今夜、どこで寝る

旅と踊りと酒

世間の想像の範囲外に行くと生きるのが超ラク

人は自分の想像の範囲内にあるものだったら批判したりこきおろしたり好き勝手言えるけど、宇宙の外の更に向こうについては何も語れない。
だから世間の想像の範囲外に行ってしまうと、生きるのが超ラクなのである。

 

私はぱっと見ごく普通の見た目をしている。髪を派手な色に染めたりピアスがたくさん空いてるわけでもタトゥーを入れまくってるわけでもない。だから、見た目から何をしているか想像できないと思われる。
そんな見てくれなのでその辺で知らんおばちゃんとかに話しかけられることが多々あり、5分ありきたりな話をする。
いい天気ですね、明日は寒いかな、今週末はどうでしょうね。
しかし5分以上話すことはできるだけ避けている。
なぜなら時間が経てば経つほど相手はプライベートなことを私に聞き、だんだんと(自分の)様子がおかしくなってしまうからだ。
お仕事は、恋人は、ご家族は、と聞かれた時に全て嘘をつくべきか、正直に答えようかとても迷う。
ポールダンスをしていて、女性のパートナーがいます、一家離散寸前で、実の父は2年前に酒の飲み過ぎで突然死しました。
驚かれたりただうなづかれたり反応は様々だけど、いわゆる一般的なめんどくさい質問が一切飛んでこなくなるのは正直に答えることの利点だなあと思う。

女、アラサー、という属性がついただけで「結婚」「子供」「(場合によっては)家の購入」「将来の見通し」などを当たり前のように聞いてくる人との距離感がわからない。
結婚は日本の法律上まだできない、子供は奇跡が起きない限り愛する人との間には望めない、家買いたいとか思わない、将来なんてどうなってるか全くわからない。
全てを明かした上で一つ一つ丁寧に答えようかと思うときもあるけれど、全てを明かした時点で大概なんにも聞かれなくなる。
その人の中にある「女、アラサーとはかくあるべき」みたいな型にハメられなくなるので非常にラクである。許された感すらある。
何でもやっていい人だと思われたい。何をしていても私らしいと思ってもらいたい。

世間の想像の範囲外で生きてきて、おそらくこれからもそうだろう私には「こうあるべき」「こうなるだろう」というようなロールモデルがない。逆にあるなら聞いてみたい。
そういうものがなくてよかったな〜と心の底から思う。自分で好き勝手にやっていける。女だから、○歳だから、家族がいるから、とかいろんな理由で何かを強いてくる人がいないのは最高。
あまりにもそういった目安がなさすぎて20代前半は戸惑いしかなかったけれど、今となっては途方も無いくらいでかい白い紙に好き放題なんでも書いていいよ、と言われているようで清々しい。
右上にポエムを書いて左下にコラージュ作品を作り、真ん中には一番良く撮れている自撮りを貼って、全体的にラメパウダーでも振りたい。


好きなことをやり散らかして、壮大な作品を作り上げてから死にたい。
自分満足度ナンバーワンの人生を送る。
その副産物で他の人が喜んでくれたら、それはしらすに小さな蟹が入っているみたいに嬉しい。
おわり。