今夜、どこで寝る

旅と踊りと酒

才能なんてふってこない

才能だとか天才だとかいう言葉があんまり好きじゃない。
努力とか根性とかいう言葉は結構好きです。

 

そもそも才能ってあるのかなあ、あるとしたら「センス」の方がしっくりくるなあ。
何もしなくてもそれができちゃうことを「才能」って呼ぶのは、言葉を選ぶ手間を放棄している感じがして嫌だ。

 

働く男 (文春文庫)

働く男 (文春文庫)

 

 

テレビをほとんど見ないので星野源さんがどのような人かあまり知らないんだけど、書店で積まれているこの本を手にとって面白かったので買って読んだ。
冒頭で、文章が上手い人に憧れていて「書く仕事」をしたいと思ったけど周囲の人には「お前にはそういう才能はない」と言われ、それでも気にせず奮起し書き続けたというエピソードがありました。
結果、少しずつ自分で営業していって彼は今こうして何冊も著書を出して、文筆家という肩書きでも活動してる。

つまりそれだよ。
かっこいいものを書くことが才能なんじゃないよ。
書きたいことを書き続けることこそが「才能」なんじゃないの。
才能があってもなくても、書きたくて、やりたくて、どうしても続けてしまう。
誰に見せるわけでもなく書き続けたからこそ今があるわけで。
「才能がある・ない」なんて陳腐な言葉で何かを諦めたりしたくない・して欲しくないなー。
としみじみ思った。

 

例の記事を書いた時に、ブックマークコメントをたくさん書いていただいて一通り目を通した。
内容についてもびっくりするほど皆肯定的で驚いたし、「文章が読み易い」「文章力がある」「パワーがある」などの言葉を見て嬉しくてちょっと泣いたし、生きて書き続けてきてよかったと思った。
才能なんてない。多分。
何かがあるとしたら、誰に見せるでもない文章を、薄暗い部屋で暗く静かに書き続けてきたという事実だけだ。
そして何千冊という本を読んだこと。別に何のためでもない。
本を読むのが好きだから。一番心安らぐ娯楽だから。
それがもし自分にとって苦痛な行為だったら努力なんだろうけど、本を読むのも文章を書くのも食事・睡眠・排泄と同じ行為に成り果てたので、何も苦に思うことはない。
「努力・根性」という言葉は好きだけど、何かを無理やりやってやる!とはそんなに思わない。
綿密な計画を立て、地図を何度も確認し、荒れ果てた大地を一本の鍬で開拓してくのが好きなだけだと思う。
しかも、誰も分けいらなさそうな、未開の地を。

ニホンジンドットコムさまの連載に続き、
胸が大きい女性向けのアパレルブランド「ハートクローゼット」さまのオウンドメディアでもコラム連載をさせていただけることになりました。

blog.heart-closet.com

肩書きが文筆家。
ぶ、文筆家…!
こちらハートクローゼットさん側がつけてくださったんですが、まあ素直にめちゃめちゃ嬉しかったです。
私はどう転んでも「ライター」にはなりたくてもなれない、と思っていて、それはライターの人みたいにいろんなことに興味を持って取材をしたり人のことを深く掘り下げること、依頼を受けて記事を書くことにあまり興味がないからです。
ライターみたいなこともしていたけど、結局自分が楽しく文章を書けるのは、自分のこと、自分が経験したこと、自分が感じたことをベースにしたことなんだなあと。
興味のないことを書かなきゃいけないくらいなら、書きたいことを好きなだけ書く方がいいや、とおもってブログを始めたので、ああ、まさかこんなことになるとは。
人生何が起こるかわからねえ。

昔、知り合いの編集の人に書くことを仕事にしたいと、書いたものを見せて相談した時に
「ブログばっかりやってちゃダメだ、縦書きの文章を書きなさい」
「まずはライターの仕事をして筆力を磨いた方がいい」
と言われたのに結局どちらも続かなかった。
しかし、しかしだ、今私は限られた場ではあるがなんとまあ文筆家。浮かれる。
ああ、あの人お元気にしてるのかなあ。
ライターも続かなかったし、ブログばっかり書いてたけど、どうにかなった上に「自分のフレーバーがある文章」でご飯を食べていけるかもしれない感じですよ。
それが何より、嬉しいな。
自分が書きたくて書き散らかしたものでお米が買えることが。
これからも書きたいことだけ書くぞ〜。
おわり。