今夜、どこで寝る

旅と踊りと酒

幸せとは自分が何が嫌いで何が好きかわかっていること

 

id:usgtaiwan さんが記事に言及してくれたよー!わーいわーい。嬉しいな。

 

usgtaiwan.hatenablog.jp

 

なので今日は

「幸せとは自分が何が嫌いで何が好きかわかっていること」
について書きたいと思います。

 

私にはその昔、自分の気持ちを自分の口で言えないタイプの彼女がおりました。
正直私が察しすぎたせいもあると思うんだけれど、不機嫌であることを言葉じゃなくて態度で表すんですね。
そうするとね、自分でもなんで不機嫌なのかわかんなくなっちゃうんですよ。
それと同時に、不機嫌でいることが慢性化していく。
何が原因で不機嫌なのか自分でもわからないから、イライラを解消する具体的な方法もわからない。
結果ず〜っとイライラしていて、さらには恋人が自分と同じようには不機嫌でない・イライラしていないことにイチャモンをつけてくるようになる。
「私は不機嫌なのになんでお前は平気なんだ!」とは口に出さないけど、私は結構常にごきげんで居られる、自分で自分の機嫌をとることが後天的に得意になったタイプなので、彼女はそれが気に入らないんですね。
そうすると人のごきげんな状態に水を差すような言動をしたり、不安にさせるようなことをしたり、何も言わずに部屋を出ていったり、とにかく何か波風立てるような行動をするようになります。

もし彼女が、何が自分を不機嫌にしているか自分で理解できたら、この状態は解消していたと思う。
けれど彼女は自分軸で物事を考えず、他人軸で動いてしまいそれでめちゃめちゃに疲れ果てているタイプの人だったので、私と付き合っている間にはついぞそれは叶わなかった。
「他人の物差しで生きているとめちゃめちゃ疲れます」というのは彼女を見て思いついた言葉です。

彼女の口癖は「あなたを幸せにしてあげたい」でした。
それすなわち、私のことを幸せじゃない人、自分といても幸せではない状態、だと思ってたんだと思う。
それはつまるところ、彼女自身も幸せじゃないですって宣言されてるようなものだった。
そう言われるたび私は「私はあなたといることですでに幸せだよ」と返していたんだけど、それにも何か納得がいかない様子だった。
自分の力で、私を幸せな状態にすることこそが彼女の目標だったからだ。

果たして、他人を幸せにすることを人生の目標にする人って、その人がたとえ一人で生きていたとしても幸せだと言えますかね?


他人のことに精魂尽くして他人のことを毎日考えて、その見返りのように自分のごきげんをとることを強要してくる人は、十中八九「自分が何が嫌いで何が好きか」わかっていないように感じます。


だって、それ、自分の人生を生きてないから。

他人のことばっか見ていて、自分を見てないから。
自分の気持ちを無視してるから。
自分が他人にどう思われるかしか、考えていないから。
自分の気持ちいいこと、楽しいこと、嬉しいことを追求するより、他人から評価されたり求められたりすることを優先してるから。
自分が嫌いだと思っても他人から好かれたり求められるためなら、無理やりにでも合わせてしまうから。
自分よりも他人を大事にして、自分をないがしろにしてるから。
本当なら自分にするべきことを、他人にして、評価されたり求められる方が気持ちいいと勘違いしているから。
それってPDFファイルを一度プリントアウトしてそれをデジカメで撮影してPCに取り込んでからメールで送る、くらい無意味なことですよ。
(twitterで見た面白ツイートより引用であります)

 

 

もう他人に好かれようと思って他人のこと考えて生きていくのみんなやめようよ〜〜〜
いっせーのーせ、でやめよう。はい、いっせーのーせ!!!
はい、今この記事を読んだ人は、他人のことを考えて自分を蔑ろにするフェーズを終了いたしました。

 

ここより先は自分の嬉しい・楽しい・大好き!を追求する次元に移行します。

 

どんなことをすると楽しいですか?
どんな匂いが好き?
どんな色の花を玄関に飾りたい?
どういう風に褒められると嬉しい?それはどうして?
それをすると心の底から楽しくなって笑顔が止まらなくなるのはどんなこと?
今一番会いたい人は?大好きな人はいる?
大好物は何?
一人で思わず口ずさんでしまう歌は?

それと同時にこれをすると悲しくなることもしっかり把握しておこう。

嫌いな人がいたら会わなくていいし合わせる必要なんかない。
行きたくない場所には行かない。どうしても行くならできるだけ早く帰って楽しいことをする。
やりたくない仕事なら可及的速やかに辞めるか自分の考え方を変える。
いやだな、と思ってやり続けてることがあるならなんでそれをしているのか今一度考えて、意味がないことに気づき、すぐおしまいにする。

 

鎖に繋がれた奴隷じゃあるまいし、私たちは現代社会を生きている。
ご飯を食べて屋根のあるところで眠る幸せを日々かみしめている。
なんでも選びとれるし、選んだ結果が今である。
今は変えられないけど、この先は自分の選んだもの次第なんだって思ったら、人生のカスタマイズが楽しくなるよ。
自分で選び取った素敵なものだけで、生きていこ〜。

おわり。

ニホンジンドットコムさんでの連載が更新されたよ

もう2月。早いですね〜
ニホンジンドットコムさんで連載になった「おっぱいが大きかったので会社員を辞めてポールダンサーになった話」の5話と6話が更新されておりま〜す。

 

nihonzine.com

 

nihonzine.com

1〜4話も引き続きよろしくメカドックです。

 

一応全8話の予定なのであと2話ですね。書いたな〜!!
こんなに長く続く文章を書くのは初めてです。
細かく分けて書いたら意外と書けるものですね。たのしい。
読んでもらえたらうれしーです。

この連載とは別に、現在している世界一周のことを国別にまとめて書き上げてnoteででも売っ払おうかな〜と思ってます。
あこがれの中島らも様のお言葉を借りると、売文稼業ですね。
明日をも知れぬ感じがしてとても素敵です。
cakesで連載するようなキラキラブロガーになりたいものです。
予想外にがっつり時間ができたので今週はたくさん文章書くぞ〜。

おわり。

ずっと嫌いでいてほしい

忘れもしない成人式の日。

着物を着た写真を事前に撮っていたので、成人式はドレスで参加した。
イギリス滞在時に買ったVivienne Westwoodの赤いドレスに黒いファーの襟巻きで、髪は美容室でアップにして巻いてもらった。アクセサリーもVWで揃えた。

中学や高校の同級生たちがちらほら見受けられ、私は高校で同じクラスだった友人と立ち話をしていた。

出身中学ごとに集合写真を撮るので集まってください…とアナウンスが流れ、人が一斉にステージの方へ移動していく。私の中学の番だった。
気は重いけど一瞬のことだと思い、列に並び、写真を撮られた。

その場から出来るだけ早く立ち去ろうとしたのに、運悪く同級生に声をかけられてしまった。
水色やピンクの振袖を着て白いファーを巻いた彼女たちは、あの頃は、本当にごめんね、一緒に写真を撮ろうよと言った。記念だから、と。
私は、なんでそんなこと言うの?私のこと嫌いでしょ。そういうのやめなよ。と言って、小走りで離れた。
やめなよ、と言った瞬間の面食らった顔が今でも忘れられない。

 

私は中学2年生から中学校卒業までの間、スクールカーストの最下層にいた。
それまで二人で行動していた女の子に気持ち悪いと言われ、別のグループに入ると告げられて、孤立したからです。

その頃の私は、何が恋で何が性欲で、自分の性的指向が何なのかなんてまるでわかっていなかった。
ただ、その子と一緒にいたいとか、その子に彼氏ができたら嫌だな、とか、私より仲の良い子がいると傷つく、とかそんな気持ちだった。
今なら簡単に名前をつけられるのに、それを友情だと思い込んでいた。

ローティーンの女の子たちが当たり前にする手をつなぐことや、ふざけて胸やお尻を触ったり、ほっぺにキスをするなんてことが、私にはとてもじゃないけどお遊びだと思えなかった。
それを許してもらえる自分は、彼女にとって特別な存在なんだと思い込んでしまった。
体を触ったり触られたりしているうちに、ある時その子に、あなたの触り方はなんだかいやらしくて気持ちが悪い、と言われた。
今考えてみたら、その接触には性欲が混りこんでいた。
気持ち悪くて当然だと思う。
若かったことや無知であったことは言い訳にならないと思うし、はっきり書きたい、私は彼女に性的暴行をしてしまったのだと思う。性的暴行の加害者だった、と今は思う。
そんなことがあってしばらくして、前述の通り私は孤立した。

いじめられていた、というのは少し違うと思う。
存在がないかのように振舞われ、最小限の会話しかせず、集団で行動すべき時も一人で過ごした。
最初の一週間は辛かったけど、そこで腹をくくってしまったのかもしれない。
惨めだと思うから惨めなんだ、一人でも堂々と過ごそう、と思って卒業まで耐えた。
悪いのは自分だ、とどこかで思っていたから、彼女たちにつっかかることもしなかった。

 

自分は性的暴行の加害者だった、という事実に気がついたのは皮肉にも被害者になった時だった。
当時付き合っていた彼女が、夜中、普通に寝ている私のパンツを下ろして無理やり交渉を試みたことがあった。
びっくりしたのと夢うつつで、指を突っ込まれた瞬間に勢いよく起き上がって思わず彼女の頬に噛み付いてしまった。かなり強めに。
彼女曰く、そのような行為に及んだ理由としては、先に眠られて寂しかった、その日1日イライラしていたのでセックスしたかった、寝ていてもきもちいかもしれないからしてみた、とのことだった。
最近私たちなんかズレてるよ、と吐き捨てるように言って私に背を向ける彼女に、私はなぜかごめんねと謝ってしまった。ズブズブに依存しあっていた。
けれど頭の中のもう一人の私は、これはDVでありレイプだし、こんなことはあってはならない、今すぐにでも家に帰ったほうがいいと警告の鐘を鳴らしまくっていた。

その日から数日、夢で中学の時の出来事が再生されるようになった。
手をつなぐ彼女と私、ふざけて胸を触られて触り返したこと、ほっぺにキスをするごっこあそびが流行った帰り道の夕陽。
最後は「なんか気持ち悪い」という彼女の歪んだ笑顔で目が覚めた。
ああ、この前私がされたことは、程度の差はあれど、私が過去にしてしまったことなんだ。
そしてそれはこんなにも不快で、心を傷つけるものなんだな。
自覚があろうがなかろうが、許されるものではない。
二度と会えないし謝ったりすることは余計に不快だと思うので、何もできないけど、ただただ自分を恥じた。

私に写真を撮ろうよ、といってきたグループの子たちは、全員その事実を知っていると思う。
そしておそらく私のことを、さぞ気持ち悪いと思っただろう。嫌いだっただろう。
なんで今更、私たちはもう友達、みたいな顔して近づいてくるの?
私は、彼女たちに、私のことをずっとずっと嫌いでいてほしい。
ずっと、許しがたい不快な存在だと、思っていてほしい。
軽々しく許したり、受け入れたり、友達になれるかもしれないような雰囲気にならないでほしい。
仲良くなれるかもしれない、と期待してしまうのも、それに裏切られるのももう嫌だから。
二度と交わらないという優しさも世の中にはあると思う。
私は私で罪を悔いて生きていくし、彼女らは彼女らでそういう気持ち悪い女がいたということをどこかで覚えていてくれればそれでいい。
彼女らが私を嫌っているという事実は、私の絶望でもあり、二度と繰り返してはいけないという未来への希望でもあるのだから。

今の義務教育の保健体育は、性のことについて学ぶとき、LGBTの話も出てくるのかな。
願わくば、私みたいな人がこれ以上現れないためにも、様々なSOGIに対応する性教育が実地されていてほしい。
異性であれ同性であれ、他人の体を軽々しく触ってはいけないとか、そういう根本の話なはずなんだけど、やっぱりそこに性欲があるかないかなんて、その時はわからなかったから。
これが恋かもしれないともっと早く気付かせてほしかった。

自分の体も他人の体も、大切に生きていきたい。
おわり。

清水富美加ちゃんの出家に思うこと/スピリチュアルとはパンツである


news.livedoor.com

このニュースが出るまで彼女のことを全く知らなかったんですけど、いろんな人が言及していて気になったので調べたりした。
ざっくりわかったところでは、芸能活動をしている上で、我慢ならないことをたくさんさせられて嫌になっちゃって、宗教に助けを求めたと。
で、その助けを求めた先が新興宗教だったから騒ぎになってるということでしょうか。たぶん。

 

出家してえ〜って思ったことありますか?私はある。
もう3年くらい前になりますが、フラれるわ仕事いっこ打ち切られるわ、家が雨漏りするわで散々だった時があったんです。蟻も湧きました。本当に病んだ。
占いに行ったら「蟻が湧くのは人生において無駄なものがたくさんあることを示している」って言われましてね、もうわけわかんなくなっちゃいました。
私は家に蟻が湧くような女なんですよと。ゴミとか全然溜めてないのに。
家が古かったんですね。
築50年…?とかだったかな…?たしか。

そんなこんなで何もかもうまくいかなくて、渋谷駅の、岡村太郎のでっかい作品が飾ってあるところで突然泣き出したりしてました。渋谷の街を見下ろしながら。
この街にはこんなにたくさん人がいるのに誰も私のことを気にかけないし、何もないし誰もいない。たくさんの人がいるのにみんな舞台装置みたいだ。言葉も交わさないし目も合わない。
もうだめだ。
人のいない穏やかで静かなところで一人で過ごしたい。俗世間辛い。
そうだ…出家、しよ…
と思ったのは確か当時、ヨガの合宿に行きたいな〜と思ってインドのヨガアシュラムのことを調べていたからだったんですよね。
インドの南の方にあるヨガの修行場で、1日3食ついて1000円くらいで過ごせるって書いてあって、ってことは一ヶ月3万!三ヶ月9万!
三ヶ月くらい行きたいな、インド、もう髪も剃り落として雑多なことがある世界から離れてしまいたいなー……と割と本気で考えていました。
当時は今ほど自由に移動できる業務形態じゃなかったのでそれは叶いませんでしたが、そこからことあるごとに出家…とかインド…とか考えておりました。

だって蟻って確実に私のせいじゃないんです。
もちろん蟻が湧くような古い家を選んで住んでいた、その選択は私がしたわけだけど、蟻が湧くことは制御できるものでもない。蟻も生きてるからね。
自分じゃどうにもならないことが多すぎて、それは例えば蟻以外だと人の気持ちとか、お天気とか、そういう何もかもが嫌になっていた。
そうなるとなんかこ〜宇宙とかインドとかレムリアとか人はそっちの方向に行っちゃうんですよね。行かない人もいると思うんだけど。

私は新興宗教にそんなに悪いイメージがない。むしろ興味があって一時期はそういう類の本を読みあさったり実際に話を聞きに行ったりもしたくらいだ。
周りにクリスチャンからスパゲッティモンスター教まで、いろんな宗教の人がいて、その人たちと接しているうちに興味が湧いて自分なりに資料を漁って色々調べたからです。外国に住んだことも大きかった。その結果、いろんな生き方がある、宗教も悪いもんじゃないな、というところに落ち着いた。
政治と宗教の話は始めるとキリがないし、飲み屋では厳禁なのであんまり普段することはないんですけど、ブログだと自由に書けていいですね。

つまるところ、宗教とかスピリチュアルってパンツみたいなものだよね。
パンツを履かない人はあんまりいないし、パンツにもいろんな色や形があるし、みんなそれぞれ違うパンツを履いている。
Tバックの人もいればボクサータイプの人もいる。
世界的に見たらノーパンの人は珍しいし、私は常日頃からノーパンですって言ったら相当驚かれると思う。
もちろん履くのも履かないのも人の自由なんだけど、なんだかんだ履いてる方が理にかなってたり居心地が良かったりする。
どんなパンツを履くかはその人の自由だし、人にこのパンツを履け!って強要するのは良くない。
もちろん、大事なところにつけるものだから、むやみやたらにパンツの話をしたりとか、どんなパンツを履いてるか聞くのは慎重に行ったほうがいい。
もしも今履いてるパンツが嫌になったら、別のパンツを履くこともできる。
履いているパンツによって洗い方とか干し方が違うから、それぞれ尊重しあったほうがみんな幸せ。
でもあんまり毎日パンツの話をしたり、人に自分のパンツを見せびらかすのはちょっと変な感じ。

 

っていうのをぼんやり考えていた時に、この出家の話がニュースになった。
日本人は無宗教だよ説ももうそろそろ薄れてきたんじゃないかな?と思います。
クリスマスを祝い、初詣をし、お宮参りをしてお盆にきゅうりとなすをお供えする私達は一体何を信仰しているのでしょう?
食事の前にするいただきます、トイレでお腹が痛い時に祈る相手、痛いの痛いの飛んでけというおまじない。
○○教、という名前がなくても、みんな自分だけのオリジナルな神様に祈ったり感謝したりして日々を過ごしているんじゃないだろうか。
沖縄では岩や森や島そのものが神様だったりするし、これがすごいものなんだ!神聖なものである、と自分が決めたらその瞬間からそれが神様やサムシング聖なるものに変わるのだと思う。

そういう自然信仰のことをペイガニズムと言います。
私は何を信じているかな?と思うと、自然信仰もあるし、ヒンドゥーの神様強くてかっこいい!と思うし、手塚治虫のブッダ読んだら仏教すごい!って思うし、北欧神話も面白いし…でなんか一つに決められないんですよね。
神話と宗教って最高に面白いんですよね…なので全部好きです。全部好き。それでよし。
私が一度にパンツを10枚履く自由を、誰が咎められるだろうか?

清水富美加ちゃんは、さぞ納得のいかない、辛いことがあって事務所を辞めて、出家することになったと思うんですけど、逃げられてよかったよね。
嫌なことがあったら逃げてもいいし、その先が新興宗教でもヨガアシュラムでもお料理教室でもムエタイジムでも、なんでもいいでしょ。
まずはそこから立ち去ることが重要で、自分を害する可能性のある場所から遠ざかり、心安らかに過ごせる日々を確保できることが大切だと思う。
もしその逃げた先がおかしなことになったなら、また別の場所へ行けばいい。
「置かれた場所で咲きなさい」という本が、以前めっちゃ売れていましたが、置かれた場所で咲きかけて、除草剤かけられたら逃げるしかないでしょ。

「置かれた場所で咲きなさい」
私はこの言葉が大・大・大嫌いです。
(本の内容は知らないのでタイトルについてのみ言及するよ!)
何故なら人類の歴史はそもそも、自分の居心地の良い場所、住み良い環境を求め続けた結果であり、それで現在のような繁栄があるからです。
ここなんかやだなーとかここご飯おいしくないなーとか、寒いなーとか暑いなーとかつまんねえなーって思ってどんどん移動していったら、最終的にアフリカで生まれた人類が 南米まで移動してって、地球上に人が満遍なく分布したよっていう話ね。
(詳細は関野吉春さんのグレートジャーニーで! )

置かれた場所が気に入らなければ、太古の昔、ご先祖様がしたように移動すれば良いんです。
この広い地球上、楽しく暮らせるのは何も日本だけではない。
どこでだって、生きていける。
地元じゃなくたって、東京じゃなくたって、今の仕事じゃなくっても今仲良くしてる人がいなくても、どこにいっても、生きていればそこは天国にだって変えられる。
何かを楽しくするのもつまんなくするのも自分次第です。
自分を縛っているのは自分だって気付くと楽になれる。
だから、「置かれた場所で文句言わないで咲いてりゃいいんだよ」みたいなことを言われて「そうかあ現状がどんなに嫌でも辛くても、嘆かずこのままとりあえず頑張ればいいのかあ、そうするしかないのかー」って思ってほしくない。
すり減ってすり減って最後に自分で自分を殺してしまう人をこれ以上増やしてはいけない。

嫌なら逃げていいんです。
ていうか環境や視点を変えよう。


だから、出家、いいんじゃない?って思ったんです。


私は高校をでたあと一年ニートをしました。
一年考え続けて、その後死にものぐるいで働いてお金貯めてイギリスに逃げました。
日本から離れる事ができて、分かったこともたくさんあったし、最終的に日本でやりたいことがあると気付いて戻ってきた。
けれど、逃げることもすぐには出来ない人も中にはいる。
逃げるという選択肢すら、考えてない人だっている。
そう出来ない事情だってある。

そのあと私は、これがしたい、これが好き!と思える事だけ選んで、嫌な場所からはとっとと退散して暮らしてきた。
それは、自ら進んで炎の中にいるのに、熱い熱いと文句 を言うような人になりたくないからです。
暮らすなら楽しいほうがいいし、嫌なことはほっといてもやってくる。
なら素敵なものに目を向けたほうがよっぽどいい。
嫌な場所からは、さっさと退散しよう。
行き先なんて、どこでもいい。
人生はきっとあっという間でしょう。



まとめ
1.嫌なことから逃げるのは悪い事ではない、死ぬ程辛いなら逃げちゃってもいいんじゃないの?
たとえそれが宗教でもなんでもOK牧場。
2.置かれた場所が気に入らなくても大地はめちゃくちゃ広いので咲く場所なんてうなるほどある
3.生きてるとご飯がおいしかったり恋したり無職になったり二日酔いになったり失恋したりパンがかびたりと五感のフル活用が可能

おわり。

サバ♪サバ♪タイの美女ムエタイ選手が踊るダンサブルなナンバー Flick

毎日タイの面白い動画、かっこいい動画が友人からバンバン送られてきます。
その中でもこれは!と思ったものをご紹介しま〜す。

タイ人の美女ムエタイ選手であり歌手のクラテー(Kratae กระแต)が昨年リリースしたラテンでダンサブルなナンバー、Flick สะบัด です。

 

 

「サバ♪サバ♪」というサビの歌詞は「振って!振って!」という意味だそうです。
腰をフリフリ踊るクラテー、セクシーでたまりません!!!!!!!
サビの振り付けは結構簡単なのですぐ覚えられそう。
クラテーはムエタイ選手でもあるので、他の曲のPVで思いっきり男性にハイキックをキメているのですが、超しびれます。
強い女の子、かっこいい…ね…。
日本のアイドルにもかっこいい枠っているかな〜。いたらいいのに。

タイ人のアイドルとか歌手とかモデルとかめっっっっっっっっちゃ可愛い。
天国ですわ〜
タイ語まじめに勉強したくなりました。
おわり。

タイは大体サバイサバ〜イ

今日タイの人に教えてもらって腹がよじれまくった動画です。
チェンマイ出身の国民的スター、バード・トンチャイの名曲「サバイサバイ」
「サバイサバイ」の意味は「気持ちいい」です。

 

 

 

まるでカラオケのイメージ映像のような昭和感漂うMV。
海辺でラジカセを背負う男が乱舞。
シチュエーションが全くわからない。
制作費めちゃめちゃ安そう。


ちょっと嫌なことがあった日に見てみてください。
いろんなことがどうでもよくなるでしょう。
人生サバイサバ〜イです。
おわり。