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今夜、どこで寝る

旅と踊りと酒

清水富美加ちゃんの出家に思うこと/スピリチュアルとはパンツである

時事問題 人生 スピリチュアル


news.livedoor.com

このニュースが出るまで彼女のことを全く知らなかったんですけど、いろんな人が言及していて気になったので調べたりした。
ざっくりわかったところでは、芸能活動をしている上で、我慢ならないことをたくさんさせられて嫌になっちゃって、宗教に助けを求めたと。
で、その助けを求めた先が新興宗教だったから騒ぎになってるということでしょうか。たぶん。

 

出家してえ〜って思ったことありますか?私はある。
もう3年くらい前になりますが、フラれるわ仕事いっこ打ち切られるわ、家が雨漏りするわで散々だった時があったんです。蟻も湧きました。本当に病んだ。
占いに行ったら「蟻が湧くのは人生において無駄なものがたくさんあることを示している」って言われましてね、もうわけわかんなくなっちゃいました。
私は家に蟻が湧くような女なんですよと。ゴミとか全然溜めてないのに。
家が古かったんですね。
築50年…?とかだったかな…?たしか。

そんなこんなで何もかもうまくいかなくて、渋谷駅の、岡村太郎のでっかい作品が飾ってあるところで突然泣き出したりしてました。渋谷の街を見下ろしながら。
この街にはこんなにたくさん人がいるのに誰も私のことを気にかけないし、何もないし誰もいない。たくさんの人がいるのにみんな舞台装置みたいだ。言葉も交わさないし目も合わない。
もうだめだ。
人のいない穏やかで静かなところで一人で過ごしたい。俗世間辛い。
そうだ…出家、しよ…
と思ったのは確か当時、ヨガの合宿に行きたいな〜と思ってインドのヨガアシュラムのことを調べていたからだったんですよね。
インドの南の方にあるヨガの修行場で、1日3食ついて1000円くらいで過ごせるって書いてあって、ってことは一ヶ月3万!三ヶ月9万!
三ヶ月くらい行きたいな、インド、もう髪も剃り落として雑多なことがある世界から離れてしまいたいなー……と割と本気で考えていました。
当時は今ほど自由に移動できる業務形態じゃなかったのでそれは叶いませんでしたが、そこからことあるごとに出家…とかインド…とか考えておりました。

だって蟻って確実に私のせいじゃないんです。
もちろん蟻が湧くような古い家を選んで住んでいた、その選択は私がしたわけだけど、蟻が湧くことは制御できるものでもない。蟻も生きてるからね。
自分じゃどうにもならないことが多すぎて、それは例えば蟻以外だと人の気持ちとか、お天気とか、そういう何もかもが嫌になっていた。
そうなるとなんかこ〜宇宙とかインドとかレムリアとか人はそっちの方向に行っちゃうんですよね。行かない人もいると思うんだけど。

私は新興宗教にそんなに悪いイメージがなくてですね。
それは、周りにクリスチャンからスパゲッティモンスター教まで、いろんな宗教の人がいるってのもあるし、実を言うと自分の曾祖父母が神道系の密教に仕えてた人だったからってのもありまして。山にこもって修行して人を助けてたんだよ、って教えられてたので、えーひいおじいちゃんとひいおばあちゃんすげーじゃん!かっこいい!って小さい頃から思ってました。
でも大きくなるにつれてそれってなんなの?と疑問に思って自分なりに資料を漁って色々調べたりしました。調べた結果、やっぱり怪しくないし、うちの曽祖父母はすごい人だったんだ〜わ〜い。という確信を得て、宗教も悪いもんじゃないな、というところに落ち着いた。
政治と宗教の話は始めるとキリがないし、飲み屋では厳禁なのであんまり普段することはないんですけど、ブログだと自由に書けていいですね。

つまるところ、宗教とかスピリチュアルってパンツみたいなものだよね。
パンツを履かない人はあんまりいないし、パンツにもいろんな色や形があるし、みんなそれぞれ違うパンツを履いている。
Tバックの人もいればボクサータイプの人もいる。
世界的に見たらノーパンの人は珍しいし、私は常日頃からノーパンですって言ったら相当驚かれると思う。
もちろん履くのも履かないのも人の自由なんだけど、なんだかんだ履いてる方が理にかなってたり居心地が良かったりする。
どんなパンツを履くかはその人の自由だし、人にこのパンツを履け!って強要するのは良くない。
もちろん、大事なところにつけるものだから、むやみやたらにパンツの話をしたりとか、どんなパンツを履いてるか聞くのは慎重に行ったほうがいい。
もしも今履いてるパンツが嫌になったら、別のパンツを履くこともできる。
履いているパンツによって洗い方とか干し方が違うから、それぞれ尊重しあったほうがみんな幸せ。
でもあんまり毎日パンツの話をしたり、人に自分のパンツを見せびらかすのはちょっと変な感じ。

 

っていうのをぼんやり考えていた時に、この出家の話がニュースになった。
日本人は無宗教だよ説ももうそろそろ薄れてきたんじゃないかな?と思います。
クリスマスを祝い、初詣をし、お宮参りをしてお盆にきゅうりとなすをお供えする私達は一体何を信仰しているのでしょう?
食事の前にするいただきます、トイレでお腹が痛い時に祈る相手、痛いの痛いの飛んでけというおまじない。
○○教、という名前がなくても、みんな自分だけのオリジナルな神様に祈ったり感謝したりして日々を過ごしているんじゃないだろうか。
沖縄では岩や森や島そのものが神様だったりするし、これがすごいものなんだ!神聖なものである、と自分が決めたらその瞬間からそれが神様やサムシング聖なるものに変わるのだと思う。

そういう自然信仰のことをペイガニズムと言います。
私は何を信じているかな?と思うと、自然信仰もあるし、ヒンドゥーの神様強くてかっこいい!と思うし、手塚治虫のブッダ読んだら仏教すごい!って思うし、北欧神話も面白いし…でなんか一つに決められないんですよね。
神話と宗教って最高に面白いんですよね…なので全部好きです。全部好き。それでよし。
私が一度にパンツを10枚履く自由を、誰が咎められるだろうか?

清水富美加ちゃんは、さぞ納得のいかない、辛いことがあって事務所を辞めて、出家することになったと思うんですけど、逃げられてよかったよね。
嫌なことがあったら逃げてもいいし、その先が新興宗教でもヨガアシュラムでもお料理教室でもムエタイジムでも、なんでもいいでしょ。
まずはそこから立ち去ることが重要で、自分を害する可能性のある場所から遠ざかり、心安らかに過ごせる日々を確保できることが大切だと思う。
もしその逃げた先がおかしなことになったなら、また別の場所へ行けばいい。
「置かれた場所で咲きなさい」という本が、以前めっちゃ売れていましたが、置かれた場所で咲きかけて、除草剤かけられたら逃げるしかないでしょ。

「置かれた場所で咲きなさい」
私はこの言葉が大・大・大嫌いです。
(本の内容は知らないのでタイトルについてのみ言及するよ!)
何故なら人類の歴史はそもそも、自分の居心地の良い場所、住み良い環境を求め続けた結果であり、それで現在のような繁栄があるからです。
ここなんかやだなーとかここご飯おいしくないなーとか、寒いなーとか暑いなーとかつまんねえなーって思ってどんどん移動していったら、最終的にアフリカで生まれた人類が 南米まで移動してって、地球上に人が満遍なく分布したよっていう話ね。
(詳細は関野吉春さんのグレートジャーニーで! )

置かれた場所が気に入らなければ、太古の昔、ご先祖様がしたように移動すれば良いんです。
この広い地球上、楽しく暮らせるのは何も日本だけではない。
どこでだって、生きていける。
地元じゃなくたって、東京じゃなくたって、今の仕事じゃなくっても今仲良くしてる人がいなくても、どこにいっても、生きていればそこは天国にだって変えられる。
何かを楽しくするのもつまんなくするのも自分次第です。
自分を縛っているのは自分だって気付くと楽になれる。
だから、「置かれた場所で文句言わないで咲いてりゃいいんだよ」みたいなことを言われて「そうかあ現状がどんなに嫌でも辛くても、嘆かずこのままとりあえず頑張ればいいのかあ、そうするしかないのかー」って思ってほしくない。
すり減ってすり減って最後に自分で自分を殺してしまう人をこれ以上増やしてはいけない。

嫌なら逃げていいんです。
ていうか環境や視点を変えよう。


だから、出家、いいんじゃない?って思ったんです。


私は高校をでたあと一年ニートをしました。
一年考え続けて、その後死にものぐるいで働いてお金貯めてイギリスに逃げました。
日本から離れる事ができて、分かったこともたくさんあったし、最終的に日本でやりたいことがあると気付いて戻ってきた。
けれど、逃げることもすぐには出来ない人も中にはいる。
逃げるという選択肢すら、考えてない人だっている。
そう出来ない事情だってある。

そのあと私は、これがしたい、これが好き!と思える事だけ選んで、嫌な場所からはとっとと退散して暮らしてきた。
それは、自ら進んで炎の中にいるのに、熱い熱いと文句 を言うような人になりたくないからです。
暮らすなら楽しいほうがいいし、嫌なことはほっといてもやってくる。
なら素敵なものに目を向けたほうがよっぽどいい。
嫌な場所からは、さっさと退散しよう。
行き先なんて、どこでもいい。
人生はきっとあっという間でしょう。



まとめ
1.嫌なことから逃げるのは悪い事ではない、死ぬ程辛いなら逃げちゃってもいいんじゃないの?
たとえそれが宗教でもなんでもOK牧場。
2.置かれた場所が気に入らなくても大地はめちゃくちゃ広いので咲く場所なんてうなるほどある
3.生きてるとご飯がおいしかったり恋したり無職になったり二日酔いになったり失恋したりパンがかびたりと五感のフル活用が可能

おわり。

サバ♪サバ♪タイの美女ムエタイ選手が踊るダンサブルなナンバー Flick

海外

毎日タイの面白い動画、かっこいい動画が友人からバンバン送られてきます。
その中でもこれは!と思ったものをご紹介しま〜す。

タイ人の美女ムエタイ選手であり歌手のクラテー(Kratae กระแต)が昨年リリースしたラテンでダンサブルなナンバー、Flick สะบัด です。

 

 

「サバ♪サバ♪」というサビの歌詞は「振って!振って!」という意味だそうです。
腰をフリフリ踊るクラテー、セクシーでたまりません!!!!!!!
サビの振り付けは結構簡単なのですぐ覚えられそう。
クラテーはムエタイ選手でもあるので、他の曲のPVで思いっきり男性にハイキックをキメているのですが、超しびれます。
強い女の子、かっこいい…ね…。
日本のアイドルにもかっこいい枠っているかな〜。いたらいいのに。

タイ人のアイドルとか歌手とかモデルとかめっっっっっっっっちゃ可愛い。
天国ですわ〜
タイ語まじめに勉強したくなりました。
おわり。

タイは大体サバイサバ〜イ

人生 旅にっき

今日タイの人に教えてもらって腹がよじれまくった動画です。
チェンマイ出身の国民的スター、バード・トンチャイの名曲「サバイサバイ」
「サバイサバイ」の意味は「気持ちいい」です。

 

 

 

まるでカラオケのイメージ映像のような昭和感漂うMV。
海辺でラジカセを背負う男が乱舞。
シチュエーションが全くわからない。
制作費めちゃめちゃ安そう。


ちょっと嫌なことがあった日に見てみてください。
いろんなことがどうでもよくなるでしょう。
人生サバイサバ〜イです。
おわり。

ボディ・イメージと云う概念

人生 健康

空気が生ぬるいタイの田舎からお送りしています。

先日、かにちゃんさんが記事を引用してくれたよ!

 

kanichan.hatenablog.jp

読んで頷きまくったよね。
自分の体を肯定する、それが世界に一つだけの良いものであると堂々とする、主体的に見せびらかす、という行為はまだまだ日本では受け入れられていないように感じます。
それには複数の要因があって、例えばメディアから「これが愛されるカラダ!」とか「こうあらなければいけない!」という強すぎるメッセージを浴びていることも一つの理由かなと思う。
もう一つは「女のからだは男に求められるものであれ」みたいな暗黙の了解というか、同調圧力というかのせいかなあというかんじ。「愛されるカラダ」に通じると思うけど。
愛されるカラダってなんだよって話ですよね。
誰かに愛される前にまず自分で自分のカラダを愛して欲しいんですよまじで。
他人に軸を置いたボディ・イメージで生きていくことほどしんどいものはないと思います。
他人の物差しで生きると死ぬほど疲れるっつーのは、そういうことも含んでいます。

 

www.washingtonpost.com

そんなことを考えていたら、タイムリーにこんな記事が上がっていました。
内容をざっくり紹介すると、

「日本では不健康なくらい細い女の子が良しとされ、誰もがダイエットに励みまくっていて、太った女の子はオシャレすることも叶わない。そんな中、ナオミ・ワタナベというコメディアンの女性はとてもポジティブなボディ・イメージを持って活動し、ファッショナブルでユニークなインスタグラムの投稿が大人気だ。」

みたいなことが書いてあります。わりかし簡単な英語だと思うので是非ちらっと見てみてください。

要は、渡辺直美は世間一般で言う「デブ」なんだけども、それを悲観したり卑下したりせず、デブだと揶揄する他人のことなんか1mmも気にせず、自身のカラダを肯定し愛してそれを最大限に生かして活動しているわけです。
彼女の持つボディ・イメージのポップでポジティブでユニークなところが、自分を「デブ」だと思っている女性に勇気と感銘を与えている。
他人にデブだのなんだの言われても、自分で自分のカラダを愛して受け入れれば、それは素晴らしいものでしかないし、他人の物差しをへし折って生きていくことが選択肢として目の前に現れるんだと思う。

おっぱいが大きいとか小さいとか、太ってるとか痩せてるとか、背が小さいとか大きいとかね、関係ないんですよ。何にも。
そりゃ関係あるかもしれないよ。それが関係あると思ってる人には関係あるんだよ。
つまるところ、あ、そんなの関係ないわ!って思っちゃったら、関係なくなるんだよ。
どんなカラダでも、魅力的だし、その魅力は他人に肯定してもらったり他人に見つけてもらうものじゃないんです。
自分で肯定して自分で見出して、自分でプロデュースしていくことで、あなたはどんどん最高に素敵でかっこいい人になっていくんです。
他人に見つけられることを待ってるだけじゃダメなんです。愛されたいとか言ってる場合じゃねえよ。

こういうのを踏まえると、総じて人々にはボディ・イメージに対するかなり重苦しい呪いがかかってるんだな〜とつくづく思う。

その呪いを解く方法は何百種類もあって、フィジカルなところだと納得いくまでワークアウトしてカラダを鍛えまくるもよし、瞑想しまくって今の自分をそのまま受け入れるもよし、変化していく自分の体をつぶさに観察するもよし、でよりどりみどりなんです。
たとえどんなシェイプになろうと、自分の体は世界で一つきりだし、死ぬまで一つだけです。
親よりも恋人よりも一生一緒にいるんだし、手を取り合って生きていこうよ。
たまには鏡にキスでもしてみるといいですよ。
おわり。

傷口をえぐる

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何年か前の話。
ある年の秋頃に一夜をともにした人と、それから何度か会ったりヤったりしていた。
これが俗に言うセックスフレンドかー。
と、思っていたのもつかの間、それとは別に好きな人ができた。
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で、そのフレンドの方は仮にSちゃんとして、暇な日に気が向いたら会う、こっちからは連絡とらない、向こうからメールきたときに気分で遊ぶ、みたいな関係を築いていた。ただ、のちの彼女Aちゃんと出会ってからはSちゃんと会う頻度は少なくなっていった。


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自分は思わせぶりなことをしてしまったのかな。傷つけてしまうのかな。と悩んだけど、傷つけない・傷つかない恋愛などない。
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「別れも死もつらい。 でもそれが最後かと思えない程度の恋なんて、女にはひまつぶしにもなんない。」

とかのよしもとばなな大先生も書いていた。わたしもそうだと思っている。


わたしはSちゃんのひまつぶしくらいにはなれただろうか。

 

変なルートの旅が好き

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自分の住んでいるところから遠いところへ旅をするとき、人はどのようにルート選択をするだろうか。
大抵は、便利だとか安いとか、時間が短いとかそういう観点で選ぶと思う。
私はちょっと違って、わざと変わったルートを選ぶのが好きです。
 
飛行機で行けるところを夜行列車で行くとか、電車で行けるのを船で行くとかは序の口である。
最短距離だったり、よく聞く空港から行くのではつまらない。
なのであの手この手を使い、目的地までどんな面白いルート選択が存在しているか探し尽くす。
果てには、目的地が先だったのかルートが先だったのかわからなくなる。
乗り継ぎ便が嫌いなので、目的地に乗継でしかいけないようなら、目的地を変えるか、乗継場所で一度降りて観光するのも好き。
直行便を繰り返して、偶然の産物で今まで興味のなかった場所に行くのがたまらない。
結果的に、生きてて訪れることがなかったかもしれない場所へ行けたり、よくよくルートを見たら世界一周していたりする。
 
今回の旅もそうだった。
日本から東南アジア、そのあとヨーロッパへ行き、さてヨーロッパのあとはどうやって帰ろうかなーとgoogleマップを眺めていた。
私のルート作りはgoogleマップをじっくり眺めるところから始まる。
国と国の距離感、アクセスが良いのか悪いのか、どの都市を中継地にすべきか、マップを見ているとふっと浮かんでくる瞬間がある。
そうして、マップから浮かび上がってきた点と点を結んでいったら、結果的に、西回りで世界一周することになりました。
もちろんヨーロッパから日本にそのまま帰るという手段も選択肢の中にはあった。その方が断然安いし、日程も短縮される。
ただ、休暇はまだ余っており、浮かび上がってきたルートはとても魅力的だったので、行くことにしちゃいました。
 
よく考えたら、世界一周は昔からの夢だった。
そしてそれには年単位の莫大な時間とお金がかかるものだと思い込んでいた。
なんのことはない、本当にぐるっと「一周」するだけならこんなにも簡単に実現してしまう。
ここ数年は思い描いていたことの実現率がものすごく高く、それに向かって行動していると気がついたらもうその渦中に放り込まれていたりする。現実が加速しまくっている。
別にそれには、引き寄せの法則とかオポノポノとかそういうスピリチュアルなコツはない。
いや、あるのかもしれないけど、それは言葉に出してみたらめちゃくちゃシンプルなんです。
 
旅行に行きたかったら、航空券を買えばいいし、仕事を休めばいい。
やりたいことがあったら、やればいい。
 
そりゃーお前が水商売で、明日をも知れぬ生活だから仕事も休めるし旅行に行けるんだよ!!って思う人もいるでしょう。
私は旅をすることに人生を、命を、生活の全てをかけています。
現状、旅のない生活など私には考えられない。
なので、何年もかけて、旅を生活にするべく生きてきました。
でもそれは特別なことをやってたわけじゃなくて、そうするべく動いてきただけのことなんです。
 
例えば毎月旅行に行くようにした。
そうすると周りの人は私のことを「毎月旅行に行く人」だと思う。スケジュールを早めに組んでもらえるようになる。日程の都合をつけてもらいやすくなる。融通が効きやすくなる。
 
数ヶ月単位で国外に行く。
そういう人だと思ってもらえるようになる。それが死ぬほど好きで、それなしでは生きていきたくない人だと思ってもらえる。そのライフスタイルを尊重してくれる人が周りに集まってくる。同じような旅好きの人と仲良くなる。価値観を共有する。
 
結果的に私は、そういうライフスタイルで生きている人、だと周囲に認知され、そういうライフスタイルでも可能な仕事をいただくようになり、旅の最中でも仕事ができたり、現場に出なくても良いように融通を利かせてもらえるようになったのでした。
これって単に「わがまま」とも言えますよね。
「わがまま言ってみんなに迷惑かけてどっか行ってるだけじゃないか」とも言えるでしょう。
 
しかしですね、わがまま言っていいんじゃないですかね?そもそも。
あなたの人生はあなたのものだし、他人の都合で生きなくていいし、他人に融通を利かせてもらって申し訳なく思うことはない。心の底から感謝すればいい。
 
なぜこんなことを思うのかというと、私は19で実家を出るまで、ずっと他人の都合で生かされていたからです。
生殺与奪権を握られ、笑うことも怒ることも泣くことさえも、私の自由にはなりませんでした。
なので、もう金輪際、二度と他人の都合では生きないと決めています。
自分の身は自分で養うし、責任も持つし、やりたいことをやる。
でもそれはわがままとは違うと思う。
自分を尊重し、自分の都合を優先して、同時に他人を尊重して仲良く暮らしていくことは十分に可能です。
 
だから私は変なルートで旅行するし、気付いたら世界一周してるし、やりたいことをやるし、泥水すすり草を食んでも生き残る。
そうできる道を自分で開拓する。
そこがたとえひび割れた大地でも、荒れ果てたジャングルでも、その先に自分だけのオリジナルな楽園があるのなら、血まみれになってでもその先を見据えて生きていくつもりです。
 
これを読んでくれているあなたは自分のやりたいことをやってますか?
やりたくないことを、いやだなあと思いながらこなして毎日生きてますか?
今休んだら迷惑だからとか、私が辞めたら困るからとか、もしも他人の都合で何かを躊躇してるなら、それ今日で終わりにしませんか。
あなたの手足が明日も思い通りに動くとは限らないし、地球があるかどうかすら誰にもわからないから。
たまには自分の思う通りに生きてみましょーよ。わがまま言ったっていいんだよ。
世の中、死ぬまでやったもん勝ちですよ。
 
 
というわけで今日からしばらく世界一周してきます。
旅日記が続きますのでよろしくメカドック。
ドキドキのぼうけんのはじまりだ!

シスヘテになりたいという病

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書きたいことは書きたいときに書いとかないとどこかに行っちゃうので、ざっくばらんなメモ的に書いておきたいと思います。

幼い頃から「普通になりたい」と「普通は嫌だ」という気持ちが常に混在していました。
主に家庭環境やセクシュアリティの面で「普通になりたい」で、
一個人の個性、存在感として「普通は嫌だ」と、思っていた。

私の家庭環境はぼちぼち複雑で、小さい時からお友達にも一言では話せない事情があった。
家庭環境の話を打ち明けても、それを揶揄したりするような子はいなかったけれど、私は単純に他のお家が羨ましかった。だからなるべく言いたくなかった。
お父さんがいてお母さんがいて兄弟や祖父母がいて、みんな血が繋がっていて、普通に仲良く暮らしている。そんな家族が心の底から羨ましかった。

その一方、学校では「普通な自分」なんて嫌だ、と思っていた。
みんなから面白いと思われたかった。
自分から進んでピエロになったし、変わったことをしたり、普通の女の子がしないような行動をしたりした。
「普通な自分」では仲間に入れてもらえない。
本来の自分は多分大人しく、あんまり人と話したりせず、本を読んで休み時間は外に出ません、みたいなタイプである。

私はすくすくと大きくなり、恋をし、セックスをして、自分が何者であるかを少しずつ知っていった。
誰かと向き合い、時に傷つけあい、ボロボロになりながらも、自分を形作る要素を一つ一つ確認した。
「普通になりたい」は、今でも時々思う。
シスヘテ、とはシスジェンダーでヘテロセクシュアル、の略です。
シスジェンダー、つまり、自分の体の性別と心の性別が一致してる人のこと。
ヘテロセクシュアル、は、異性愛者のこと。


自分の性的指向を、現在この世に存在している言葉で表すことができない。
一つ思うのは、まず性的指向は自分で決めるものだということ。
他人から決められるものではないということ。
そしてそれは時間とともに変化していくということ。
なので例えば今私が、私はレズビアンです、と言っても、それは5分後に変更になる可能性がある。例えば羽生結弦ばりの美少年にめちゃめちゃ口説かれてその気になってしまうとか。
でもそれでも自分がレズビアンだと思えばレズビアンって名乗ってもいいと思うんですよねー。「美少年と出会って昂ぶってしまい一夜を過ごしたけど私は私がレズビアンだと思うからレズビアンです」でいいんですよね。
だってそれは自分が決めることだから。
逆もまた然りだと思う。ノンケの女の子が女の子とセックスしてもそれがイコールレズビアンになるってことでもないし。でもセックスだけはし続けるとかもよく聞く話ではあります。
最近だとホリエモンが女装男子の大島薫ちゃんと手をつないでホテルに入るのが目撃されたらしいですけど、別にホリエモンもゲイとかではないと思うんだよね。
仮定するとしたら男女問わず可愛ければやれるノンケ、女子と女装子がオッケーのバイ、トラニーチェイサー(性転換した人が好きな人)、などなど。
こういうのを定義し始めたらキリがないし、誰とセックスするかでなんでこんなにも言葉を選んだり、説明したりしなきゃいけないのかって、単純にめんどくさい。
私が誰とセックスするかなんて、そのセックスする相手だけが知ってればいい情報ではないだろうか。
なのでいちいち表明するのもめんどいし、「この前言ってたのと違うじゃん」とか言われても困る。でもこういうこと言ってるとレズ界隈からはバイだと思われて結構な確率で煙たがられます。「バイは今女と付き合っててもいつかは男の方に戻ってしまうから信用ならない」みたいな偏見がはびこっているからです。
だから何にも言わないのが得策なのです。女の子が好き。以上。みたいな。

 

最近、LGBTに新たに代わる言葉ができたそうです。
SOGI と言って Sexual Orientation Gender Identity の略で、日本語にすると「性的指向&性自認」になります。
まー今まではすげえ大雑把に レズビアン ゲイ バイセクシュアル トランスジェンダー の頭文字を並べてただけだったのが、世の中にはもっとたくさんの性的指向と性自認があるよ!!ってことでこの言葉ができたらしい。
いや本当にその通りだと思う。
自分の周りで思いつくだけでかなりの数の、LGBTっぽいけどLGBTのどれにも当てはまらない人がいる。
「女装趣味で女の子としかセックスしないけど、自分のちんこは一切使わずペニスバンドで犯してもらうのが基本スタイルの男性」

「FTM(女から男になった人)か男性が恋愛対象の女性」
「見た目も心も男性で女性を好きになって付き合うけど、セックスだけは男性とする男性」

とか細分化しすぎてて名前のつけようがないと思うんですよね。
ていうかもっともっと広げていったら、ヘテロセクシュアル、いわゆるノンケっていう大きなくくりの中にも「それってノンケじゃなくない?」みたいな人がいっぱいいると思うんですよね。
男女でセックスしてても、今日はなんか男っぽい気分だけど、今日は女の子みたいな気分、とかあってもいいんじゃないかと。

もうかれこれ十数年、日記をつけていて、読み返すと繰り返し「両性具有になりたい」と書かれている。初めて書いたのは多分中学生の時。
両性具有って最強だよね。男であり女であり、どちらでもない。ああ、私は両性具有になりたい。それだけは確かだ。
でも両性具有になったらなったでレズセックスしてる時特有の背徳感だったり興奮みたいなのが薄れちゃうのかな、じゃあ今のままでいいや、ってところを振り子のように行ったり来たりしている。

シスヘテになりた〜い、ってのは単純に恋愛市場のπが大きいからです。
ややこしいSOGIを持ち合わせると、パートナーが欲しいな〜って思ってもまずはそのパートナー候補がいると思しき場所を探し、ようやくたどり着いても必ずマッチするとは限らず、途方にくれるからです。
私はただ可愛い女の子と綺麗な女の人と美少年が好きなだけなのにな〜

もしも来世があるのなら、カタツムリに生まれ変わって、ややこしいことを一切考えず、雌雄同体の素敵なパートナーと巡り合い、交尾をして卵を産んで雨を喜び道端で一生を終えたいです。
おわり。