今夜、どこで寝る

旅と踊りと酒

3/16(金)17:00〜23:00 スナックまなつ@池袋 イベントバーエデン

みなさんこんにちわ。
いろいろありまして「スナックまなつ」やります。

お酒が飲めない人も飲める人もお気軽にどうぞ〜

 

日時

3/16(金)17:00〜23:00

場所 東京都豊島区千早2-18-4 富有マンション1F

www65.atwiki.jp

料金

チャージ1000円ワンドリンク付き
以降1杯500円(アルコール・ノンアル共通)
一応シャンパンとか抜きものも数量限定でご用意予定。5000円〜
あと日本酒も出す(予定)こちらも1杯500円。

備考
・食べ物の持ち込みOKです。差し入れ歓迎である。

・酒は飲んでも飲まれるな。

・チーママが来ます。

・みんな仲良く。

・一応この日に「おっぱいが大きかったので会社員を辞めてポールダンサーになった話」がkindleで出版される予定なので、買ってくれた人には何かサービスあります。考え中。

※追記 絶賛延びているので来てくれた方にささやかなものあげます(数量限定)

・店内撮影はご自分の手元のみOK。人は写さない。

・お席のご予約できます。遅い時間は応相談。メールかtwitterで話しかけてください。

 

以上、よろしくメカドック。
おわり。

 

3/17(土)11:30新宿 女子だけでストリップを見る会

どうもこんにちわ。
皆さまはストリップ見たことありますか?

ないなら見ましょう。なぜなら良い。すごく良い。

 

新宿ニューアート

 

ストリップの良いところ

・踊り子さんが可愛い。マジで。アイドル並み
・踊り子さんの肉体美がすごい。背筋みて。
・踊り子さんの対応が神。ツーショでポラロイドを撮れるのですが超良い。
・なんと観覧している人々も神。女子客にも暖かい対応。安心して観れます。
・なぜか女子は3000円で観覧可。1人20分×5人の踊り子さんのショーが1日中見放題で3000円。
・何より踊り子さんのショーが尊い。美しい。泣ける。最高。

こんな文字列を見ても何の感慨も湧かないと思いますので、どうか騙されたと思ってストリップを見ましょう。

 

参加するためには
・成人していること
・性自認が女性(性自認が女性で戸籍が男性でも参加OKですけどその場合多分男性料金になります、箱側の判断で)
・入場料3000円を持ってくる
・ポラロイドでツーショットを撮りたい人は1回500円〜1000円なのでその分も忘れずに。売り上げは踊り子さんの応援になります。
・11:30にここに集合する

私と知り合いじゃなくても全然構いません。
席取りをしますので可能であれば dokodeneru@gmail.comか、私のツイッター

まなつ (@dokodeneru) | Twitter に連絡ください。当日でもOKです。

 

以上、質問があればお気軽に〜。
美しいものを見て良い気分になりましょう。
おわり。

2/19 雑記 こだまさんと爪切男さんのトークイベント「全員病気」に行った

寒いなりに頑張って活動しています。
フライングタイガーに行ったらもうイースターのうさぎとか卵のグッズ売ってて季節感じました。春はすぐそこ。

・こだまさんと爪切男さんのトークイベント「全員病気」に行った

2/17(土)阿佐ヶ谷ロフトAで行われたお二人のトークイベントに参加しました。
チケットは発売開始10分で売り切れたという超人気イベント、会場は満席。
整理番号が早かったので、会場前の方に運良く陣取ったら、なんと最前列真ん中の席が空いているのを発見。
あまりにも出演者の目の前の席だったせいか、なんとなく誰も座らない雰囲気だったので遠慮なく行きました。最前列へ。
お二人のトークは大変面白く、こだまさんはなぜか般若面に白装束でドリンクめちゃめちゃ飲みづらそうだし、爪さんがこだまさんにドリンク飲ませようとする絵面も最高でした。とってもカオス。
会場では id:hase0831 さんともうっかり会えたし最高だった。
私のために書かれたのかなって感じのサイン本があったので購入しました。

 

・ふるさと納税女子会

イベントの後は友人宅で女子会。
参加者の一人がふるさと納税でゲットした蟹・いくら・エビなどを貪りました。
その他コンビニで買いこまれた乾きもの・おでん・缶チューハイなどどこを映しても全くインスタ映えしない絵面でよかった。
床で雑魚寝して起きたら、朝食にうなぎのちまきが出てきた。美味しかった。良い朝。

・告知などがあります。
3/17(土)昼 女子だけでストリップを観に行く会
3/17(土)17時〜23時スナックまなつ
と告知しなければいけないことがありますので次の記事で詳細を書きます。

2/5雑記 Fire TV Stickすごい時間泥棒

 

Fire TV Stick (New モデル)

Fire TV Stick (New モデル)

 

パートナーと暮らし始めて、彼女がテレビをそれほど見ない人だったので家にテレビがなかった。私もテレビ番組はあんまり見ない。 けれど、どうしてもモンハンの新作をプレイしたかったのでテレビを買った。ついでにFire TV Stickも購入。
今まではAmazon プライムビデオやらNetflixといった動画配信サービスはPCかiPadで見ていたんだけど、やっぱり画面が小さい。一人で見る分には構わないけど、二人で映画を見たいなあというときには不満があった。
なのでFire TV Stickがこれから超絶活躍しそうな予感。テレビの画面で動画配信サービスをつかえるとか超最高。早速クロスアンジュを見返したりして気づけば数時間…。
これからは億劫になってた映画鑑賞や映像コンテンツも手軽に楽しめる。いちいち借りに行ったりDVDを入れたり返したりって手間がないのは最高だな〜

 

・2月のイメージが変わった

前は2月って寒くて暗くて最悪だなって思っていたけど、今年の2月はそんなに悪くない。楽しくなりそう。冬だからいつもより眠いし寒いのはイヤだけど、悪い気はしない。楽しい予感がする。


ハミング

この曲の気分。

 

欠けていることは最強の武器/「ここは、おしまいの地」感想

爪切男さんの「死にたい夜にかぎって」とこだまさんの「ここは、おしまいの地」が同日に発売されてしまい、迷った末に爪さんの本を先にカフェで読んだ。そして明くる日の今日、いつもモーニングを食べに来る喫茶店でこだまさんの本を読み終わった。

 

ここは、おしまいの地

ここは、おしまいの地

 

 

この順番で、この場所で読むのが正しかったんだと思った。
この喫茶店は、平日こそ空いているが土曜の午前中はそれなりに混む。休日に家族や友人と連れ立ってモーニングを食べに来る人がいるからなのだけれど、そのほとんどは老人だ。こだまさんがブログで綴っていた、クセの強い老人たちを思い起こさせる。ハガさんが特にいい。トイレに行かずに部屋の簡易便器で日に何度も大便をする老女。奇しくも私がいつも座る席は、トイレがとても近い。

こだまさんは以前よりブログを読んでいて、深刻な状況のはずなのに軽快な文章を書く人だな、という印象だった。淡々と展開していく作風がツボにはまる。
前作「夫のちんぽが入らない」は、ブログの文体はそのままに、読む人に様々な気持ちを思い起こさせる素晴らしい作品だ。重苦しく辛い場面もあるけれど、それすらもすっと胸に入ってくる。思わず感想文も書いた。

www.dokodeneru.com

「ここは、おしまいの地」で特に好きなのは、こだまさんが何度も「書くこと」について言及しているところ。

声に出して心のうちを明かすことが苦手な私にとって、書くことだけが放出する手段だった。

この一文や、「何もないことをさらけ出していけばいい」というあとがきに、深く共感した。「欠けていることが私の装備だと気がついた」というところでは、あなたは私か?と思った。クソみたいでも、次々不幸が降りかかっても、ネタになることが多い人生ならば、捨てたもんじゃないと私も思っていたからだ。

 

二十代前半の時、都立家政に住んでいる占い師の家を訪ねた。大層当たるがきつめの物言いだから、心していくようにと紹介者に言われていた。水商売をして物書き志望、文章を書く仕事をするアテもまだなかった。この暗闇から抜け出せるなら多少毒舌でも構わない、ほんの少しでも道を照らしてほしいと思った。
占い師のおばちゃんはとてもメイクが濃く、手首に蝶のタトゥーを入れていて、超高速で紙に何かを書き始めた。御筆先というスタイルだそうで、その人に必要な文章や単語が勝手に書かれていくらしい。


「あんたはまだまだ長い文章を書きなれていない、とにかく書きまくれ、あんたの人生に起きたことはすべてネタだと思え。なんでもやれ。やったことを書け。会った人のことを書け。すべて後に書くネタにつながると思って日々を過ごせ。」


要約するとおばちゃんはこのようなことを言った。今、おばちゃんの言ったことを思い出しながら書いてみたが、全くもって当たっている。長い文章を書きなれていなかったし、私の人生に起きたことはすべてネタだった。そして、それを書き続けたことでどうにかこの世に芽吹き始めている。春は近い。花も咲くだろう。降った雨が地面に染み込みやがて地下を通って海に戻り、また雲にあって雨となる。
しょうもない出来事があったらひとしきりおちこんだ後ブログに書く。


すべてはつながっている。
クソみたいな家庭に生まれたことも、失恋しては旅行しまくったことも、何を間違ったポールダンサーになったこと、会社を辞めたこと、レズであること。
すべてがネタである。


私は自分を恥じて生きてきた。今でこそ誇れることも多いが、まっとうな人生ではないと思っていた。レールを外れ、人が当たり前にできていることができない。組織に馴染めず、自分一人で動けるようなことしか上手く行えない。恋人をめちゃめちゃに傷つけたり、自分が些細なことで傷つきまくったり、それを癒すために数ヶ月も海外に逃げてしまう。逃げることでしか自分を守れない。
大事なものは失うのが怖いから自分からぐちゃぐちゃにぶっ壊す。
精神が破綻しているとしか思えない。


それもこれも変な幼少時代を送ったせいだ。私のせいじゃない。私のせい。自分のせい。自分がいけない。恥ずかしい。
そんな風に自分を罰していたのに、文章を書き続けたことで、そしてそれがたくさんの人に届いて暖かい言葉をもらえたおかげで救われた。救われてしまった。
こんな人生も悪くないなと思えた。なんでもネタになる。書きたいことがたくさんある。訴えられない程度にやっていきたい。

成功したら、それはそれで幸せ。
転落しても、その体験を書けばいい。
そう思えるようになってから、ずいぶん生きやすくなった。

あとがきでこだまさんはこう書いている。真理だ。物書きの真理。息を吸って吐くように、まばたきや排泄をするように文章を書いてしまう人種の真理。書いて、書いて、もう書くことがないかもしれないと思ってもまだまだ、先は長い。過去は遠い。引き出しの奥に引っかかったぐちゃぐちゃの記憶を丁寧に引き伸ばして、読んでもらえる形にする。

こだまさんがきっとこれからも書くことをやめず、呼吸と同じくらいのペースでこれまでの人生を綴ってくれるだろうことがとてつもなく嬉しい。死ぬまで書き続けて欲しい。肩を並べるのはおこがましいけれど、同じ真理を知るものとして、ずっとこだまさんの文章を読んでいたい。

おわり。

振り返ることを許せる女の優しさ/「死にたい夜にかぎって」感想

爪切男さんの「死にたい夜にかぎって」とこだまさんの「ここは、おしまいの地」を書店で予約して購入した。Amazonの方が早く来るかもしれないと思いつつも、近くの書店に「この本はめちゃ面白いんですよ、需要があるんですよ、絶対に入荷したほうがいいですよ」と知らしめたく、十数年ぶりに書店で本を予約した。最近では電子書籍ばかり購入し、雑誌を物色するくらいしか用のなかった書店が、大好きな人たちの活躍をほんの少しでも後押しすることのできるボーナスステージのように思えた。

 

書店に併設されたカフェでコーヒーを頼み、「ここは、おしまいの地」と「死にたい夜に限って」を二冊机の上に並べた。さて、一体どっちから読んだものか。どちらも事前に試し読みをしていて、めちゃめちゃに面白いのはわかっている。選べない。目を瞑ってトランプのようにシャッフルし、上にあった方を読もうか。両手で本を持ちいざシャッフルせんとしたその時、店内に流れているBGMに気がついた。
Here we are face to face
With the memories that can't be erased
私たちは今、向かい合っている、消すことのできない思い出と一緒に。
Before you walk out of my life、直訳すると「あなたが私の人生から出て行ってしまう前に」というタイトルのその曲を私は何度も聞いたことがあった。数年前に付き合った人と別れた時に。
読む本は決まったな、と思った。

 

 

死にたい夜にかぎって

死にたい夜にかぎって

 

 

 

「死にたい夜に限って」の本文は筆者と「アスカ」の別れ話から始まる。6年間の同棲、私の筆力ではあらすじなど到底記せないので省略するが、とにかく筆者は突然別れを告げられる。余震の続く中、揺れるアパート、別れを決意した女の強さ。いや、それは優しさなのかもしれない。優しさなのだと思う。
作中に好きなエピソードはありすぎて、特に車椅子の女性との初体験、アサリを飼う話、アスカがダイエットのために踊る話など、こうして書き連ねているだけで泣いたり笑ったりしてしまいそうなくらい良いのだけれど、何より良いなと思ったのは作中を通して描かれるアスカのあっけらかんとした態度だ。実際にはむちゃくちゃ大変だったんだろうけど。それをおかしみや情を感じさせる文章に落とし込める爪さんのあまりの筆力に筆を折りそうになった。折らない。折らないぞ。
あとがきで爪さんはアスカに、プライベートな内容もあるこの本を出してもいいかと言い、アスカはそれを承諾する。あっさりと。胸の内にはいろいろあるのかもしれないけれど、さっぱりと。


6年という時間を共に過ごした相手が人生を振り返り、自分との関係も含めた柔らかい部分を惜しげもなく書き連ねた文章を世に放つと言われた時、そうやすやすと承諾できるだろうか?
私は承諾してもらえなかった側だ。訴えると言われた。というか、アスカが奇特なのであり、承諾してもらえることの方が珍しいのではないかと思う。
過去に付き合った人とのエピソードを書いた。もちろん、誰かわかるような情報は一切載せていないし、悪口も書いていないつもりだ。私にはそのつもりでも、相手にとってはとんでもない罵倒であったのかもしれない。意見の不一致。方向性の違いで解散した相手なので仕方ないけれど、アスカの優しさを見習えと言いたい。だが言えない。言う度胸もないヘタレだから。面と向き合う勇気がないまま別れてしまったから。この本を家に送りつけてやりたい。だけど送れない。送る資格が私にはない。十回は読んでほしい。しかしそんな義務は相手にはない。物書きと付き合ったのが運の尽き、腹が立つなら訴えるのではなく、同じ筆の力で殴ってほしいと一瞬思ったけれどそれはとんでもない思い上がりだ。セックスの時の変な癖とかを公開されても仕方あるまい。なぜならそのように言われたり書かれてしまうのは、私が全く相手に優しくなかったからなので。自分の行った結果でしかない。愛していたけど、優しくできなかった。それが事実です。


アスカの優しさは、爪さんがアスカに与えてきた愛そのものなのだと思う。優しくしたから、優しくされる。優しい気持ち。首を絞められたり浮気をしたり、浮気されたり、散々なことが目立つけれど、それをお互い許したり甘えたりして過ごした期間の末、この素晴らしい本はこの世に爆誕した。最高の時間の無駄遣い。
最後にアスカが爪さんに送った手紙の文面を、心底羨ましく思った。短く簡潔で、突き刺さる。アスカも文章書けそうだな。こんな手紙をもらったら、泣きながら全て許してしまうし、辛くてもちゃんと次に向かっていくための気力をもらえる気がする。陳腐なことばかり書いてしまうけど、最高のラブレターとその返事を読ませていただいた気分。

私は残念ながら振り返ることを許してもらうどころか、そもそも許可をもらいに行ってすらいない。会いに行って話したら、許してくれただろうか?私は、優しくなかったと思うし、それがただ返ってきただけなのだと思う。優しさは優しさを、愛は愛を生む。
人生から出て行ってしまった相手だからこそ書けることもあるのだと思う。別れた後しか書けない手紙がこの世にはある。
今後も懲りずにそういうラブレターを、今まで付き合った相手に向けて書いていこうと思えた。
優しい気持ちで生きていきたい。
おわり。

世間の想像の範囲外に行くと生きるのが超ラク

人は自分の想像の範囲内にあるものだったら批判したりこきおろしたり好き勝手言えるけど、宇宙の外の更に向こうについては何も語れない。
だから世間の想像の範囲外に行ってしまうと、生きるのが超ラクなのである。

 

私はぱっと見ごく普通の見た目をしている。髪を派手な色に染めたりピアスがたくさん空いてるわけでもタトゥーを入れまくってるわけでもない。だから、見た目から何をしているか想像できないと思われる。
そんな見てくれなのでその辺で知らんおばちゃんとかに話しかけられることが多々あり、5分ありきたりな話をする。
いい天気ですね、明日は寒いかな、今週末はどうでしょうね。
しかし5分以上話すことはできるだけ避けている。
なぜなら時間が経てば経つほど相手はプライベートなことを私に聞き、だんだんと(自分の)様子がおかしくなってしまうからだ。
お仕事は、恋人は、ご家族は、と聞かれた時に全て嘘をつくべきか、正直に答えようかとても迷う。
ポールダンスをしていて、女性のパートナーがいます、一家離散寸前で、実の父は2年前に酒の飲み過ぎで突然死しました。
驚かれたりただうなづかれたり反応は様々だけど、いわゆる一般的なめんどくさい質問が一切飛んでこなくなるのは正直に答えることの利点だなあと思う。

女、アラサー、という属性がついただけで「結婚」「子供」「(場合によっては)家の購入」「将来の見通し」などを当たり前のように聞いてくる人との距離感がわからない。
結婚は日本の法律上まだできない、子供は奇跡が起きない限り愛する人との間には望めない、家買いたいとか思わない、将来なんてどうなってるか全くわからない。
全てを明かした上で一つ一つ丁寧に答えようかと思うときもあるけれど、全てを明かした時点で大概なんにも聞かれなくなる。
その人の中にある「女、アラサーとはかくあるべき」みたいな型にハメられなくなるので非常にラクである。許された感すらある。
何でもやっていい人だと思われたい。何をしていても私らしいと思ってもらいたい。

世間の想像の範囲外で生きてきて、おそらくこれからもそうだろう私には「こうあるべき」「こうなるだろう」というようなロールモデルがない。逆にあるなら聞いてみたい。
そういうものがなくてよかったな〜と心の底から思う。自分で好き勝手にやっていける。女だから、○歳だから、家族がいるから、とかいろんな理由で何かを強いてくる人がいないのは最高。
あまりにもそういった目安がなさすぎて20代前半は戸惑いしかなかったけれど、今となっては途方も無いくらいでかい白い紙に好き放題なんでも書いていいよ、と言われているようで清々しい。
右上にポエムを書いて左下にコラージュ作品を作り、真ん中には一番良く撮れている自撮りを貼って、全体的にラメパウダーでも振りたい。


好きなことをやり散らかして、壮大な作品を作り上げてから死にたい。
自分満足度ナンバーワンの人生を送る。
その副産物で他の人が喜んでくれたら、それはしらすに小さな蟹が入っているみたいに嬉しい。
おわり。