今夜、どこで寝る

旅と踊りと酒

アメリカから帰ったらリア充の父親が死んでた話

2015年9月某日、成田空港から鈍行で東京方面に戻っていた私は母親から「帰国したらなる早で電話したいことがある」とのLINEに、日暮里で下車し、電話をかけた。
母親は申し訳なさそうに、「あんたの父親死んだらしいんだけど、告別式行く?」と言った。思わず駅のホームで「えー!死んだって。死んだってマジ?えなんで?」と結構大きな声で叫んでしまった。心底びっくりした。
とりあえず告別式には行くと伝え電話を切り、その場にへたり込んでしまった。死んだって。嘘でしょ。死んだの。あいつ死んだの。
そしたら、もう二度と、仲直りできないじゃん。もう二度と、会えもしない。手が震え、口が渇き、人目も憚らず嗚咽した。5分、その場で呆然とした後、私はまた電車に乗った。

 

アメリカはとても楽しかった。ラスベガスで年に1回行われるポールダンサーの祭典「POLE EXPO」に参加し、世界チャンピオンから直接教えてもらえるレッスンを受けたり、ポールダンスの世界大会を見たり。夜はシルクドゥソレイユのZumanityを見て、ストリップをはしごして、友人たちとホテルのプールサイドではしゃいだ。
ラスベガスの後は一人でセドナまで足を伸ばした。昨今はパワースポットとして有名になった彼の地でトレッキングを楽しんだ。山登りって最高だな、岩に登るのも面白いな!と毎日どこかしらのトレイルを歩いた。からっからの空気、セドナの澄んだ青空が今でも目に浮かぶ。
そんな風にして2週間めちゃくちゃアメリカをエンジョイして帰ってきたら、仲たがいしたままの血縁上の父親が、死んでいた。もう火葬も済んだ後だった。運良く日取りの関係で、告別式だけ出席できそうな日程だった。

 

18の時に初めて父親に会った。夜の21時頃デニーズで。なんでも頼んでいいよ、と言われてなぜかパフェを頼んで食べたがパフェの味なんて全然わからなかった。父子でお茶といえばパフェだ!となぜか思っていた。
私は高校を卒業した直後で、1年後に留学したいので少しばかり留学費用を出してくれないかと連絡して会うことになったのだった。父親は出せることは出せるけど、本当に少ししか出せない、と言った。
その後出す出さないの金額でモメて、私は父親と電話で大げんかをした。あれはそもそも喧嘩だったのだろうか。思い返すだけで虚しくなるし、今でも後悔している。最後の言葉は覚えてないけど、電話を切られて全てが終わった。その後結局最初に言われた金額を払うから、二度と近づかないでくれ、という条件で彼と私の関係は終焉した。

 

40も半ばで亡くなった彼の告別式にはたくさんの彼の同級生が詰めかけていた。私はその中にそっとまぎれ込み、受付で香典を渡してできるだけ素早く会場内に身を潜めた。
「二度と近づかないでくれ」という言葉のリミットが今も続いているのだとしたら、この場にいるだけでも危うい。というか血縁上の祖父母にもおそらく疎まれているので、そもそも告別式に参加できるかもわからなかったのだ。追い出されるかもしれない、それも覚悟の上だった。幸いにも父の同級生の何人かが知り合いだったので、彼らの近くに座らせてもらって、それでも私はビクビクしていた。
参列者が大体着席し終わると、前方にスクリーンが降りてきて「故人の思い出ムービー」みたいなのが流され始めた。最近の告別式ってこんなことすんの?!と普通にびっくりした。司会の人が、一枚一枚映し出される写真に合わせて解説をしていく。
「故人○○さんはたくさんのご友人と甥、姪に囲まれとても充実した日々を送っていました。毎年夏は全国から同級生を集めてのバーベキューとキャンプ。火を起こすのは○○さんの得意技。今年の夏は甥、姪とカヌーで川下りもしました。ウィンタースポーツにも堪能でスノーボードの腕前はプロ級…」


この辺まで聞いて私の頭の中から厳かムードが消えていくのを感じた。
リア充!なんだこの!絵に描いたような!リア充野郎は!!!
こんな人だったなんて聞いてない!
その後同級生の送辞があった。よく日に焼けたイケメンが泣きながら父を悼み、早すぎる死を惜しみ、言葉に詰まって嗚咽を漏らした。来年もキャンプするって言ったじゃねえか。俺テント新しくしたのに…。と。彼の言葉で少しだけ笑いが起きて、そしてまた静まり返った。
父は、愛されていた。めちゃくちゃたくさんの人に愛されまくっていた。毎年キャンプをする友人もいた。スノボもやってた。こんなにたくさんの人が父が死んだのが悲しくて悲しくて葬式に詰めかけまくっていた。
私はそれまで父が許せなかった。憎かった。クソやろうだと思っていた。私も愛されたかったし愛したかった。でもそれは叶わず彼は死んだ。そして、もう許せる気がした。今から彼のことを父だと思って愛して許してもいいのかもしれないと思った。


「こんなに早く死ぬなんて聞いてねーぞクソおやじ」と焼香台でつぶやいてみたが、骨になった彼にはもう聞こえない。
肉体がある時は諦めていたのに、こうして彼が死んだ今、私は何かから解放された気がした、もう憎まなくていいし許していいし、本当は私も父を愛したかった、娘として愛されたかったと認めていいんだと思った。もうこれ以上苦しまなくてもいいんだとなぜかホッとした。
精進落としに参加せずさっさと帰ろうとするところを、送辞を読んだイケメンに呼び止められ、「来てくれてありがとうな」と言われた。イケメンはまた泣いた。私は泣かなかった。会釈をして、外で待っている母の車に乗り込んだ。

 

人生は思ったよりも短い、と強く思うようになったのはこれがきっかけかもしれない。私は現世ではもう二度と父に会えない。死は予告なしでやってくる。
月並みの言葉だけど、死んだ後ではもう遅い。
かといって父が90とかまで生きてても仲直りできたのかな?とも思うし、これで良かったのだと思ってる。
私は父と母から生まれた。それだけで十分な気もした。

ここ数年は近しい人が亡くなることが多く、気落ちすることもあった。
でも気付いたのは自分自身もいつ死ぬかなんてわかんないんだなーということ。
明日隕石が落ちてくるかもしれないし、道にトラックが突っ込んでくるかもしれないし、余命3か月かもしれないし、なんでもいいけどいつ死んでも悔いのないように私は生きている。
時々父の告別式を懐かしむ。あんなに愛されて、父は幸せだったんだな。
心の底から羨ましく思った。
自分の葬式は派手に楽しく、みんなの思い出に残るようなやつをやりたいな。
おわり。