当ブログ史上最大のバズを生んだこの記事から今年で10年。
振り返りも兼ねて、その後〜今までの私自身と私のおっぱいについて書き記す。
会社員をやめてポールダンサーになった。理由は色々あるけど、会社の中で「おっぱいちゃん」と揶揄されてるのがわかり、まあ会社員も向いてなかったしポールもやりたかった(ポールのが稼げたし)
でも、東日本大震災の後で、実は一回店が潰れた。なので会社を辞めると決めた時点では新しい仕事先は決まっていなかった。会社を辞めるか辞めないか、ギリギリのところで「新規オープンする」ポールのあるお店に滑り込むことができた。
今はもう亡きその店は上野の湯島、韓国料理店やタイパブ(タイ人女性が接客するパブ)の狭間にあった。多分2年くらい働いた頃に店が傾いてきて、色々あってお店を辞めた。そこからは歌舞伎町のショーパブに一応所属しながらも、フリーとしてイベントに出たり、イベントを主催したり、ポールを教えたりしながら今に至る。
(詳しくはこちら読んでね🩷)
私は今でもポールダンスをメインの生業としている。
大会に優勝したわけでもない、有名アーティストのバックダンサーだったわけでもない、ポールダンサーとしては凡庸な経歴の私が、ここまで生き残ってこれたのは、ひとえに時代のおかげだなと思っている。始めた時期が良かった。稼げるお店もたくさんあったし。今はだいぶ、そういったお店も減ってしまった。都心部には色々あるけど、そういうところは仕事の奪い合いだ。
ポールダンスをメインとしながら、業務委託、バイト、正社員、で他業種も色々とやった。主にリモートでWebに関係すること、小売、障害福祉、教育関連等ジャンルは多岐にわたる。働くこと自体は嫌いではない。子供を残す予定のない身だから、世の中に還元できることがあるのならしていきたい。
「私っておっぱいしか特徴ないんだ」
そう思って心の底から傷つき、もうここにはいられない、と夢の職場を後にしたあの時からずいぶん時代は変わった。いまリモートでやっている仕事は、ミーティングをしても首から上しか互いに見ることがない。そもそも余計な雑談をすることもほぼないような職場だ。体の特徴を見られるようなこともないので、それは快適と言える。
思えばあの頃は、職場に限らず、さまざまな場面において「おっぱい」のことで傷ついていた。
少し胸元が空いた服を着ていたら、道端で卑猥な言葉を投げかけられる。追いかけてこられて付き纏われることも1度や2度ではない。まったくのプライベートで知り合った人からも胸のサイズを確認され、立ち飲み屋で少し会話しただけの女性に「私おっぱい触るの大好きなの」と、急に胸を鷲掴みにされたこともある。
いま私は都会を離れ、やや外国の方が多めの海辺の街に暮らしている。
この地の鷹揚な雰囲気のなせる技なのか、私のような豊かな胸の女性も自由に胸元の空いた服を着ており、誰もそれを気にしていない。なので私も、自分の好きな服を着て何も気にせず歩くことができるようになった。誰も追いかけてきて胸を覗き込んでこないし、執拗に罵声を浴びせてもこない。
住む場所が変わったこともそうだが、私が歳を重ねたことも一因の一つだと思う。多少は貫禄も出たのだろう。若く、ナメられまくっていたあの頃と比べて、悲しい思いをすることは格段に減った。
私のおっぱいは変わらず元気にしている。
振り返ってみると、昔はおっぱいをがっちりホールドするタイプの衣装ばかり着て、これでもかと谷間をこさえていた。ある時から「ビキニとか、緩めのホールドの衣装もかわいいな」と思い、ニップレス+ビキニとか、今までつけたことのない衣装も身につけるようになった。おっぱいもゆるく楽しくやっている。
10年という時が経ち、やってることが対して変わってないのに自分でも驚くが、それでも自分自身は常に何か新しいことをやってみよう、アップデートしていこうと努力してきたつもりだ。
10代は複雑な出自に悩み、私が生まれてきた意味は一体どこにあるんだ…なんて悩んだりもした。そして「特に意味とかはないな」というところに到達し、ならばその意味は自分で作っていこうじゃないの=好きに生きちゃえばいいじゃないの、と思えた時から、私の人生は本当の意味で始まったと思う。
始まったからには、変化させていきたい。新しいことやりたい。知らん場所に行って、知らん人と会って、感動したり、怒ったり笑ったり愛したい。
私の人生のスタンスを言語化するならば、そんな感じです。
10年後も私と私のおっぱいが、そして世界が、健やかで驚きに満ちていますように。
おわり











