今夜、どこで寝る

旅と踊りと酒

ジャミロクワイと私と日光東照宮②

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都内から電車に揺られ、鬼怒川の宿につき渡された鍵を元に辿り着いた部屋は、地下だった。

地下?
え?地下じゃないこれ?


地下?と疑問符がついたのは、部屋に入って目に入った「あまりにも上の方にある窓」のせいだ。


普通のお部屋であれば窓は目線の高さ、その範疇にあるはずである。
しかしその窓は、手を伸ばしても届かないほどの高さにあり、外の景色は地面だった。つまりこの部屋は、完全な地下ではないが半地下というやつである。
そのことに気がつくまでにドアを開けてから30秒、こんな部屋は嫌だという気持ちになるまでそこからさらに30秒。ロビーに戻り、部屋を変えてほしいというもののあの部屋しか空いていない、嫌なら帰っていいと言われるまでに約2分。


たった3分で「この仕事は控えめにいってクソだな」という判断を下した私は、呆然と部屋に戻りベッドに腰掛けた。半地下であることは何ら変わりなく、電気をつけてもなお薄暗い気がする。

しかもこの部屋は、出る部屋だった。

もちろん、信じない人は信じなくていい。
私自身も霊感というものがはっきりあるわけではないし、姿を見たことがこの時点までなかった。
心霊スポットと言われるような場所や、なんだか薄暗い雰囲気の場所でも「気味が悪いな」と思うことはあってもはっきりと何かを感じることはなかったのである。

この部屋は確実に、いた。
とにかく、夜は電気を消して眠ることができなかった。またテレビもつけっぱなしにして、音量を1にして、どうにか眠りにつくことができるか否か。

幸運なことにこの仕事にはもう一人、占い師が派遣されており、何とその先生は隣の部屋に宿泊していた。
初日に占いブースに座り、仕事を始めるより何より先に私はお隣の先生に「あの部屋で眠れてますか?」と思わず話しかけてしまった。
するとその先生は「自分で祭壇作って、お祓いしてるわよ」とにこやかに答えた。

「お祓いしたわよ」ではなく、「お祓いしてるわよ」であることに心底寒気を覚えたが、もう兎にも角にもこの人にすがる他ない。
絶対いるんです、本当に無理なんです、お金払うんでこっちの部屋もお願いします…と地べたを穿つくらいの気持ちで頭を下げ自分の部屋もお祓いしてもらい、毎日自分でもできる清め方も教わって、なお安心して眠りにつくことはできなかった。

なので大体朝日が昇ってから眠り、昼過ぎに目覚め、お風呂に入り、夕方〜夜にかけて占いをする。食事をして、テレビをつけっぱなしにして怯えながらベッドに入って眠れない夜を過ごす。

こんな日を1週間続けた。

幸いなことに実入はまあまあ良く、温泉に毎日入っているおかげで肌はピカピカになり、夜まともに眠れていないこと以外は割と良いバイトではあった。

確実に「出る」部屋であることは最悪だが、騒がしい都内を離れ温泉に入り放題、まあまあの収入であることに味を占めた私は、さほど間を開けずに2回目の鬼怒川へ行くことにした。
師匠に色々と対策を教わり、専用の品物も持ち込んだおかげで前回よりは心理的負担が減ったため、昼も起きていられるようになった私は少し足を伸ばして日光東照宮へ遊びに行くことにした。

 

つづく。

ジャミロクワイと私と日光東照宮①

これは私が駆け出しの占い師をしていた頃の話である。

 

ポールダンスという仕事だけでは早々に食えなくなるかもしれないし、世界中を旅しながら生きていくには一つの仕事では弱いだろうと思った私は、20代前半から占いというスキルを身につけはじめていた。
先祖に山伏的な人がいたというのも一つの理由ではあるが、とにかく「道具が少なく」「ほぼ身一つで」「旅をしながらでも」できる仕事として最適ではないか。という考えのもとにせっせと勉学に励んだ。

タロット、西洋占星術、手相、数秘術、などを何人かの師匠から学ばせていただき、師匠から実践の場として紹介されたのが鬼怒川の温泉宿だった。

 

なぜ鬼怒川の温泉宿なのか。
鬼怒川といえばかつては大変に栄え、そして今では廃墟の趣さえある寂れた宿場である。そんな場所でも懸命に営業をしているお宿はあり、そう言ったお宿では夏の書き入れ時に客寄せでさまざまな催しを行なっている。

その一つが「占い師」だった。

ロビーから入って温泉への入り口につながるフロアに占いブースを2〜3配し、そこに占い師がチェックイン時間から夕食後くらいの時間まで待機する。

基本的には出来高の仕事で、交通費も自腹だが、宿代と食費はかからないのでうまくいけばまあまあ稼げる仕事だと聞いていた。

ただで温泉宿に泊まれるのもいいし、夏の鬼怒川近辺は涼しくて過ごしやすそうだ。
空いた時間は観光などもOKと聞き、私は1週間ずつ、その夏に計3回ほど日光で過ごした。

それがどれほど恐ろしくまたストレスフルであるかを知らぬが故に。

 

つづく

かたつむりやなめくじになりたかった

毎度毎度お久しぶりになってしまっております。
お元気にしていらっしゃいましたか?
私はぼちぼちです。

 

 

10代の頃はよく(紙の)ノートやブログに「両性具有になりたい」「なめくじになりたい」としきりに書いていたものです。ジェンダーロールに辟易していたんでしょうね。少しは性別違和もあったかもしれない。

自分のことが何もわからないままに生きるには、10代は世の中から受け取るものが多すぎるでしょう。私以外のすべての人が「自分とはこういう人間で、これが好きで、これが嫌いだ」ということを理解しているように見えていたよ。
でも私には何もわからなかった。私自身を、ボロボロにされていたから。

30年以上生きてやっと、やっと自分が何が好きで何が嫌いで、こういうことは無理なんですという大まかな説明書が見えてきた感じ。みんなこんなに便利なものを手に持って歩いてたの?ずるいなあという感想。
真っ暗な闇の中を、ずっと遠くに見えるちいさな光だけを頼りに生きてきたみたいな人生だったよ。

それが最近やっと懐中電灯を手に入れたり、鏡をもらったり、どこへでもいける切符をもらったような感じなんです。まだ暗い中にいる時もあるけど、青空が見えている。光が差す場所には草も生えます。鳥もいます。一人ではありません。

今は幸いなことに良い仕事にもありついて、チャンスをもらったり、「一角の人物になりたいでしょう」と唆されているけど、私がここまで来れたのは単純に「自分は何者でもない」ということを認めて受け入れたからなんだと思っている。
何者でもないよ。みんな宇宙の塵芥。
土から出て土に帰る。
期限付きのラブだから尊いよ。

何者でもない自分を、そのままでいいと思えるようになったから、もう何もいらないよ。今、結構しあわせですね。
これがなくなっちゃうのがこわいと思うくらいには。

おわり

 

ずっと戦っている、何かと

いつになったらこのファイティング・ポーズを私はやめられるんだ、という気持ち。

 

人生がまあまあ順調だったり、この先はきっとこうなるよね!みたいな愉快な展望に満ち溢れている時は人間そこまで文章書きたいと思わない。そうなんです。
私は今、道に迷っている。

 

正直、ポールダンサーをやめようかなと考えている。
(まだやってたんだ!!!と思う方もいるでしょう。やってました。)

コロナ禍はほとんど定期の仕事がなくて、たま〜にイベントに出させてもらったり、他のことをして細々と暮らしていた。2020年4月から専門学校に入学していたのもあり、不幸中の幸いなのか?今年の3月までは学校の勉強にとにかく忙しく、あまりポールのことを思い詰めて考えたりもしなかった。

そして学校を卒業して、またちょこちょこポールをするようになったらね、なんかもうこれじゃないのかもなーという気持ちになった。不思議と。

なんだかもうずっとずっと戦ってんのよ。
それは仕事の待遇だったり、仕事の相手だったり、状況だったり、他のポールダンサーだったり対象はさまざまなんだが。
喧嘩をしているわけではない。ただ私の心の臨戦体制がまったく解かれない。
この仕事をしていると一切の油断ができない。
誰に裏切られるかもわからないし、いつお店がなくなるかもわからない。

 

そんな殺伐としてんの?とお思いでしょうが、そうなんです。
いやもちろんそうじゃない人や場所もあると思うけど、やっぱり根本は水商売なので、この先の保障なんて何一つないのね。

 

それも織り込み済みで普通の仕事よりは少し高いお給料を、その日にもらえるってのがいいところでもあるんだけど、ちょっと疲れたんだな。


きっとその疲れに目を背けてずっとずっと続けていくこともできはするのだろう。
しかし最近の私のショーときたら、感情が無である。
キラキラした気持ちや、こういう表現をしたいというものが尽き果てている。
なのでとりあえず派手な技や逆さになることに重きを置いて踊っている。
そんな中でもよかったよと声をかけてくれるお客様がいる。
逆に今までの自分の踊りはなんなんだったんだ?と思ってしまう。

こんな感情無の踊りも評価されるのだとしたら今まで一生懸命踊ってきた私の、こだわりの、表現や気持ちを詰め込んだショーはなんだったのですか?

 

なんでしょうね。こだわりのラーメン出してたのにある日インスタントラーメン出してみたらもっと評価されて虚しい…みたいな?

 

とにかく私はもう戦いたくねえんだ。疲れたよ。
愛とか夢とか、希望とか、そういうものだけを集めて生きていきたいよ。
それでいてお金も稼げる仕事なんかないかなー。

おわり

乃木坂46の秋元真夏さん・生田絵梨さんのエイプリルフール同性婚ネタについて当事者が考えたこと

元ネタはこちら

 

www.huffingtonpost.jp

さっき私がしたブクマはこちら

 

 

乃木坂46メンバー、「同性との挙式」をエイプリルフールに投稿し物議。「性的マイノリティをネタとして消費」と専門家

当事者だがこれがダメなら男女の結婚ネタもダメなわけで、まず彼女らが「同性婚なんてあり得ない」と思ってたかと、当事者である可能性について考えている オープンリーレズビアンがこのネタやったらみんな怒るの?

2022/04/03 22:02

 

でね、実は件のインスタ投稿ちゃんとみてなかったので見てみました。

 

ドレスっぽい写真と「式をあげました」ってすぐ後に
ハッシュタグで #エイプリルフール って書いてあるのね。
なるほどなるほど。
まず第一にこの、文章のあと即
「これはエイプリルフールです」
ってなってるのがより怒りを煽る原因にはなってる気がする。
「これはあり得ないことなんですよ〜」
っていう表明っぽさを感じないこともない。

ただ、この投稿に関する一連の意見の中で、

「結婚ができる、権利を享受している側であるくせにそれができない当事者をまるで揶揄しているかのような、ネタとして消費しているような、それが許し難い(大変ひどい行為だ)」

っていう意見が散見されたので、一応セクシャルマイノリティ当事者としていろんなことを考えた上で書かせていただくね。

 

彼女らが当事者じゃないなんて誰がわかるの?

 

ノンケじゃないかもしれないじゃん。
バイかもしれないしレズビアンかもしれないし、
二人が本当に付き合ってる可能性は?
またもしくは別に恋愛感情がなくても、とても深い友情で結ばれていて、結婚してもいいと思うくらいある意味で愛し合っている可能性は?

まーそんなこと言ったらキリねえよ、とにかく当事者は気分を害してるんだよ!!と言われたらそれまででございます。

問題点があるとしたら表現の仕方だったと思うし、こういう批判が起こらないように気をつける手段はあったようにも思います。

例えば #エイプリルフール の前に
#婚姻の自由を全ての人に
#結婚したいくらい大好き
#残念だけど今はまだ同性婚できないね
#でもエイプリルフール
#友情で結ばれてます
#ずっと仲良しでいようね
みたいな感じだったら怒る人も今よりは少なかったかも…しれません。
結婚したいくらい仲良しだからこのネタやっちゃいました、今は同性婚できないけど本当に同性同士で結婚できるようになったらいいよね!的なニュアンスがあったら良きだったね。

 

しかしさ、こんな若くて可愛いアイドルの女の子同士が、たとえエイプリルフールだったとしても、式あげたなんて堂々と言える世の中ってすごくない?

私はすごいと思うんだ。

10年前だったら考えられなかったよ。
もし10年前に同じことやったら「禁断愛」とか「本当にレズビアンなのでは?」とか色んなマイナスな言葉もっと投げ掛けられてたのではないかな。
その点も含めて、この国は変わっている最中なんだな、パートナーシップ制度も含めて同性婚実現(もしくは婚姻制度の抜本的改革)に近づいてるね〜って私は思いました。
こうやって今議論が巻き起こってるのも含めてね。
何を言ったらダメで何を言ったらいいかってのが大きく変革している時なのだと思います。

セクシャルマジョリティもマイノリティも、こうしてどんどん価値観をアップグレードしていく段階に入っているのでしょう。
レッツ変化変容。
おわり。

新刊「タイに行きたい」発売開始しました

紆余曲折ございましたが無事にkindle新刊出せました〜

コロナで全然海外行けないので溢れる旅情を叩きつけた本です。是非ご覧ください。

 

 

紆余曲折はこちら

www.dokodeneru.com

既刊あります。こちらも合わせてどぞ

 

 

 

 

pagesで作ったepubファイルで簡単にKindle direct publishing が全然できない話

 

ファイルがおかしくて販売できない

タイトルの通りの話なのですが、現在新刊を作っており原稿データはとうに完成しているのにKDPの不具合なのか何なのか、全く販売が開始できない状況にございます。

今回はiPad Proとmagic keyboardで執筆し、それをpagesで編集してepubファイルに出力した後、入稿しようという流れでやっていました。

そもそもすでにKDPで著作を1冊出しており、特に問題のない流れだろうと考えていました。

 

 


ただ前回はpagesではなくでんでんエディター及びでんでんコンバーターを使用してのepubファイル作成だったので、手順は違いましたが、ネット上に散々「pagesで電子書籍を簡単に作ろう」みたいな記事もあったし、スムーズにことが運ぶだろうと思っていたのです。

 

プレビューすらできない

pagesにはいくつかデフォルトテンプレートがあり、縦書きの小説形式のものがあったのでそれを選択。すでに完成していた原稿を流し込み、画像を入れたり文章校正をして完成。
あとは表紙データとともにKDP上にファイルをアップロードすればOK、というものでした…が。
いざ発売されたものをダウンロードすると(Kindle Unlimited登録作品なので、何度でもDL&解除可能)

「この作品と互換性がないです」

的なことを言われダウンロードすらできない状態に。
なんで????????
と思った末調べてわかったことは、「固定型」という設定にしているとどうやら販売がうまくいかないということでした。

ならばリフロー型にしてみよう

そんじゃあ癪だけどもリフロー型にするか。
というのも私の著作は画像をちょいちょい挟んでいるエッセイ形式なので、リフローにするとレイアウト崩れが起こる可能性があったから固定にしていたのです。

そしてリフロー型にして、今度はしっかりKDPのプレビュー機能確認してみるとやっぱりめちゃくちゃにレイアウト崩れてる!!!

この問題は、文章→画像→文章という構成の時に起きます。
対処としては画像のテキスト折り返しを「上下」にすること、また画像の前の文章に「ページ送り」を設定しておくことでプレビュー上はレイアウトが崩れなくなりました。

そう。プレビュー上は。

一見完璧に見えた原稿を発売開始しダウンロードしてみるとただ真っ白な画面が永遠に続く破損ファイルだったのです……

その後試したこと

・pagesのデフォルトテンプレの使用をやめ新規作成から作り直す
→効果なし、プレビュー上は正常だがダウンロードすると真っ白

・画像ファイルのサイズを小さくし、1枚だけ混じっていたheicファイルをjpegに変換して再挑戦
→効果なし、プレビュー上は正常だがダウンロードすると真っ白

今後やろうと思っていること

pagesはとても簡単にレイアウトが組めるし、便利な機能もあるのでできれば今後はこれで本を書きたいので、この不具合がなぜ出るのかを解明したい。
しかしながらいささかこの不具合と立ち向かうことに疲れてもいるため、どうしようもなさそうなら前回と同じくでんでんコンバーター経由で出したファイルで入稿しようと思います。
元々画像が多用されたファイルはエラーが出やすいとの情報も散見しているので、どうにか対処法を見つけたい…

続報があればこちらの記事に追記し、未来のKDP作家に役立てていただければと思います。

 

2/15追記

なんとすでに正常に販売開始されていた

 

多分なんですけど、新しい原稿データアップロードしてもすでにダウンロードしてる読者にはその最新版の原稿が反映されないそうなんです。
つまり私=一番最初の破損ファイル版をダウンロード済みなので、正常になったバージョンを読めていなかった…みたいで。
プレビューしてくださった黒竹さん、友人知人の端末でも再確認しやっと正常であることがわかりました。
この教訓を生かして次の作品を早々に出したい所存。