないし、何が悪いんだよって話ですよ。
一回でも本気で自分探したことあんのかよ?みたいな。
インドでもヒマラヤでもNYでも行けばいいと思うんだよ。
行ったことない場所ならどこでもいい、刺激の中に身を置いて、何が快不快なのかを五感を全開にして浴びてこい。
さすれば道は開かれる…多分…みたいな。

 

私は道が開かれるのを待つより、道をこじ開けるか自分で道を作る方が好きです。
おわり。

幸せとは自分が何が嫌いで何が好きかわかっていること

 

id:usgtaiwan さんが記事に言及してくれたよー!わーいわーい。嬉しいな。

 

usgtaiwan.hatenablog.jp

 

なので今日は

「幸せとは自分が何が嫌いで何が好きかわかっていること」
について書きたいと思います。

 

私にはその昔、自分の気持ちを自分の口で言えないタイプの彼女がおりました。
正直私が察しすぎたせいもあると思うんだけれど、不機嫌であることを言葉じゃなくて態度で表すんですね。
そうするとね、自分でもなんで不機嫌なのかわかんなくなっちゃうんですよ。
それと同時に、不機嫌でいることが慢性化していく。
何が原因で不機嫌なのか自分でもわからないから、イライラを解消する具体的な方法もわからない。
結果ず〜っとイライラしていて、さらには恋人が自分と同じようには不機嫌でない・イライラしていないことにイチャモンをつけてくるようになる。
「私は不機嫌なのになんでお前は平気なんだ!」とは口に出さないけど、私は結構常にごきげんで居られる、自分で自分の機嫌をとることが後天的に得意になったタイプなので、彼女はそれが気に入らないんですね。
そうすると人のごきげんな状態に水を差すような言動をしたり、不安にさせるようなことをしたり、何も言わずに部屋を出ていったり、とにかく何か波風立てるような行動をするようになります。

もし彼女が、何が自分を不機嫌にしているか自分で理解できたら、この状態は解消していたと思う。
けれど彼女は自分軸で物事を考えず、他人軸で動いてしまいそれでめちゃめちゃに疲れ果てているタイプの人だったので、私と付き合っている間にはついぞそれは叶わなかった。
「他人の物差しで生きているとめちゃめちゃ疲れます」というのは彼女を見て思いついた言葉です。

彼女の口癖は「あなたを幸せにしてあげたい」でした。
それすなわち、私のことを幸せじゃない人、自分といても幸せではない状態、だと思ってたんだと思う。
それはつまるところ、彼女自身も幸せじゃないですって宣言されてるようなものだった。
そう言われるたび私は「私はあなたといることですでに幸せだよ」と返していたんだけど、それにも何か納得がいかない様子だった。
自分の力で、私を幸せな状態にすることこそが彼女の目標だったからだ。

果たして、他人を幸せにすることを人生の目標にする人って、その人がたとえ一人で生きていたとしても幸せだと言えますかね?


他人のことに精魂尽くして他人のことを毎日考えて、その見返りのように自分のごきげんをとることを強要してくる人は、十中八九「自分が何が嫌いで何が好きか」わかっていないように感じます。


だって、それ、自分の人生を生きてないから。

他人のことばっか見ていて、自分を見てないから。
自分の気持ちを無視してるから。
自分が他人にどう思われるかしか、考えていないから。
自分の気持ちいいこと、楽しいこと、嬉しいことを追求するより、他人から評価されたり求められたりすることを優先してるから。
自分が嫌いだと思っても他人から好かれたり求められるためなら、無理やりにでも合わせてしまうから。
自分よりも他人を大事にして、自分をないがしろにしてるから。
本当なら自分にするべきことを、他人にして、評価されたり求められる方が気持ちいいと勘違いしているから。
それってPDFファイルを一度プリントアウトしてそれをデジカメで撮影してPCに取り込んでからメールで送る、くらい無意味なことですよ。
(twitterで見た面白ツイートより引用であります)

 

 

もう他人に好かれようと思って他人のこと考えて生きていくのみんなやめようよ〜〜〜
いっせーのーせ、でやめよう。はい、いっせーのーせ!!!
はい、今この記事を読んだ人は、他人のことを考えて自分を蔑ろにするフェーズを終了いたしました。

 

ここより先は自分の嬉しい・楽しい・大好き!を追求する次元に移行します。

 

どんなことをすると楽しいですか?
どんな匂いが好き?
どんな色の花を玄関に飾りたい?
どういう風に褒められると嬉しい?それはどうして?
それをすると心の底から楽しくなって笑顔が止まらなくなるのはどんなこと?
今一番会いたい人は?大好きな人はいる?
大好物は何?
一人で思わず口ずさんでしまう歌は?

それと同時にこれをすると悲しくなることもしっかり把握しておこう。

嫌いな人がいたら会わなくていいし合わせる必要なんかない。
行きたくない場所には行かない。どうしても行くならできるだけ早く帰って楽しいことをする。
やりたくない仕事なら可及的速やかに辞めるか自分の考え方を変える。
いやだな、と思ってやり続けてることがあるならなんでそれをしているのか今一度考えて、意味がないことに気づき、すぐおしまいにする。

 

鎖に繋がれた奴隷じゃあるまいし、私たちは現代社会を生きている。
ご飯を食べて屋根のあるところで眠る幸せを日々かみしめている。
なんでも選びとれるし、選んだ結果が今である。
今は変えられないけど、この先は自分の選んだもの次第なんだって思ったら、人生のカスタマイズが楽しくなるよ。
自分で選び取った素敵なものだけで、生きていこ〜。

おわり。

ニホンジンドットコムさんでの連載が更新されたよ

もう2月。早いですね〜
ニホンジンドットコムさんで連載になった「おっぱいが大きかったので会社員を辞めてポールダンサーになった話」の5話と6話が更新されておりま〜す。

 

nihonzine.com

 

nihonzine.com

1〜4話も引き続きよろしくメカドックです。

 

一応全8話の予定なのであと2話ですね。書いたな〜!!
こんなに長く続く文章を書くのは初めてです。
細かく分けて書いたら意外と書けるものですね。たのしい。
読んでもらえたらうれしーです。

この連載とは別に、現在している世界一周のことを国別にまとめて書き上げてnoteででも売っ払おうかな〜と思ってます。
あこがれの中島らも様のお言葉を借りると、売文稼業ですね。
明日をも知れぬ感じがしてとても素敵です。
cakesで連載するようなキラキラブロガーになりたいものです。
予想外にがっつり時間ができたので今週はたくさん文章書くぞ〜。

おわり。