今夜、どこで寝る

旅と踊りと酒

「Only lovers left alive」が好きすぎてモロッコのタンジェに行った話

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2014年2月、私はどん底にいた。
様々なことがあまりに上手くいかず、すべてが絡み合い、精神的に追い詰められていた。希死念慮さえあった。しかし実行に移すわずかな気力すらわかなかった。

無職ではなかったが予定していたことが次々とキャンセルになり何もすることがなくなってしまい、茫然自失の日々をしばし送った。

ストレスで眠れず、少しうとうとしても浅い眠りを繰り返し、わずかな物音で飛び起きてしまう。

ただ眠りたかった。何も考えず、死んだように。何かを考えたくなんてなかった。頭ばかりが動き、心が死んでいた。音のない世界で、誰もいないように感じられる場所で、深く深く、眠りたかった。


そんな時、私の心を慰めて、精神的な死の淵から真に救ってくれた映画が三つある。

パブロ・ヘルべル監督「Blancanieves」
井口奈己監督「ニシノユキヒコの恋と冒険」
そして
ジム・ジャームッシュ監督の「Only lovers left alive」

 

この三作品がほぼ同時期に公開していたことは本当に奇跡だったと思う。
一見、なんの共通点もなさそうなのだけれど、この三作品には「静けさ」という確かな繋がりがある。作品全体に張り巡らされた静けさ。それが私の心を何よりも慰めた。
ブランカニエベスとニシノ君については別途語るとして、今回はオンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブについて書く。

 

様々な映画レビューでこの作品について語られているけれど、私にはそんなに専門的なことはわからない。
ジム・ジャームッシュ監督の映画を見るのも初めてだった。

 

物語は数百年以上生きている美しい吸血鬼のカップル、アダムとイヴの生活を追う。
アダムはデトロイトの広いアパートで楽器を弾き、人目を避けながらもミュージシャンとして活動している。
イヴは本が好きでモロッコのタンジェに暮らしている。
離れて生活する二人だけど、iPhoneを使ってテレビ電話をしたりテクノロジーを活用することもある。
また、人間を襲って血を吸うことはなく、汚染されていない血液をドクターから仕入れて飲むなど、現代に生きるヴァンパイアとしての在り方、二人が思う「吸血鬼としての矜持」が描写される。

 

物語の最中、様々な作家や音楽家、歴史などの引用が山のように出てくるけれど、それらが全くわからなくてもすごく良い。
作品全体に張り巡らされた退廃的で静かで美しい雰囲気と、気だるい音楽がこわばった脳をゆるませてほどいていく感覚になる。

 

ある事件がありアダムとイヴはデトロイトを出てモロッコ・タンジェへ向かう。
夜行便を乗り継ぎ、狭い路地が入り組んだ迷路のような旧市街、メディナの中にあるイヴの隠れ家へ向かう。

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そのタンジェの裏路地のシーンを初めて見た時、鳥肌がたった。
最初は映画の冒頭、ティルダ・スウィントン演じるイヴが一人でタンジェを歩いている時だった。
深夜のタンジェ。オレンジ色の街灯が白い壁を照らしている。すれ違うのがやっと、という感じの細い路地を、スカーフをかぶり目だけを出したイヴが歩いていく。
すれ違う男たちが声をかけ彼女をじっと見つめ、やがて目をそらす。

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余計な音は何もない。人はいても街が眠っている。
静けさを壊さぬよう、空気をかき乱さないように歩く術を吸血鬼であるイヴは知っている。それは気配を消すことなのかもしれない。息を殺すことなのかもしれない。あるいは、私たちが知り得ない吸血鬼だけにできる特別なスキルの可能性もある。
生きていてそこにいても、まるで存在していないかのような儚さ、それなのに目を離せなくなるような存在感。
イヴの振る舞いは私を相反する気持ちにさせた。

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ここタンジェに来てみてわかったけれど、この街の人々はとにかく人を「じっと見る」。
私が観光客というのが主な要因だろうけど、余所者らしき人をとにかくまっすぐに見つめる。
それは「こいつから金を取れそうだ」という下心だけでなく、どこの誰ともわからないよそ者をつい見つめてしまう物珍しさもあるのだと思う。じっと見つめることで、その人の人となりを無意識に見極めようとしているのかもしれない。


映画の中のイヴもその視線からは逃れられない。

しかし、人々は一瞬は彼女を見つめるものの、視線を外してしまう。
それは人の持つ恐怖心や本能が、彼女を
「見つめてはならない」
存在だと気付かせるからに他ならない。
タンジェに住まう人々は、見つめることでイヴがどんな存在か、頭ではなく体でわかってしまうからだ。捕食される側の気持ちになる。彼らの目や心は研ぎ澄まされている。その人が金を持っているか、言うことを聞きそうか、自分に害を為す恐ろしい存在かどうかはただじっと見つめればいい。頭で考えず、心で感じる。

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イヴが歩いていた裏路地を私も見つけたいと思った。静けさが支配する場所。
細い路地へ入れば入るほど、後戻りできない、どこかへ迷い込み二度と帰れないような心細い気持ちになった。
あと少し、あと少しだけと歩みを進めたけれど、体が言うことを聞かず入れなかった場所もある。頭では考えず、心の感じるままに。

 

いくつかのブログで「タンジェは泊まるような街じゃない、特に面白いものはない」と書いている人がいた。
確かに、特筆すべきスペシャルなものはないかもしれない。ジブラルタルに隔てられたスペインの対岸の港町。アフリカの入り口。吸血鬼が潜んでいそうな細い路地と静かな夜更け。人々の強すぎる視線。人懐こい野良猫。写真を撮ると怒る酔っ払い。
頭で考えない場所。心で感じる場所。

 

これ、というスポットがないと楽しめない人はタンジェをすっ飛ばして青い街「シャウエン」に行くのもいいかもしれない。
けれど私にとっては、この誰もが通り過ぎる、怪しくて小汚くて猥雑な街が、その静けさがひととき何よりの救いだった。
ここで眠りたいと思った。街が完全に死んだ真夜中に取り残されたかった。
今夜、その夢が叶う。
おわり。