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自分の生き方は、自分で決める/ 「夫のちんぽが入らない」感想

人生 恋愛 読書感想文

「夫のちんぽが入らない/こだま」読み終わりました。

 

夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

 

 

こだまさんのブログを読んでいて、入院している時の日記とか面白いなーと思ってツイッターでも追いかけていた。
なので、この本もブログの内容に近いものなのかな、と思っていたら、全然違った。

ざっくりあらすじを説明する。
ど田舎で生まれ育ち、大学進学で一人暮らしをすることになったこだまさんが、ボロボロのアパートで知り合った同じ大学の男性と恋に落ちる。付き合うことになってセックスに至るけど、なぜか入らない。「行き止まりになってる」と言われる。
それでも交際は続き、結婚し、やっぱり入らないままで二人の生活はちょっとずつおかしくなっていく。夫は風俗に通い、こだまさんは不倫をし、不倫相手とは普通にセックスが出来る。夫とはできないのに、他の人となら出来る。


「そもそも、ちんぽの入らない私が悪いのだ。血まみれ、オイルまみれになって痛がり、気分をぶち壊してしまう私がいけない。風俗へ行くことを許さなければいけない。」

なんだかうまく言えないけど、思うままに書いてみましょうね。
この現代日本に女として生まれ育つと、ごく自然に自分には課せられた役割があるように思い込んでしまう。
それは男性と付き合い、セックスをし、子供を産み育てること。
与えられた役割をこなすことこそが崇高であり当たり前で普通で、誰もがすること。
そして、それをしない人、できない人は「おかしい」「異常」「ヤバい女」であるということ。

私も、思ってました。

男の人と付き合って、セックスして、子供産まなきゃヤベーって。
女なのに女の子を好きなんてありえないし、早く彼氏作ってその人とセックスしてどうこうならなきゃいけないなーと漠然と考えていた。
けれど、思えば私も「ちんぽが入らない」側の人間だった。
高校生の時に付き合った彼氏とは2年間前戯だけで、挿入することのないまま関係を終えてしまった。なんで彼はいれなかったのか。
童貞だったとはいえ、いれること自体はそんなに難しくはないはずだ。私も処女だったから、されるがままだった。
最初の半年くらいは入らないことも微笑ましい悩みだったけど、そこを過ぎるともはや「なぜセックスができないのか」ということが重苦しくのしかかるようになった。
セックスのできない自分は、おかしい。
彼がおかしいのかもしれないけど、「入らない自分」は、もっとおかしい。
男とセックスをしなければ一人前ではないみたいな風潮がティーンエイジャーには確実にある。処女はダサい。彼氏がいないとかかっこ悪い。モテないのには何か理由があるんじゃないの?みたいな。田舎だとなおさらだ。

なので、その彼氏と別れ、しばらくして付き合った人とあっさりセックスできた時には、心底ほっとした。
ああ、これで私も一般社会に無事参加できたんだと。
もう自分が処女である事、ちんぽが入らない事に脅えて生きなくてもいいんだ。
私はその他大勢になれたんだ。
男の人に求められる「普通」の女になれたんだ。
これからは私も男の人に必要とされる。
もう「男性」を、自分を脅かす、危険な存在だと思わなくていいんだ。

そう、生まれた時から私にとって「男性」は、自分の生命や存在意義を脅かすものだったのだろう。
実父に捨てられ、義父に殴られ続けた私は、どうやって男の人と接すればいいかわからなかった。「男性」は、私を脅かす可能性が非常に高いと思って日々過ごしていた。
けれど私は、本当はどちらの父からも娘として愛されたかった。
殴られながらも、本当は、実父の事も義父の事も「お父さん」と呼びたかったし思いたかった。
思春期になり、「女」になってしまった私が、世界中のありとあらゆる男性から「娘」として愛される可能性は永遠に消え去った。女の体で、セックスのできる肉体で、そういう目でしか見られない。
だから男の人と付き合うと、全部相手に丸投げしてしまう。
女の自分も、「娘」の自分も、何もかも受け入れて愛してくれよと相手が潰れるまで要求してしまう。自分も相手も、相当にしんどい。
でも、男の人と付き合わなきゃね。だって私は女だから。女は男と付き合ってセックスして結婚して子供を産むのが当たり前なんですよ。

その呪縛から逃れられた時、つまり初めて女の子とちゃんとセックスした時のことは忘れられない。
別に誰とセックスしてもいいんだな、と思えた時、私の世界は音を立ててきちんと回転し始めた。
男だろうが女だろうが、セックスしたいと思った相手とすればいいんだと。
「男とセックスしたいと思えない自分」が不完全な存在なんだと、自分で自分を罰するのはやめよう、と思った。


「もうセックスをしなくていい。ちんぽが入るか入らないか、こだわらなくていい。子供を産もうとしなくていい。誰とも比べなくていい。張り合わなくていい。自分の好きなように生きていい。私たちには私たちの夫婦のかたちがある。少しずつだけれど、まだ迷うこともあるけれど、長いあいだ囚われていた考えから解放されるようになった。」

 

書くのは簡単だが、何かを諦めることの何と難しいことだろう。
私は女の子を好きになってしまう自分、男の人に父親を求めてしまう自分を戒め続けて生きてきた。
でもやっぱり、好きなように生きたい。
たとえ他人に後ろ指を指されても、子供が産めなくても、結婚できなくても、人と違う生き方でも、自分が好きだと思った人とセックスしたいし暮らしたい。そういう人と家族になりたい。
ただそれだけのことなんだ。

私たちは課せられる役割を生きなければいけないのではない。
自分の人生を生きていける。
そもそも、役割なんてない。
誰かが勝手に決めた役割をこなせない自分を、責めなくていい。
自分の生き方は、自分で決める。

おわり。