今夜、どこで寝る

旅と踊りと酒

18歳の時に一年ニートしてたら悟りが開けて自己肯定感が降ってきた

なんにもやりたいことがなかった。
高校を卒業した年の春、正式にニートになった。働きたくもなく、学ぶ意欲もなく、家で漫画を読むだけの機械みたいになっていた。
料理は好きだったので、ご飯だけは自分で作ってた。あとは何してたかな。思い出すために当時書いてた日記をみたら、暇すぎて毎日2記事くらいアップして思いの丈をぶちまけていたようです。

 

実家が嫌いだった。いつもギスギスしていて、顔色を伺って、何かあったらすぐどこかに逃げ出せるように行き場所をたくさん作っていた。友達の家とか夜遅くまでやってる本屋とか、河原、校庭、公園、どこでもよかった。ものすごく遅く帰ってもあまり何も言われなかった。
ぼんやり留学したいなーと思っていて、英会話に1年通ったのもあって少しは英語もしゃべれるようになったし、海外で暮らしてみたいなとうっすら考えていた。実現可能かわからなくて、調べるだけ調べて、結構お金かかるんだなーとか思って心が折れそうになった。貯められるものなのか、これは。田舎でただダラけているだけでは到底無理そうだな、でも行きたいな。この家じゃないところに住みたい。ここから離れたい、できるだけ遠いところへ行きたいな。毎日毎日、何もしないけど、そんな風に考えていた。

 

お金はないけど時間だけは唸るほどあったので毎日ネットして何か書いて後の時間はゲームするかアニマックスを観ていた。攻殻機動隊とか新世紀エヴァンゲリオンの連続放送を夜中にぼんやり観ていた。
タチコマってアニメの1stシーズンはAIが個体それぞれに搭載されてるんだよね。だから「並列化させてよ〜」とか言ってケーブルみたいなのでお互いをつないでそれぞれの記憶を共有したりする。2ndシーズンからは、AIをそれぞれの個体に搭載していたことで生まれる記憶の個体差が弊害になると思った素子が、AIを衛星に搭載して、常にクラウドにバックアップしてるみたいな状況を作った。いつでも並列化できるし、これで個体差なくなるね!みたいな話だった気がする。
攻殻機動隊の世界では、体は機械になり、その体が何度変わっても、脳殻があれば、それが自分だ、それこそが自分だと証明するものなんだ、みたいな世界観。自分というものはいつも自分の中にある。自分が自分であるということの証明は、自分自身が持ち合わせてる、みたいな。それでも、時々自分が自分なのか不安になって、素子みたいにずっと同じ腕時計を大事に身につけたりするのが、なんだか人間らしくて素敵だなって思ってた。私も外部記憶装置を持ちたいと思った。
でも、この世界で、私たちはまだ生身の体で、脳みそは死ぬまで同じ体に搭載されたまま。機械の体が羨ましかった。自由に飛んだり跳ねたりビルから飛び降りれる体が。

 

今となっては生まれたことの意味は自分で決めちゃえよ、と思えるけど、この時は本当に「なぜ自分は生まれてきたんだろう」と真剣に悩んでいた。自分がこの世に生まれた・今ここにいる・生きている理由、意味をひたすら考えたり、どっかに求めたりしていた。そしてそれらを、肉親だったり友達、恋人の中に見出せないなら死ぬべきだと思っていた。本気で。意味を持たないものはこの世に存在しちゃいけないんだって。
血縁上の父と大喧嘩をし縁を切られた直後で、ああ、私は望まれて生まれてきたわけではないんだ、この人に私は愛されていない、必要とされていない。と絶望していた時だった。
夜中にアニマックスを観ていた。その日も攻殻機動隊SACを放送していた。どの回だったか忘れたけど脳殻を入れ替える描写があった気がする。
ふとした瞬間に、「あ、私、望まれて生まれたきたわけじゃないけど、それでも私の体とか考えは何も変わらずここに在るな。」と思った。
自分の核、攻殻的に言えば「ゴースト」だったり「電脳」そのものが、他人の中にあるなんてありえないのでは?私は、そこにはいないのでは、っていうか私ってここにいるのでは?私、ここにいるじゃん。今なうココ。
生命というものが私という名を付けられたその瞬間から、その存在理由や意味は自分の中に持っているものであって、誰かから定められたり誰かから生み出されたり、誰かによって否定されたり壊されたり侵害されないものなんだってこと。
もしくは誰かに、その「意味・理由」の有無をみだりに問いただされたりしない類の、性質の、最終的に自分でわからなかったり、不確定で不安定なもので良いということ。
それは自分で勝手に定めていい性質のものだってこと。
自分でどっかから見つけてきてもしくは作って、自分でそこに置いてみてていいものだってこと。そういうことか〜!って思ってそれもまた日記に書いた。
その数日後にエヴァンゲリオンTVシリーズの最終話が放送されていて、シンジくんが「僕はここにいてもいいんだ!」と高らかに叫んでいた。そう、僕はここにいてもいいんだ。マジか。それだわ。それしかないわ。っていうか「僕はここにいる」だわ。シンジ君すごいわ。同じこと今思ってたよ。思ってたよ〜!!!!と心の中で私も叫んだ。私はここにいてもいいんだ。というか、私は、ここにいる。何もしてないけど。毎日GS美神を一気読みしたりしてるだけだけど、ここにいるよ。ここにいる。おめでとうおめでとう。

状況は何も変わっていなかったがこの日を境に私は少しずつバイトをするようになった。着ぐるみに入って風船を配ったり綿菓子を作ったりホテルの宴会場でお給仕したりした。ちょっとずつだけどお金を貯めて、英語のテストを受け始めた。学校を決め、住む場所を手配し、航空券を買った。そして、留学した。
実家を離れてみたら何もかもすごくラクになって、貧乏生活で大変ではあったけど毎日すごく楽しかった、ムカつくことすら楽しくて、留学できて本当に良かったなと心から毎日思って暮らした。
あの日あの時あの場所で、毎日アニマックス見てたから、私はここにいます。ここにいるよ〜!!ありがとう、アニマックス。おめでとう私。

おわり。

裸は楽しい

全裸で泳ぐのが好きだ。夜と朝の境目に、人気のないビーチで。何にもないなーと思ってぬるい水の中に体を投げ出すのが気持ちいい。
そういう自分の感覚に訴えること、気持ちのいいこと、心地いいこと、たくさん知ってるといざという時強いなと思う。ドン底に投げ落とされて泥まみれになって這い上がらなきゃいけない時も、それさえあれば。というものがあれば、少しは希望が持てる。
嫌なことがあったら服のまま海に飛び込んでしまうし、何でもかんでも禊だ!と言って塩水に浸かれば、大体のことはどうにかなる。大体は。どうにかする。楽しい、気持ちいい、嬉しい、を、たくさん持っていたい。生きていくために。

雨が降っているのでおセンチなきもち。
明日からしばらくは忙しくてブログ書けなさそうなので、その分たくさん体を動かすことを楽しんでこようとおもいます。
ああ、やりたいことがやまほどあって、体が足りないよ。
おわり。

朝起きる生活ってすごい

何がすごいって、いろんなことをこなしてもまだまだ時間が余ってる。

8時半くらいに起きて、お散歩して近所にモーニング食べに行って、お茶をすすりながらブログ書いたり仕事したりネット見たりして、そろそろ一回うちに帰ろうかな〜と思っても、まだ、12時…
出勤まであと8時間もある!!と驚愕する。
家に帰って掃除洗濯、冷蔵庫整理したり、ゴミまとめたりしたとしても、多分、14時くらい…
で、暇になったしPOIでも見るか、とiPadでジョンの活躍を見守ったり映画を見たり。
そうこうしてると16時くらいなので1時間〜2時間昼寝。
起きて、ぼんやりしながら化粧して軽く夕飯食べてダラダラしてから出勤。
踊るしゃべる騒ぐ飲む。
帰宅。クナイプ入れて即お風呂。最近は温冷浴にハマっている。ボディケア。歯磨き。2時半には就寝。
このリズム感がかなり健康に良いらしく、内臓の調子も肌の調子も良く、わりかし寝つきも良い。朝起きるって良いことだらけだな。

数年前までは本当に朝起きれなくて、朝ごはんなんて何年も食べてなかったし、良く考えたらその頃は自律神経もぶっ飛んでたしとにかく毎日生きることに必死で寝れるだけ寝てないとダメな体だった。
今は自分の体と向き合う時間と余裕がある。おかしいな?って思ったらメンテする習慣もある。

体は基本、一人に一つ、一生同じの使ってくしかないので、こまめに面倒見てメンテして気にかけていきたい。
気をつけてることはとにかく風呂に浸かる!嫌なことがあったり神経が高ぶったら必ず風呂に浸かって水に流す。食べ過ぎたと思ったら食事量を減らす!野菜は多め。ストレッチは何かしながらやる。嫌いな人とはご飯に行かない。MPがなくなってきたら全ての電源をオフにして引きこもって寝る。誰とも会わない話さない日を作る。などなど。

自分の心と体を守る術を身につけられたことを、この数年間の自分に感謝する。
おわり。

ポールダンサーにもヒエラルキーがある

先日、会社員を辞めてポールダンサーになった経緯の記事を書いた際に「ポールダンサーはみんなキラキラして見える」というコメントをいただいた。
世間様のイメージするポールダンサーはキラキラしていて、リア充っぽくて、派手で、スタイルが良くて、筋肉質で、イケイケで、セクシーな感じなのだろうか。
もちろんこう言うタイプのポールダンサーはいる。確実に存在している。だが、こういうタイプばかりではない。ポールダンサーにも明確なタイプ分けというか、ヒエラルキーが存在しているように感じる。三角形の上から順に説明していきたい。

 

タイプ1 キラキライケイケポールダンサー
派手髪、インスタに踊っている動画を頻繁にアップする、テレビに出ている、大会などでの入賞経験がある、大箱でレギュラーの仕事を持っている、イベントのメインゲストとして呼ばれた経験がある、などなどの要素を持つ名実ともに強めでキラキラしている系。ヒエラルキーの頂点。
スター性、カリスマ性があり、同じポールダンサーからも尊敬される。彼・彼女らのワークショップは常に人気で満員であることもままある。同じイベントに出られたら恐縮、自分の出演を見に来てくれたらドキドキして踊れないかも!と騒ぐ子がいるほどのキラキラ感。海外の大会に出るなど国際的な感覚も持ち合わせている。

 

タイプ2 クラブとお店半々出演派
普段は決まったショークラブに出演し確実な定期収入を得ながら、週末は小箱〜大箱までクラブや各種パーティに出演するバランス重視タイプ。
フットワークが軽く地方に遠征するなどいろいろな場所に出演することが多い。インストラクターをやるなどサブ収入を持っている子もいる。基本的にはポールダンスのみで飯を食っており、昼働いている子の割合は少なめ。GOGOダンスというポールの無いフロア盛り上げ役やテキーラガールといったクラブで働く仕事を入れている子もいる。

 

タイプ3 昼職ありの週末ポールダンサー
昼間は会社員をやりながらレッスンに通い、週末のみパーティに出演するライフスタイル。会社員と一言に言ってもその職種は幅広く、今思い返せるだけでも事務員、医者、助産師、会社社長、アパレル、美容師、看護師、IT、飲食、英会話講師…と一通りいる。そして、週末のみの出演だからといって人気がないわけでなく、毎週末パーティ出演に引っ張りだこであったり、大会で優勝するほどの実力を持ち、さらなる飛躍のため海外へ移住する猛者もいる。昼間の生活をこなしながらも、日々の練習を欠かさないなど、ポールダンスへの情熱は計り知れない。

ざっくり分別するとこんな感じか。ヒエラルキーと書いときながら、どの層がエラいとかはないが、そこには間違いなく「収入の差」がある。とはいえ、タイプ2の中にもタイプ1の子より稼いでる子はいると思うし、ざっくりした分類なのであくまでご参考までに。

その他カテゴライズできるとしたら「派手系」「サブカル系」「大道芸系」「アングラ系」「大御所」とかかなあ。
また、よく聞かれるけど男のポールダンサーもいるし、めちゃめちゃ活躍しているし、FTM(女から男に性転換した人)のポールダンサーもMTF(男から女に性転換した人)のポールダンサーもいる。人妻もいる。
最近は大会にキッズ部門ができて、キッズポールダンサーたちの活躍も目覚ましい。体が軽いのでいろんなことをひょいひょいこなせるし、今後に期待したくなる。
最近話題になった70歳のポールダンサーともこさんもいることで、シニアもガンガンポールダンスしている。
もはや年齢性別は一切関係ない。ついでに言うと運動経験もいらない。からだ硬くても問題ない。
なぜならそれらはやっていくうちに身につけていくものであり、最初から備わってる必要なんてないからだ。
私も運動経験ゼロで始めた。

何よりポールダンスは、楽しい。
ぜひ一度ご体験あれ。

アメリカから帰ったらリア充の父親が死んでた話

2015年9月某日、成田空港から鈍行で東京方面に戻っていた私は母親から「帰国したらなる早で電話したいことがある」とのLINEに、日暮里で下車し、電話をかけた。
母親は申し訳なさそうに、「あんたの父親死んだらしいんだけど、告別式行く?」と言った。思わず駅のホームで「えー!死んだって。死んだってマジ?えなんで?」と結構大きな声で叫んでしまった。心底びっくりした。
とりあえず告別式には行くと伝え電話を切り、その場にへたり込んでしまった。死んだって。嘘でしょ。死んだの。あいつ死んだの。
そしたら、もう二度と、仲直りできないじゃん。もう二度と、会えもしない。手が震え、口が渇き、人目も憚らず嗚咽した。5分、その場で呆然とした後、私はまた電車に乗った。

 

アメリカはとても楽しかった。ラスベガスで年に1回行われるポールダンサーの祭典「POLE EXPO」に参加し、世界チャンピオンから直接教えてもらえるレッスンを受けたり、ポールダンスの世界大会を見たり。夜はシルクドゥソレイユのZumanityを見て、ストリップをはしごして、友人たちとホテルのプールサイドではしゃいだ。
ラスベガスの後は一人でセドナまで足を伸ばした。昨今はパワースポットとして有名になった彼の地でトレッキングを楽しんだ。山登りって最高だな、岩に登るのも面白いな!と毎日どこかしらのトレイルを歩いた。からっからの空気、セドナの澄んだ青空が今でも目に浮かぶ。
そんな風にして2週間めちゃくちゃアメリカをエンジョイして帰ってきたら、仲たがいしたままの血縁上の父親が、死んでいた。もう火葬も済んだ後だった。運良く日取りの関係で、告別式だけ出席できそうな日程だった。

 

18の時に初めて父親に会った。夜の21時頃デニーズで。なんでも頼んでいいよ、と言われてなぜかパフェを頼んで食べたがパフェの味なんて全然わからなかった。父子でお茶といえばパフェだ!となぜか思っていた。
私は高校を卒業した直後で、1年後に留学したいので少しばかり留学費用を出してくれないかと連絡して会うことになったのだった。父親は出せることは出せるけど、本当に少ししか出せない、と言った。
その後出す出さないの金額でモメて、私は父親と電話で大げんかをした。あれはそもそも喧嘩だったのだろうか。思い返すだけで虚しくなるし、今でも後悔している。最後の言葉は覚えてないけど、電話を切られて全てが終わった。その後結局最初に言われた金額を払うから、二度と近づかないでくれ、という条件で彼と私の関係は終焉した。

 

40も半ばで亡くなった彼の告別式にはたくさんの彼の同級生が詰めかけていた。私はその中にそっとまぎれ込み、受付で香典を渡してできるだけ素早く会場内に身を潜めた。
「二度と近づかないでくれ」という言葉のリミットが今も続いているのだとしたら、この場にいるだけでも危うい。というか血縁上の祖父母にもおそらく疎まれているので、そもそも告別式に参加できるかもわからなかったのだ。追い出されるかもしれない、それも覚悟の上だった。幸いにも父の同級生の何人かが知り合いだったので、彼らの近くに座らせてもらって、それでも私はビクビクしていた。
参列者が大体着席し終わると、前方にスクリーンが降りてきて「故人の思い出ムービー」みたいなのが流され始めた。最近の告別式ってこんなことすんの?!と普通にびっくりした。司会の人が、一枚一枚映し出される写真に合わせて解説をしていく。
「故人○○さんはたくさんのご友人と甥、姪に囲まれとても充実した日々を送っていました。毎年夏は全国から同級生を集めてのバーベキューとキャンプ。火を起こすのは○○さんの得意技。今年の夏は甥、姪とカヌーで川下りもしました。ウィンタースポーツにも堪能でスノーボードの腕前はプロ級…」


この辺まで聞いて私の頭の中から厳かムードが消えていくのを感じた。
リア充!なんだこの!絵に描いたような!リア充野郎は!!!
こんな人だったなんて聞いてない!
その後同級生の送辞があった。よく日に焼けたイケメンが泣きながら父を悼み、早すぎる死を惜しみ、言葉に詰まって嗚咽を漏らした。来年もキャンプするって言ったじゃねえか。俺テント新しくしたのに…。と。彼の言葉で少しだけ笑いが起きて、そしてまた静まり返った。
父は、愛されていた。めちゃくちゃたくさんの人に愛されまくっていた。毎年キャンプをする友人もいた。スノボもやってた。こんなにたくさんの人が父が死んだのが悲しくて悲しくて葬式に詰めかけまくっていた。
私はそれまで父が許せなかった。憎かった。クソやろうだと思っていた。私も愛されたかったし愛したかった。でもそれは叶わず彼は死んだ。そして、もう許せる気がした。今から彼のことを父だと思って愛して許してもいいのかもしれないと思った。


「こんなに早く死ぬなんて聞いてねーぞクソおやじ」と焼香台でつぶやいてみたが、骨になった彼にはもう聞こえない。
肉体がある時は諦めていたのに、こうして彼が死んだ今、私は何かから解放された気がした、もう憎まなくていいし許していいし、本当は私も父を愛したかった、娘として愛されたかったと認めていいんだと思った。もうこれ以上苦しまなくてもいいんだとなぜかホッとした。
精進落としに参加せずさっさと帰ろうとするところを、送辞を読んだイケメンに呼び止められ、「来てくれてありがとうな」と言われた。イケメンはまた泣いた。私は泣かなかった。会釈をして、外で待っている母の車に乗り込んだ。

 

人生は思ったよりも短い、と強く思うようになったのはこれがきっかけかもしれない。私は現世ではもう二度と父に会えない。死は予告なしでやってくる。
月並みの言葉だけど、死んだ後ではもう遅い。
かといって父が90とかまで生きてても仲直りできたのかな?とも思うし、これで良かったのだと思ってる。
私は父と母から生まれた。それだけで十分な気もした。

ここ数年は近しい人が亡くなることが多く、気落ちすることもあった。
でも気付いたのは自分自身もいつ死ぬかなんてわかんないんだなーということ。
明日隕石が落ちてくるかもしれないし、道にトラックが突っ込んでくるかもしれないし、余命3か月かもしれないし、なんでもいいけどいつ死んでも悔いのないように私は生きている。
時々父の告別式を懐かしむ。あんなに愛されて、父は幸せだったんだな。
心の底から羨ましく思った。
自分の葬式は派手に楽しく、みんなの思い出に残るようなやつをやりたいな。
おわり。

心の泉に石を投げ込むように踊ろう

いつも踊ってる時に心がけていることがあって、それは、顔も名前も覚えてもらわなくていいから今夜私を見たことだけ記憶の片隅にずっとあってほしいな、そんな踊りを踊ろう、ということ。
ポールダンスに限らずショーは基本的に一度限りのもので、二度と同じものを見ることはできない。同じ振り付け、同じ曲、同じ衣装で踊ることはあっても、それは前のものとは全然ちがうものなんだよ。マッキーも言ってるけど「一秒前の君にはもう二度と会えない」。
それはステージの上から「私を見て!」と叫ぶのではなく「私はあなたを見ている」ということなんだと思ってる。踊ってる間私はずっとあなたを見てる。あなたのために踊ってる。そして私自身のために。だからあなたから目を離さない。あなたも私を見ていてね。そんな風に一人一人の目を見て踊る。
たぶんだけどこのタイプのダンサーは、少ない。(少なくともポールダンスに限った話)入り込んで入り込んで、誰とも目を合わさず、自分の中の自分と手を取り合って踊ってるタイプの人が結構いる。それもすごく良い。何かが降りてきてる感じがする。
でも私個人の好みで言えば、がっつりお客さんの目を見て踊ってくる人のが好きだ。心を掴まれて射抜かれてブンブン振り回されて、最終的に放り投げられて置いてけぼりにされる感じが好きだ。優しくない。自分と手を取り合って踊ってる人のが「ショー」かもしれない。ちゃんと見せてるかもしれない。目を見て踊るってなんだか一種の暗示だったりするような気もしている。心の奥底の綺麗な泉に自分の名前を書いた石を放り込まれるような感じ。放り込みたいし、放り込まれたい。そんな踊りがしたい。

 

昨日書いた記事がめちゃめちゃいろんな人に読んでもらえたみたいで、すごく嬉しい。ポールダンスに興味を持ってくれた人もいるようなので、ぜひ、お近くのポールダンスが観れるお店へ足を運んでみてください。その時はダンサーにチップの一つも挟んであげてね。1000円あればお米が2kg、3000円でプロテインが1kg買えますので。

 

毎日コツコツいろんな話を書いていこうと思うのですが、とりあえず思いついている今後のラインナップとしては


・アメリカから帰ったらリア充の父親が死んでた話
・「私は自分が好き」と言ってたら彼女にフラれた話
・ポールダンサーにもヒエラルキーがある
・18歳の時に一年ニートしてたら悟りが開けて自己肯定感が降ってきた
・ポールダンスの大会で優勝しても全然お金にならない
・カラダ一つで食っていけるようになりたかった
・そもそもポールダンスってどこで見れるの?
・普通に男の人と恋愛してセックスして結婚したかった
・ここではないどこかに行きたくてペルーに行った
・家族から逃げたくてイギリスに住んだ話
・2年半付き合った彼氏にフラれてタイのビーチリゾートに行った話
・幸せとは自分が何が嫌いで何が好きかわかっていること
・新興宗教オモイデ教を映画化してほしい
・インド仏教界のトップ佐々井秀嶺さんのルポ「破天」がエロい
・自分も他人も許せる人が天下を統一する
・バスタ新宿はコンビニとカフェと本屋と薬局が入ったら最高の場所になる
・死ぬ時は何も持っていけない
・ストリップがすごくいい。何ならやりたい。
・自分に正直に生きてないと人生が詰む
・良いポールダンサーの条件は飯が食えることだと思う

などです

どうぞよろしく哀愁

おっぱいが大きかったので会社員を辞めてポールダンサーになった話

もう時効だと思うし、この話をこれ以上胸に秘めておきたくないので書いておく。
おっぱいが大きくて悩んでる皆様、そして会社員を辞めて好きなことをしたい皆様に贈ります。

追記
2018年11月21日、書籍化しました。

 

2011年の7月、私は渋谷のITベンチャー企業をやめてポールダンサーになった。
辞めたいことを伝えた6月上旬、上司との面接で「どうして辞めたいの?」と聞かれて、「ポールダンスに専念したいので辞めます!」と言った。上司は困り顔と笑い顔の中間みたいな顔をしてた。そりゃそうだ、入社からまだ半年しか経ってない。
確かに、私はそれまで趣味で1年半ほどやっていたポールダンスをもっと頑張りたい!と思っていた。折しも311、東日本大震災の直後。自分が受け持っていたウェブマガジンやSNSの運用と言った仕事は、地震の直後にあっという間に中止や延期になり、会社の中での自分の存在意義を危うく思った。命の儚さ、人生の短さを感じ、人間はいつ死ぬかわからない、だったら好きなことをやらなければ…と強く思っていた。
でも、会社を辞めたいと思った理由は、本当はそれではない。
本当は同期の女の子にブログで「おっぱいちゃん」と呼ばれていたからです。

 

話は311の直後にさかのぼる。
地震が起きたことで電話の回線が繋がりづらくなり、3/11以降も余震が続いていた当時、
「電話はつながらなかったけどtwitterで連絡が取れた」
「skypeだったら通じた」
と言ったSNSやウェブを介してのコミュニケーションが、地震直後は有効だという流れがあり、
「何かあった時のために社内でtwitterのアカウントをフォローし合おう!」
ということに決まった。
twitterを活用しまくっていたので、プライベートに踏み込まれてくるみたいでめちゃくちゃ嫌だった私は、会社用のアカウントを作り社内の人と仕方なしつながった。
それで件の同期の女の子のtwitterもフォローすることになった。
彼女は特にアカウント分けもしていないようで、本名をもじったHNで日常のことや会社のことなど屈託なくつぶやいていた。
会社用のアカウントなんて見ていても何も楽しくないのでしばらく放置していたんだけど、ある時ふと覗くと、その同期女子がブログを更新したよ!とつぶやいていたので、何も考えずに見てみた。
今やっている仕事の話、観劇した日の日記など取り立てて面白い内容でもなかったが、へーこんなことやってるんだなあと読んでいくうちに、私は見つけてしまったのです。おっぱいちゃんを。おっぱいちゃんと呼ばれている私を。
それは内容としては他愛ないもので「今日同期の女の子(おっぱい)が仕事を手伝ってくれた」とか「おっぱいちゃんと一緒に取材に行った」とか、そんなんだったと思います。内容自体には、全く悪意とかなかった。本当に、普通の日記だった。
ただ一点、私がおっぱいちゃんになっていることを除けば。

 

本当にショックだった。
何がショックだったって、
「女の人からもおっぱい見られてるんだ…!!」
と、
「アダ名にするほどおっぱいが特徴なんだ…」
ということだった。


私のおっぱいは高校生頃から成長を始め、ぐんぐん健やかに大きくなり、お付き合いした人から「おっぱい大きいね」と言われるのとは別に、全く関わりのない人から注目を浴びることがあるのはわかっていた。自分のおっぱいが特別大きいと思っていなかったのに、ある時から「私、おっぱい大きいんだ…」と意識するようになり、そこに向けられる視線にも気づいていた。メンドクセーなと思いながら無視するようにしたし、あまりに執拗な場合はささやかな抵抗もした。ジロジロいやらしい目で見られるのは単純に不愉快だからである。それは体のどこの部位でも同じだろう。
それは男の人からの視線であり、女の人から見られることなんてないだろう、と思ってた、この時までは。
それが「おっぱいちゃん」ですよ。おっぱいちゃん。


私この時、昼は会社、夜はポールダンスのできるガールズバーでバイトしてたんですよ。会社の給料がまだ低かったのでお小遣い稼ぎが必要で。
夜のお店だから「セクハラ」って概念がないわけです。「かわいいね!」と「おっぱい大きいね!」が同じくらいの重さで浴びせられるわけです。おはよう!こんばんわ!と同列の「君何カップ?」なんです。いやいいんですよ。高い時給もらってたんで、そうやって言われるの仕事のうちだと思ってました。笑顔で答えてたし、あんまり気にしなかった。「それが仕事」だから。
ポールダンサーって、なんでかそんなにおっぱい大きい子いないんですよね。運動やってくうちに小さくなるのか、もともとないのか、どっちかはわからないけど。そんなわけで「あのおっぱい大きい子!」ってイベントで重宝されたりしました。ダンサーって見た目が大事だからね。同じ顔面レベルで胸が大きい子か小さい子だったら大きい方が見栄えするか、っていう主催者側の価値観で。
そんなわけで「自分のおっぱいはどうやら仕事になる」ってのがなんとなくわかってきていた時だった。でもそれはグラビアとか風俗とか直接的なものではなく、付加価値的に使っていく方が効率良さそうだとも思った。ポールダンスという芸があっておっぱいもある、とか、話が上手でおっぱいが大きい、みたいな。なんとなく、そういう自分の中の価値観を築いてきた矢先だった。

 

私への、同期女子からの評価は「おっぱい」なんだと。
カタギの、昼間の仕事の、真面目な職場ですら、彼女から見た私は「おっぱい」なんだ。
たかが半年しか一緒に働いていないとはいえ、もっと他にもあるんじゃないの?ないの?おっぱいなの?おっぱいちゃんなの私?他につけるアダ名なかったの?
え、ってことは、目の前のデスクに座っている男性社員や上司(男)から見ても、私っておっぱいちゃんなの?
夜の仕事みたいにおっぱいのこと笑って言われて笑って流さなきゃいけないの?
それとも陰でもう言われてるの?
この給料で????????????????
と思ったら、辞めますと伝えるまでそんなに時間はかからなかった。

 

私は自分のおっぱいが好きだ。愛着がある。でもそれは大きいからじゃない。かけがえのない自分の大切な体の一部だからだ。
毎日人に指をさされたり、やたらとサイズを確認されたり、おっぱいが大きいことにうんざりすることもある。でも基本的に、私のおっぱいは愛されていると思う。その価値がある。
もっと根本的な話をすると、世の中全てのおっぱいでありまんこでちんこでありカラだそのものでありその人自身は、一つしかない、一人しかいない、奇跡的な存在なんだから、自分で愛して自分で大事にして然るべきものだと思ってる。みんなすごいんだ。みんないいものなんだ。最高でしかないんだよ。

 

そんな最高な自分のおっぱいが粗末に扱われるのも嫌だし、給料も低いし、電車は嫌いだし朝も起きたくなくて、そもそも会社勤めに向いてないと思って、私は会社を辞めて、ポールダンサーになった。
ポールダンサーになった私のおっぱいにおっちゃんもお兄ちゃんもおばちゃんもお姉ちゃんも嬉しそうにチップを挟む。時に拝まれる。こんなおっぱいになりたいと綺麗なお姉さんに言われる。みんなニコニコしてる。私が踊ると喜んでくれる。
給料もいいし、チップももらえるし、みんな楽しそうだし、自分も楽しいし、ポールダンサーになってよかったな〜。
とりあえず踊り続けられるまでは、踊りまくるか。酒場の片隅で、おっちゃんが喜んでくれるようなのを、毎晩毎晩、踊れたらいいな。

こんな経緯で、今、私は踊って飯を食ってます。
おわり。

 

 

追伸

おっぱいが大きくて悩んでる人よ、私もまだ悩んでます。
ポールするときおっぱいが邪魔で、いっそ手術でとろうかと思ったこともある。
まあ、でも邪魔なんて言ったら可哀相だよな、だっておっぱいは私の一部なんだもん。誰かのモノじゃないんだもん。誰かを楽しませるためにあるんじゃない。私の一部なんだもん。ジロジロ見られるのは嫌だけど、今日もこのおっぱいと一緒に生きていくのです。一緒に楽しく生きていこう。

 

会社員を辞めて好きなことをしたい皆様
2011年1月、私はこれでようやっと夜の仕事から抜け出してまっとうな仕事ができる!これからは真面目に生きるぞ!昼職バンザイ!!!!!と思ってました。
半年後、私は仕事を辞めてました。他人には理解できないような理由で。
でもそれは他の人の価値観です、私の価値観じゃない。
他人の物差しで生きているとクソ疲れます。病気になります。下手したら死にます。
もしあなたが今本当はやりたいことがあってそのために会社を辞めたいのに辞められない理由が「他人には理解できない理由」なのだとしたら、他人なんかいないと思ってさっくり辞めて好きなことをしてほしい。
人生はやっぱり思ったより短いんじゃないかと思いますよ。Wish you luck!