今夜、どこで寝る

旅と踊りと酒

fly me to the Mars

火星は地球よりはるかに発達した星だ。
地球でつくられたテクノロジーは火星に移住した人々の手でより高度なものに進化した。

それによって火星への移住希望者は後を絶たなくなり、今では観光さえかなり厳しく制限されている。
宝くじほどではないが、火星行のチケットは抽選でなければ買えない。
もしくはガイドツアーに高いお金を払うかだ。

地球での平凡な暮らしも楽しいが、私は宇宙への夢を諦めきれずにいた。
若いころに、火星へ移住する人々を、平面のテレビで見送った日を思い出さないことはない。
月日は流れ、高性能で衰えることのない機械の体や脳から直接ネットにつながる術を手に入れた。
快感さえ自分で操れるのだ。退屈することはないだろう。そうおもっていた。
しかし、火星への憧れは強くなり続け、私はチケットの抽選に申し込むことにした。三か月前のことだ。
抽選には数カ月を要し、当選した場合にのみ電子チケットが届く手はずになっていた。
ある朝、一週間後に地球を経つ電子チケットが当選したという知らせが届いた。
高倍率をくぐりぬけ抽選に当たったのだ。
一人分の電子チケット。往復だが復路の日付は一年後を示していた。

「一年後・・・。」
呟いてみても実感は湧かなかった。スクロールするとこのような文面があった。

「おめでとうございます。あなたは特別なチケットに当選しました。
火星で一年間生活できる権利です。衣食住も保障します。火星の生活を満喫できるレジャープログラムもご用意します。
出発前日までに可否をご連絡ください。尚、チケットの日付変更は出来ません。」

とてつもないチャンスを得たのだとわかった。
それと同時に一年も地球を離れることができるのかという不安が襲ってきた。
家族や恋人と一年も会わずに暮らせるのか。
わたしがいない一年の間に、どれくらいのことが変わり、なくなり、また新しく生まれるのだろう。
日々老いていく母。季節ごとに葉を散らす観葉植物。夏の暑い日差し。
手をつないで歩く恋人の家までの長い道のり。
すべてがまだ旅立ってもいないのに走馬灯のようになってあたまのなかをめぐる。
一歩歩きだすことは、足を踏み出す前に持っているものをすべて後ろに投げ捨ててしまうことなのだろうか。

ねえ一年だよ、一年も離れていたらどうなっちゃうの。なにもかもなくなるの。
不安なこころを打ち明けると、笑って答える。
「スーツケースにいれて連れて行ってよ。」
そうか、その手があったか。
できるだけ大きいスーツケースを買おう。暖かいように、毛布を敷きつめて。
食料も水もありったけいれよう。
幸いにも火星まではワープ通路を通るため二時間ほどで到着する。
二時間くらいならスーツケースの中でもどうにかなるだろう。
火星で楽しく暮らそう。地球にもどるころには、火星語がぺらぺらになっているよ。火星料理も作れるようになるよ。
そう悲観したものじゃない。たのしいことだけ考えていよう。
震える手と手を握り合わせて、これ以上隙間がないくらい体をくっつけた。
火星にも暖かさはあるのだろうか。このぬくもり以上の、暖かさが。