これは私が駆け出しの占い師をしていた頃の話である。
ポールダンスという仕事だけでは早々に食えなくなるかもしれないし、世界中を旅しながら生きていくには一つの仕事では弱いだろうと思った私は、20代前半から占いというスキルを身につけはじめていた。
先祖に山伏的な人がいたというのも一つの理由ではあるが、とにかく「道具が少なく」「ほぼ身一つで」「旅をしながらでも」できる仕事として最適ではないか。という考えのもとにせっせと勉学に励んだ。
タロット、西洋占星術、手相、数秘術、などを何人かの師匠から学ばせていただき、師匠から実践の場として紹介されたのが鬼怒川の温泉宿だった。
なぜ鬼怒川の温泉宿なのか。
鬼怒川といえばかつては大変に栄え、そして今では廃墟の趣さえある寂れた宿場である。そんな場所でも懸命に営業をしているお宿はあり、そう言ったお宿では夏の書き入れ時に客寄せでさまざまな催しを行なっている。
その一つが「占い師」だった。
ロビーから入って温泉への入り口につながるフロアに占いブースを2〜3配し、そこに占い師がチェックイン時間から夕食後くらいの時間まで待機する。
基本的には出来高の仕事で、交通費も自腹だが、宿代と食費はかからないのでうまくいけばまあまあ稼げる仕事だと聞いていた。
ただで温泉宿に泊まれるのもいいし、夏の鬼怒川近辺は涼しくて過ごしやすそうだ。
空いた時間は観光などもOKと聞き、私は1週間ずつ、その夏に計3回ほど日光で過ごした。
それがどれほど恐ろしくまたストレスフルであるかを知らぬが故に。
つづく