今夜、どこで寝る

旅と踊りと酒

11/26 雑記

・字書きはどの電子書籍サービスを利用すべきか

Kindleで2冊、電子書籍を出したのだがま〜〜〜〜とっても使いづらかった。私がMacとiPadを使用してデータ作成しているからかもしれないが、レイアウトの乱れやそもそもページが表示されないなど、何度も修正を繰り返す必要があり、しかもkindleでは一度ダウンロードした書籍データをリロードすることができない(?)ので、自分以外の人の端末でDLしてもらい中身を確認して…という至極無駄な作業が発生した。

あれから3年、ずっと放置していた一冊分のデータをそろそろ出すか…と思い発見したのがboothの電子書籍サービスである。

昨晩、試しに使ってみたところ、エラーが出たり操作に不慣れで時間はかかったものの、無事入稿に成功した。

紙の同人誌としても売れるし(POD)、電子書籍としても販売可能。この辺はAmazonと一緒。
Booth使ってる人も増えてきてるだろうし、もう全部boothでいいかなという気持ち。
文章を書いてZineとか同人誌とか色々作ってる人はどこのサービスを使っているんだろうか?まだまだリサーチは尽きない。

 

・私は家にいると何も書けない。だから喫茶店に行く。

という本を近々出します。短いのでもう少し付け足して出すか考え中。

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11/25 雑記

・ワーカホリックであること

年初に仕事を辞め、しばらくは自分にできることだけゆるく続けていた。初夏の頃に身内が自死し、ショックを受けたままタイへ行った。元々予定していた1ヶ月のチェンマイ生活。その後久しぶりにイギリスにも行った。たくさん遊んだ。
夏の終わりから、ポールダンスに加え、昼間のちょっとしたバイトを始めたのだが、ここで私の詰め込み癖が炸裂してしまい昼夜めちゃくちゃに働いている。
「めちゃくちゃに働き、1ヶ月くらい休む」というパターンを人生において複数回繰り返しており、割とその生活を愛しているのだが、いつまでできるかなあ。ヨーロピアンみたいな働き方。バカンスに命をかけている。チェンマイのことも書き記しておきたい、記憶がなくなる前に。

目的を持って昼夜の掛け持ちをしているのだけれど、気がつくと16連勤とかしてしまうので今日は意識してお休みをいただいた。そういう「意識して休む」日を作らないと、ある日突然猛烈な虚脱感と「なんで私ばっかりこんなにがんばっているんだ」という謎の怒りが湧き上がってきて何もしたくなくなってしまう。そうなる前に休むようにしている。
仕事がないとつまらないし、お金になるなら稼いでおきたいという気持ちと、何にもしないでぼーっとしていたいという気持ち交互にやってくる。みんなもそうですか?

 

・忙しすぎるとアウトプットがなくなる
マジで書いてみると小泉構文のような当たり前のことなのだけれど、仕事を12連勤とか8連勤とかして間の休みが1日、長くて2日とかだと、日常生活のことをサッとこなすだけで心の余裕なんて全然ないんですね。銀行いって食品の買い物して洗濯して、猫の世話をしてパートナーと少しおしゃべりして、家計簿を見直しておわり。最近なんて休みの日にオンライン英会話、鍼、歯医者のどれか(もしくは全て)を設定しているから余計に忙しい。
しかしあまりに文章を書かなすぎて、自分が嫌になってくるし、来年は文フリとかになんか出したいなと思っております。一人で作ったり売り子するのは寂しいので誰かと一緒にやりたい所存なので、もし一緒にやろうよという方いたらぜひご連絡ください。
私は締切を守る人間です。

 

・書きたいことをメモしておこう

 

久しぶりに就職した時のブラックすぎる職場環境及び経験
引越しのこと(人生で引越し20回してます)
チェンマイ滞在記
イギリス旅行記
コロナ禍に3年間学生した時のこと
昔書いた小説の手直し
移住のこと

 

・2026年はどうするんですか?

色々やろうかなと思っていることはあるんだけど、書くことを蔑ろにしたらダメだということは確かだね。
生きることに必死すぎてずっと後回しにしちゃったんだけど。
思うに私はある程度なんでもできてしまうし、どうとでも生きれてしまい、そうすると目の前のことに夢中になってスケジュールの限界ギリギリまで働いてしまう。もうわかってます。流石に理解してきました、自分のことを。
明確な目標と、具体的なスケジュールを掲げないといけない。


そろそろ動いていこうね。もう2026年だから。

おわり。

ポールダンス界の生き字引として何を残すか

私がポールダンスを始めてもう15年の月日が経過した。

もちろん私よりも長く、まだまだ現役の先輩もいれば、私より遅く始め私より早くこの世界から去っていったダンサーもいる。

 

コロナ禍を経たこともあるが、この5年くらいでかなりいろんなことが変化した。
ポールダンスを習える場所がものすごく増えたこと。
大会にポールスポーツというより運動・体操寄りのポールダンス種目ができたこと。
自分よりもずっと若い子達が活躍し始めた一方で、「ポールダンスだけ」を食い扶持にできるダンサーは圧倒的に減ったこと。
それはコロナ禍で、ポールダンサーが踊って稼げるお店が減ったことと関係している。

 

私が勝手に「第一世代」と呼んでいる、日本でポールダンスを広めた世代の方々がそろそろ引退しはじめている。
おそらく第一世代からしたら私は第二〜第三世代というところだろうか。それにしても遠いところまで来てしまった。
ポールダンスがどのように生まれ、広がり、日の目を浴びるようになったかを知らないダンサーも増えてきた。
美しく、キラキラと輝き、ポールダンスを賞賛されることが当たり前になった。
そうではなかった時代のこと、先人が切り開いてきたストリップの場や、アングラのものとして扱われていた時代が消えていく。
もちろん私は今の状況に満足している。ダンスパフォーマンスが評価され、ポールダンスを見たいというお客さんがお店に来るようになった。
ポールでお金を正当に稼げる。素晴らしいことだ。

一方で、当の私たちは、「蔑まれ、日の目を浴びずとも踊り続けてきた」先人たちをずっと忘れてはいけないとも思っている。
その土台がなければ今の私たちのステージはないのだ。
あの頃はこうだったんだよ、なんて後輩に語るのはめちゃくちゃ老害ムーブだよなあとも思うけど、知っててほしいし、忘れたらいけないことが山ほどある。

生き字引として何を残せるのか。いつまでやるのか。毎年毎年、そんなことを考えるようになりました。
おわり。

映画とタロット

割と心から今の人生、今の仕事に疲れてしまって、そろそろ今の仕事を辞めなければいけないなと思っている。

こんなのは私の人生ではない。これは望んでいない。

昨年から始めた会社員だが、入社後、割とすぐに爆裂昇進昇給してしまい、仕事量と責任が常人の5倍くらいある。

しかしこの仕事をずっと続けた〜い!と思えるほどの興味やモチベが全くなく大変つらい日々を送っている。

 

タイミングを見て辞めるつもりではいるが、では何をしようか?というところである。

文章を書くことと踊ること以外、もうしたくない。自分の能力的にできることでそんなに気力を使わないことであれば、ちょっとした仕事はしてもいいのだが、もう本当に会社員が向いていないということがはっきりと自覚できたのでそれだけは避けたい。

 

人間と関わる事に向いていないのだ。

 

それはどういうことかというと、関わること自体はできるし、仕事もできる。卒なくこなしてはいけるのだが、その後に何も残らない。気力を使い果たし、やりたいことが全くできなくなってしまう。

つまり創作活動であったり映画や本を読むこと、それらの感想を文章としてアウトプットすること、踊りを作ることといった情熱あふれるクリエイションが皆無になってしまい私は何のために生きているのか?という果てしない虚無に突き落とされている。

 

虚無。虚無でしかない。クリエイションがない私の人生なんて、いったい何だというのだ?そんなものはクリームもいちごも乗っていないショートケーキと等しい。

喜びがないのだ。

 

喜びがない人生。

刑務所に入っていた方がまだマシと言えるものだ。そこには規律があり、やるべきことがあり、一応のリズムがあるだろう。

 

しかし今の生活といったら、まるで自分で降りるタイミングを選ぶことができないジェットコースターのようなのだ。

 

リズムもクソもない。それでいて、私はただジェットコースターに乗せられているだけなのに悪口を言われ阻害される。心の底から意味がわからない。ジェットコースターに乗っていると、乗っていない人と比べて多少の利益があるのだが、乗らないことを選んだやつから疎まれいじめられる。

頼むから同じ立場になってみてくれ。リスクをとってから人を羨んでくれ。

 

私は人生において、リスクを取り続けた。なぜなら変化しないことよりも失敗する可能性、怒られる可能性をとったほうが退屈せずに済むからだ。

その結果、とりあえずなんでもやってみよ〜と思ってバスに乗るつもりが乗った先がジェットコースターだったのだが。

そんなことある?

自分で運転できると思っていた車が変形し、みたこともないコースへ自動運転で進んでいって、道路交通法も真っ青なありえない速度で走り出したことはありますか?私は今、その真っ最中です。

いい加減、このやべえアトラクションから降りなければ。


そう、きっとこれは私の人生におけるアトラクションなのだな。

正直この1年の経験をもとに2本は小説を書けそうだ。


会う人会う人に、大丈夫?疲れてるよね?と聞かれる日々。優しい人もいる。そういった人たちに優しさを返せる自分でありたい。愛を忘れたくはない。

明日の今頃あなたがどこにいるかよりも、来年の今頃わたしがどこで何をしているのかを教えてほしい。

まあ、そんなのは毎年のことなんですが。あはは。


表題における映画とタロットは、最近映画見てないな〜アウトプットどころかインプットもできてねえわという気持ちから出てきました。ネットフリックスで地面師と極悪女王は見た。タロットは久しぶりにやったら楽しかった。

もう、映画を見た感想を書くのとタロット占いするしかやりたくない。来年はそれでいいですか?それで暮らさせてください。

私をもう、自由に戻して。頼むから。


おわり。

ジャミロクワイと私と日光東照宮②

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都内から電車に揺られ、鬼怒川の宿につき渡された鍵を元に辿り着いた部屋は、地下だった。

地下?
え?地下じゃないこれ?


地下?と疑問符がついたのは、部屋に入って目に入った「あまりにも上の方にある窓」のせいだ。


普通のお部屋であれば窓は目線の高さ、その範疇にあるはずである。
しかしその窓は、手を伸ばしても届かないほどの高さにあり、外の景色は地面だった。つまりこの部屋は、完全な地下ではないが半地下というやつである。
そのことに気がつくまでにドアを開けてから30秒、こんな部屋は嫌だという気持ちになるまでそこからさらに30秒。ロビーに戻り、部屋を変えてほしいというもののあの部屋しか空いていない、嫌なら帰っていいと言われるまでに約2分。


たった3分で「この仕事は控えめにいってクソだな」という判断を下した私は、呆然と部屋に戻りベッドに腰掛けた。半地下であることは何ら変わりなく、電気をつけてもなお薄暗い気がする。

しかもこの部屋は、出る部屋だった。

もちろん、信じない人は信じなくていい。
私自身も霊感というものがはっきりあるわけではないし、姿を見たことがこの時点までなかった。
心霊スポットと言われるような場所や、なんだか薄暗い雰囲気の場所でも「気味が悪いな」と思うことはあってもはっきりと何かを感じることはなかったのである。

この部屋は確実に、いた。
とにかく、夜は電気を消して眠ることができなかった。またテレビもつけっぱなしにして、音量を1にして、どうにか眠りにつくことができるか否か。

幸運なことにこの仕事にはもう一人、占い師が派遣されており、何とその先生は隣の部屋に宿泊していた。
初日に占いブースに座り、仕事を始めるより何より先に私はお隣の先生に「あの部屋で眠れてますか?」と思わず話しかけてしまった。
するとその先生は「自分で祭壇作って、お祓いしてるわよ」とにこやかに答えた。

「お祓いしたわよ」ではなく、「お祓いしてるわよ」であることに心底寒気を覚えたが、もう兎にも角にもこの人にすがる他ない。
絶対いるんです、本当に無理なんです、お金払うんでこっちの部屋もお願いします…と地べたを穿つくらいの気持ちで頭を下げ自分の部屋もお祓いしてもらい、毎日自分でもできる清め方も教わって、なお安心して眠りにつくことはできなかった。

なので大体朝日が昇ってから眠り、昼過ぎに目覚め、お風呂に入り、夕方〜夜にかけて占いをする。食事をして、テレビをつけっぱなしにして怯えながらベッドに入って眠れない夜を過ごす。

こんな日を1週間続けた。

幸いなことに実入はまあまあ良く、温泉に毎日入っているおかげで肌はピカピカになり、夜まともに眠れていないこと以外は割と良いバイトではあった。

確実に「出る」部屋であることは最悪だが、騒がしい都内を離れ温泉に入り放題、まあまあの収入であることに味を占めた私は、さほど間を開けずに2回目の鬼怒川へ行くことにした。
師匠に色々と対策を教わり、専用の品物も持ち込んだおかげで前回よりは心理的負担が減ったため、昼も起きていられるようになった私は少し足を伸ばして日光東照宮へ遊びに行くことにした。

 

つづく。

ジャミロクワイと私と日光東照宮①

これは私が駆け出しの占い師をしていた頃の話である。

 

ポールダンスという仕事だけでは早々に食えなくなるかもしれないし、世界中を旅しながら生きていくには一つの仕事では弱いだろうと思った私は、20代前半から占いというスキルを身につけはじめていた。
先祖に山伏的な人がいたというのも一つの理由ではあるが、とにかく「道具が少なく」「ほぼ身一つで」「旅をしながらでも」できる仕事として最適ではないか。という考えのもとにせっせと勉学に励んだ。

タロット、西洋占星術、手相、数秘術、などを何人かの師匠から学ばせていただき、師匠から実践の場として紹介されたのが鬼怒川の温泉宿だった。

 

なぜ鬼怒川の温泉宿なのか。
鬼怒川といえばかつては大変に栄え、そして今では廃墟の趣さえある寂れた宿場である。そんな場所でも懸命に営業をしているお宿はあり、そう言ったお宿では夏の書き入れ時に客寄せでさまざまな催しを行なっている。

その一つが「占い師」だった。

ロビーから入って温泉への入り口につながるフロアに占いブースを2〜3配し、そこに占い師がチェックイン時間から夕食後くらいの時間まで待機する。

基本的には出来高の仕事で、交通費も自腹だが、宿代と食費はかからないのでうまくいけばまあまあ稼げる仕事だと聞いていた。

ただで温泉宿に泊まれるのもいいし、夏の鬼怒川近辺は涼しくて過ごしやすそうだ。
空いた時間は観光などもOKと聞き、私は1週間ずつ、その夏に計3回ほど日光で過ごした。

それがどれほど恐ろしくまたストレスフルであるかを知らぬが故に。

 

つづく

かたつむりやなめくじになりたかった

毎度毎度お久しぶりになってしまっております。
お元気にしていらっしゃいましたか?
私はぼちぼちです。

 

 

10代の頃はよく(紙の)ノートやブログに「両性具有になりたい」「なめくじになりたい」としきりに書いていたものです。ジェンダーロールに辟易していたんでしょうね。少しは性別違和もあったかもしれない。

自分のことが何もわからないままに生きるには、10代は世の中から受け取るものが多すぎるでしょう。私以外のすべての人が「自分とはこういう人間で、これが好きで、これが嫌いだ」ということを理解しているように見えていたよ。
でも私には何もわからなかった。私自身を、ボロボロにされていたから。

30年以上生きてやっと、やっと自分が何が好きで何が嫌いで、こういうことは無理なんですという大まかな説明書が見えてきた感じ。みんなこんなに便利なものを手に持って歩いてたの?ずるいなあという感想。
真っ暗な闇の中を、ずっと遠くに見えるちいさな光だけを頼りに生きてきたみたいな人生だったよ。

それが最近やっと懐中電灯を手に入れたり、鏡をもらったり、どこへでもいける切符をもらったような感じなんです。まだ暗い中にいる時もあるけど、青空が見えている。光が差す場所には草も生えます。鳥もいます。一人ではありません。

今は幸いなことに良い仕事にもありついて、チャンスをもらったり、「一角の人物になりたいでしょう」と唆されているけど、私がここまで来れたのは単純に「自分は何者でもない」ということを認めて受け入れたからなんだと思っている。
何者でもないよ。みんな宇宙の塵芥。
土から出て土に帰る。
期限付きのラブだから尊いよ。

何者でもない自分を、そのままでいいと思えるようになったから、もう何もいらないよ。今、結構しあわせですね。
これがなくなっちゃうのがこわいと思うくらいには。

おわり