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振り返ることを許せる女の優しさ/「死にたい夜にかぎって」感想

爪切男さんの「死にたい夜にかぎって」とこだまさんの「ここは、おしまいの地」を書店で予約して購入した。Amazonの方が早く来るかもしれないと思いつつも、近くの書店に「この本はめちゃ面白いんですよ、需要があるんですよ、絶対に入荷したほうがいいですよ」と知らしめたく、十数年ぶりに書店で本を予約した。最近では電子書籍ばかり購入し、雑誌を物色するくらいしか用のなかった書店が、大好きな人たちの活躍をほんの少しでも後押しすることのできるボーナスステージのように思えた。

 

書店に併設されたカフェでコーヒーを頼み、「ここは、おしまいの地」と「死にたい夜に限って」を二冊机の上に並べた。さて、一体どっちから読んだものか。どちらも事前に試し読みをしていて、めちゃめちゃに面白いのはわかっている。選べない。目を瞑ってトランプのようにシャッフルし、上にあった方を読もうか。両手で本を持ちいざシャッフルせんとしたその時、店内に流れているBGMに気がついた。
Here we are face to face
With the memories that can't be erased
私たちは今、向かい合っている、消すことのできない思い出と一緒に。
Before you walk out of my life、直訳すると「あなたが私の人生から出て行ってしまう前に」というタイトルのその曲を私は何度も聞いたことがあった。数年前に付き合った人と別れた時に。
読む本は決まったな、と思った。

 

 

死にたい夜にかぎって

死にたい夜にかぎって

 

 

 

「死にたい夜に限って」の本文は筆者と「アスカ」の別れ話から始まる。6年間の同棲、私の筆力ではあらすじなど到底記せないので省略するが、とにかく筆者は突然別れを告げられる。余震の続く中、揺れるアパート、別れを決意した女の強さ。いや、それは優しさなのかもしれない。優しさなのだと思う。
作中に好きなエピソードはありすぎて、特に車椅子の女性との初体験、アサリを飼う話、アスカがダイエットのために踊る話など、こうして書き連ねているだけで泣いたり笑ったりしてしまいそうなくらい良いのだけれど、何より良いなと思ったのは作中を通して描かれるアスカのあっけらかんとした態度だ。実際にはむちゃくちゃ大変だったんだろうけど。それをおかしみや情を感じさせる文章に落とし込める爪さんのあまりの筆力に筆を折りそうになった。折らない。折らないぞ。
あとがきで爪さんはアスカに、プライベートな内容もあるこの本を出してもいいかと言い、アスカはそれを承諾する。あっさりと。胸の内にはいろいろあるのかもしれないけれど、さっぱりと。


6年という時間を共に過ごした相手が人生を振り返り、自分との関係も含めた柔らかい部分を惜しげもなく書き連ねた文章を世に放つと言われた時、そうやすやすと承諾できるだろうか?
私は承諾してもらえなかった側だ。訴えると言われた。というか、アスカが奇特なのであり、承諾してもらえることの方が珍しいのではないかと思う。
過去に付き合った人とのエピソードを書いた。もちろん、誰かわかるような情報は一切載せていないし、悪口も書いていないつもりだ。私にはそのつもりでも、相手にとってはとんでもない罵倒であったのかもしれない。意見の不一致。方向性の違いで解散した相手なので仕方ないけれど、アスカの優しさを見習えと言いたい。だが言えない。言う度胸もないヘタレだから。面と向き合う勇気がないまま別れてしまったから。この本を家に送りつけてやりたい。だけど送れない。送る資格が私にはない。十回は読んでほしい。しかしそんな義務は相手にはない。物書きと付き合ったのが運の尽き、腹が立つなら訴えるのではなく、同じ筆の力で殴ってほしいと一瞬思ったけれどそれはとんでもない思い上がりだ。セックスの時の変な癖とかを公開されても仕方あるまい。なぜならそのように言われたり書かれてしまうのは、私が全く相手に優しくなかったからなので。自分の行った結果でしかない。愛していたけど、優しくできなかった。それが事実です。


アスカの優しさは、爪さんがアスカに与えてきた愛そのものなのだと思う。優しくしたから、優しくされる。優しい気持ち。首を絞められたり浮気をしたり、浮気されたり、散々なことが目立つけれど、それをお互い許したり甘えたりして過ごした期間の末、この素晴らしい本はこの世に爆誕した。最高の時間の無駄遣い。
最後にアスカが爪さんに送った手紙の文面を、心底羨ましく思った。短く簡潔で、突き刺さる。アスカも文章書けそうだな。こんな手紙をもらったら、泣きながら全て許してしまうし、辛くてもちゃんと次に向かっていくための気力をもらえる気がする。陳腐なことばかり書いてしまうけど、最高のラブレターとその返事を読ませていただいた気分。

私は残念ながら振り返ることを許してもらうどころか、そもそも許可をもらいに行ってすらいない。会いに行って話したら、許してくれただろうか?私は、優しくなかったと思うし、それがただ返ってきただけなのだと思う。優しさは優しさを、愛は愛を生む。
人生から出て行ってしまった相手だからこそ書けることもあるのだと思う。別れた後しか書けない手紙がこの世にはある。
今後も懲りずにそういうラブレターを、今まで付き合った相手に向けて書いていこうと思えた。
優しい気持ちで生きていきたい。
おわり。