今夜、どこで寝る

旅と踊りと酒

ボディ・イメージと云う概念

空気が生ぬるいタイの田舎からお送りしています。

先日、かにちゃんさんが記事を引用してくれたよ!

 

kanichan.hatenablog.jp

読んで頷きまくったよね。
自分の体を肯定する、それが世界に一つだけの良いものであると堂々とする、主体的に見せびらかす、という行為はまだまだ日本では受け入れられていないように感じます。
それには複数の要因があって、例えばメディアから「これが愛されるカラダ!」とか「こうあらなければいけない!」という強すぎるメッセージを浴びていることも一つの理由かなと思う。
もう一つは「女のからだは男に求められるものであれ」みたいな暗黙の了解というか、同調圧力というかのせいかなあというかんじ。「愛されるカラダ」に通じると思うけど。
愛されるカラダってなんだよって話ですよね。
誰かに愛される前にまず自分で自分のカラダを愛して欲しいんですよまじで。
他人に軸を置いたボディ・イメージで生きていくことほどしんどいものはないと思います。
他人の物差しで生きると死ぬほど疲れるっつーのは、そういうことも含んでいます。

 

www.washingtonpost.com

そんなことを考えていたら、タイムリーにこんな記事が上がっていました。
内容をざっくり紹介すると、

「日本では不健康なくらい細い女の子が良しとされ、誰もがダイエットに励みまくっていて、太った女の子はオシャレすることも叶わない。そんな中、ナオミ・ワタナベというコメディアンの女性はとてもポジティブなボディ・イメージを持って活動し、ファッショナブルでユニークなインスタグラムの投稿が大人気だ。」

みたいなことが書いてあります。わりかし簡単な英語だと思うので是非ちらっと見てみてください。

要は、渡辺直美は世間一般で言う「デブ」なんだけども、それを悲観したり卑下したりせず、デブだと揶揄する他人のことなんか1mmも気にせず、自身のカラダを肯定し愛してそれを最大限に生かして活動しているわけです。
彼女の持つボディ・イメージのポップでポジティブでユニークなところが、自分を「デブ」だと思っている女性に勇気と感銘を与えている。
他人にデブだのなんだの言われても、自分で自分のカラダを愛して受け入れれば、それは素晴らしいものでしかないし、他人の物差しをへし折って生きていくことが選択肢として目の前に現れるんだと思う。

おっぱいが大きいとか小さいとか、太ってるとか痩せてるとか、背が小さいとか大きいとかね、関係ないんですよ。何にも。
そりゃ関係あるかもしれないよ。それが関係あると思ってる人には関係あるんだよ。
つまるところ、あ、そんなの関係ないわ!って思っちゃったら、関係なくなるんだよ。
どんなカラダでも、魅力的だし、その魅力は他人に肯定してもらったり他人に見つけてもらうものじゃないんです。
自分で肯定して自分で見出して、自分でプロデュースしていくことで、あなたはどんどん最高に素敵でかっこいい人になっていくんです。
他人に見つけられることを待ってるだけじゃダメなんです。愛されたいとか言ってる場合じゃねえよ。

こういうのを踏まえると、総じて人々にはボディ・イメージに対するかなり重苦しい呪いがかかってるんだな〜とつくづく思う。

その呪いを解く方法は何百種類もあって、フィジカルなところだと納得いくまでワークアウトしてカラダを鍛えまくるもよし、瞑想しまくって今の自分をそのまま受け入れるもよし、変化していく自分の体をつぶさに観察するもよし、でよりどりみどりなんです。
たとえどんなシェイプになろうと、自分の体は世界で一つきりだし、死ぬまで一つだけです。
親よりも恋人よりも一生一緒にいるんだし、手を取り合って生きていこうよ。
たまには鏡にキスでもしてみるといいですよ。
おわり。