今夜、どこで寝る

旅と踊りと酒

「そんなことないよ」と言わない

今日の記事は自分への戒めも兼ねております。

 

「私なんてダメだ」
「どうせ自分は捨てられる」
「私には何もない」
「みんなに嫌われてる気がする」

等々と親しい友人・恋人に言われたらどうしますか?

 

以前の私はそれを全力で否定し、褒めそやし、心の底から彼・彼女らを励ましていました。
「そんなことないよ」と。
みんなあなたのことを慕っているし、あなたにはこんな風ないいところがある。
あなたのこういう能力が素晴らしいし、あなたのこういう行動は素敵だ。
何よりあなたがあなたであることだけで、素晴らしいことでしょ。
あなたは世界に一人しかいないんだから。それだけで尊いんだから。

 

昔々、私にも自己肯定感がどん底の時期がありました。
そして友人や恋人に、
「私には何もない」
「私は生きてる価値がない」
「みんなに嫌われてる気がする」
「私なんてダメだ」
と言い散らかしていました。
「そんなことないよ」と言ってもらいたくて。
そうするとちょっとはマシな気分になれたから。
誰かに認めてもらえたような気持ちになれたから。

「そんなことないよ」
は、一時的な効力だけ高くて継続的には効かない麻薬みたいなものです。
心の底から自己嫌悪して愚痴を吐き散らしている時に言われると、気持ちが少し落ち着く。
けれどそれも長くは続きません。また言ってほしくなる。
何度でも「そんなことないよ」って言ってもらえないと、気が済まなくなる。
「そんなことないよ」って言ってもらいたくて、人を呼んだり話を聞いてもらうようになる。


「そんなことないよ」と言われた時の、たった一瞬の安らぎのために、延々と自己嫌悪を繰り返してしまうようになったら、かなり危ない状態です。
かさぶたをはがすのが気持ちいいからワザと転んで怪我をする、とかそういう状態に似ています。
絆創膏で治る程度の怪我ならいいけど、ワザと転ぶのにも技術がいるし、毎回かすり傷で済むとは思えません。
自己嫌悪が積み重なると、自分の手当てではどうにもならない大怪我につながります。


その先に行ってしまった人は、他人からの「そんなことないよ」では、怪我を治せません。
彼・彼女らのほんの小さな擦り傷、ありとあらゆる心の怪我を治せるものがあるとしたら、それは彼ら自身が持っている治癒力に他なりません。
自分がどこにどんなケガをしているか認識し、怪我の周りが汚れていたらよく洗って怪我の状態を確認して、部屋のどこかにあるオロナインを塗って絆創膏をつける。
もしそれすらも出来ない重篤な状態であれば、速やかに専門の病院へ行く。
友人知人に「痛いの痛いの飛んでけ〜!」と言ってもらっている場合ではありません。

多分これらは心理学の領域でいう「認知の歪み」のことなのかな、と思っています。
「そんなことないよ」と言ってもらいたがる人は、自分がなぜその愚痴を言っているのか、何が気にくわないのか、自分がどんな状況にあるのか、見えていないか見ようとしていない人が多いように感じます。
そして「そんなことないよ」と、彼らにその場しのぎのおまじないをしていた私は、彼らの傷口をいたずらに広げていただけに過ぎないな、と思っています。

 

だから私はもう「そんなことないよ」と言いません。
もし親しい友人に、
「私なんてダメだ」
「どうせ自分は捨てられる」
「私には何もない」
「みんなに嫌われてる気がする」
と言われたら、まず一通り話を全部聞きます。
そして、なぜそう思うのか、今そういう気分なのか、そう思うのにはどういう理由や出来事があったのか聞くようにしています。
ひとによっては話したいだけの人もいるし、何か言ってほしい人だっている。
「そんなことないよ」は、言う方にとっても言われる方にとっても、考える機会を失ってしまうフレーズに過ぎないのではないか、と思います。


何より世界は一つではない。
街や国の話だけでなく、様々なコミュニティや人種、学校、宗教で、一つの価値観があるところでは全く別のものになってしまう。
もし心の底から「私には何もない」と思ってしまったら、そのことを思い出す。
何も持たず生まれてきて、何も持って行けず死んでいく私たちが、今持っているすべてのものは借り物に過ぎません。
私たちはもともと何も持っていないし、今も、本当は何も持っていません。
だから「私には何もない」はある意味その通りで、それを不幸に思ったり辛く感じることはありません。
私たちの肉体ですら死後の世界には持っていけない。現世で綺麗に焼かれます。
何もないことはもはや美しいし、それなのになにも持っていない私の周りには素晴らしい世界や人々があふれている。一生かけても読み尽くせない本や観尽くせない演劇、会えない人、行けない場所がある。


私には何にもないのに、私の周りには、なんでもある。マジすごい。
だから今後「私には何もない」とか「私はダメだ」って言われたら、そうなんだ!マジすごいじゃんそれ!としか言えません。
自分に何もなくても周りには素晴らしいものが溢れかえっていて、飯が食えて、天井のあるところで眠れるって、超ヤバいですよ。
「そんなことないよ」って言ったら嘘になるので言えません。
「私はダメだ」も、ダメかどうか決めるのは私ではなくその人自身なので、何も言いようがありません。
ダメだと思ってるのが嫌なら、ダメだと思うのをやめたらいいよ、と言うようにします。

お互い何も持ってないけど、超恵まれてると思うよ。
空気のある星に生まれた時点でマジ感謝でしょ。
おわり。

【画像あり】アイスランド・ペニス博物館に行った話

こんにちわ。
2017年4月、現在、うっかり出かけた世界一周の真っ最中です。
noteで売文してるので良かったら買ってね!マガジンだとお得です。
加減がわからず、ものすごい文字数になりつつあります…

 

note.mu

現在はヨーロッパの左上にあるアイスランドに来ています。
アイスランドってどんなところか知ってますか?
私は映画「LIFE!」で知りました。

movies.yahoo.co.jp

出版社に勤める凡庸な主人公が、ありとあらゆる妄想を繰り広げていたのに、今度は妄想を上回る冒険に出かけることになり…って感じの話です。
いろいろあって主人公がアイスランドの大自然を駆け巡るんですけど、そちらは是非映画をごらんください。面白いよ!

そんなわけで映画も見て、ブルーラグーンっていう女子に大人気な泥パックし放題の巨大露天風呂にも行きたいな〜って具合でアイスランドまで来たわけですよ。
その辺はもう女子力の塊なわけです。
なんせアイスランドは「火と氷の島」と呼ばれてますからね。
なんだよそれ…フレイザードかよ…ってちょっと思ったけど…。
火山あり、氷河あり、山と海と大自然いっぱいの島、それがアイスランドなんです。
ドラクエ3で言ったらガイアの剣を投げ入れるネクロゴンドみたいな雰囲気です。


それでね、ブルーラグーンに行くためのバスターミナルをグーグルマップで検索していて、宿の近くにこんなものを見つけました。

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博物館。ペニスの。
しかも徒歩2分くらいの場所。
いやでも博物館って、伊豆とか熱海の秘宝感的なノリなんじゃないの?
と思って一応ググってみたら、かなり真面目に研究し尽くされた学術的な雰囲気とのこと。

日本を遠く離れ、次にいつアイスランドに来るかもわからない。
ブルーラグーンは午後からで、午前中は何もすることがない。

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きました。


日本語だと「ペニス博物館」
だけど、英語だと
「ICELANDIC PHALLOLOGICAL MUSEUM」

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そんなわけない。

google翻訳はちゃんと仕事してほしい。

この先は、ペニスの画像があります。
主に動物のペニスですが、全体図のどこかにホモサピエンスのものがある可能性があります。
めっちゃ拡大しないと出ないと思うけど、ホルマリン漬けな上近くで見てもそれとわからない感じです。あらかじめわかってれば分かるけど。
気になる方のみどうぞ。

 

入り口には小さなカウンターがあり、そこで入場料を払います。
ググった情報によると、現金のみで受付とありましたが、2017年4月現在、入場料もお土産もカードで支払うことができます。
入場料は1人1500ISK、約1500円でした。

中に入ると早速めっちゃスゴイのがお目見えします…。

 

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吉祥寺駅南口のキャバクラの店長に救われた話

高校を出てロンドンに留学し、ロンドンが寒すぎて日本に帰国した。
20歳の冬だった。
成人式の会場で人生二度目のインフルエンザに感染し、熱に浮かされながらも私はいかにして実家を離れるか、そればかり考えていた。

手持ちの金額は、日本円で5万円ほど。
イギリスの銀行口座にいくらかお金は残っていたけど、日本の口座に送金したりするのには手間も時間もかかる。しばらくは今持っている分でなんとかするしかない。
荷物は少しの着替えと、化粧品、それからPC。
小さなキャリーケース一つに収まった。
地元から東京へ向かう一番安い高速バスへ乗り込む。バス停まで送ってくれた母に「それであんた、いつ帰ってくるの」と言われ、適当にはぐらかした。

東京に着き、しばらくは友人宅に居候させてもらった。
行くアテも、やることも何もなかった。
ただ、上京したら水商売だ、と決めていた。
それが一番手っ取り早く現金収入を得られる手段だと知っていたからだ。
ロンドン滞在時には、現地の駐在員向けのホステスバーでウエイトレスとして働いていた。接客はないが、お客さんに気に入られればちょっとした会話もする。
雰囲気も分かるし、やることも大体は把握している。

事前に「夜のお仕事」専門の求人サイトで、幾つかお店を見繕った。
時給は高いほうがいいけれど、あまりに高級すぎるとついていけないかもしれない。
初心者OK、お酒は無理に飲まなくても大丈夫…そんなところを探していたら、吉祥寺に良さそうなお店を見つけ、電話をし、面接してもらうことになった。
待ち合わせ場所へ向かって飲み屋が立ち並ぶ通りを歩いていると、黒服と思しき人に声をかけられた。
「お店探してないですか?うち今募集してるよ。」
都会で人に声をかけられるのに慣れていなくて、私は正直に、これから別の店に面接に向かうところだと伝えた。
するとその人はその店の場所を教えてくれ、もしよかったらと名刺を手渡してきた。
うちもキャバクラだから、気が向いたら連絡してね、と。


お礼を言い、約束していた店へ向かうと、かなり古いビルの一室にその店はあった。
お店は広く綺麗だったけれど、店長だという人物はお世辞にも感じがいいとは思えなかった。
ちょっとしたことで物や他のスタッフに当り散らし、横柄に給与システムの説明をした。
わずか10分ほど相対しただけでうんざりしてしまい、とりあえず説明を聞いてその場を去ることにした。
はあ、ハズレだったな。求人広告は良さそうな感じだったのに…。
そう思い、トボトボと道を歩きながら、ふとさっき名刺を渡してくれた人のことを思い出した。
ああ、さっきの人は親切だったし、横柄な態度でもなかった。
できるだけ早く仕事をしたいし、連絡したら面接してもらえるだろうか。


名刺に書かれた番号に電話して事情を説明すると、彼は3分ほどで迎えに来てくれた。
案内されたお店は、先ほどのお店の半分ほどの広さだった。
それほど綺麗でもなく、新しくもないが、上品に整えられたお店だった。
椅子に座ることを促され、お茶を出されて、ちょっとした世間話をした。
どうして働こうと思ったの、と聞かれて、面接の一環だと思った私は、今までの経緯から家庭の事情まで全てを打ち明けた。
とりあえず友人のうちにいて、お金もわずかしかないから早く働ければありがたい、と。
そうか、そうか、と一通り話を聞いてくれて、少し考えてから、じゃあ、よかったら今日体験入店をしないか?と言われた。
体験入店とは、1日から数日、試しに働いてみてから本入店するかを女の子と店が双方考える「試用期間」のようなシステム。
通常、お給料は月払いだったり週払いだったり、まとめて支払われるけど、体験入店の際はその日のお給料をそのまま現金でもらえる。
女の子側としては、店と合う合わないを確かめるチャンスで、かつきっちりその日に決まったお金がもらえるというメリットがある。
店側としても女の子の接客態度や、店のカラーにそぐうかどうかを見極めることができる。
願っても無いチャンス、ぜひお願いします、と伝えてその日1日体験入店をすることになった。

化粧を直し、ドレスと靴を借りて、髪をセットしてもらう。
営業前に簡単な「夜のお店のマナー」を教えてもらった。
例えば灰皿を交換するタイミングや、ドリンクの作り方、何かを注文する際の合図のやり方。
大体のことは前のお店と一緒だったし、ドリンクをつくったり灰皿を交換することも慣れている。
20時になり営業が始まって、あっという間にお客さんが入り始めた。
平日でも結構な客入りなんだな、と驚き、あっという間に時間は過ぎていった。
慣れないながらも、その店のお客さんはかなり質が良く、とても優しかったので、何の問題もなく数時間を過ごすことができた。


営業が終わり、スタッフルームへ呼ばれ、その日のお給料をもらった。
どうだった?と聞かれ、楽しかったです、と答えるとそうか、と彼は言った。
この後どうするの?友達の家にもずっとはいられないだろう。
俺は女のところで過ごすから、俺の部屋にしばらく泊まるか?
と、言われ、びっくりしてしまい、いや、それは申し訳ないので、と丁重にお断りした。
君はまだ若いし、一生懸命だから、本気で稼ごうと思えばきっといい線いけるよ。
でも、本当は真っ当なこともできるんだから、考えなさいね、というようなことを言われ、まるで親族のようなことを言うなあ、と思った。
店から出て帰る間際、もうこんなところ来るんじゃないよ、と声をかけて、彼は店の中に戻っていった。

結局その店で働くことはなかったけれど、その後も何度か彼から電話がかかってきた。
ちゃんと飯を食ってるのか、とか、住む場所は見つかったのか、とか。
一度も、うちの店で働かないか、というようなことは言われなかった。
ただ無事に過ごしているかを確認するような連絡が時折来て、それはいつしか途切れたけれど、親にすら、自分が上京し暮らしていこうと思っていることを伝えていなかった身には、なんだか沁みるものがあった。
赤の他人のはずなのに、こんなに心配してくれる人がいるんだな。
世の中捨てたもんじゃないな。
「もうこんなところ来るんじゃないよ」という言葉に反し、私は水商売を続けているし、おかげさまで住むところもあり、ちゃんと飯も食っている。
若い女が、お金もない、住む場所もない、なんのアテもないままに上京してきたことで、もしかしたら騙されてしまうかもしれない、と心配してくれたのかな。と今は思う。
ただ、彼のかけてくれた言葉を時々思い出しながら、私は私が思う「真っ当なこと」をやれているかな、と確認しながら生きている。
おかげさまで、まだ生きてます。あの時、声をかけてくれてありがとう。
心配してくれて、ありがとう。
あの店まだあるのかな?いつか飲みに行きたいな。
おわり。

上手く話せないから手紙を書く

拝啓

私は話すのがすごく苦手です。
口から言葉を出して思いを伝えることがすごく下手です。
思ってることを話そうとすると、どもったりもたついたり、上手くまとまらない。
三分の一も伝わらないっていうけど、本当にそれな、と思う。
だから大事なことは文章にして手紙で渡す方が好きです。

と思っていたんだけど、それはもしかして自分の気持ちを繕いたいだけなのかな、と思うときもある。
感情のままにバーッと話してしまうと、相手を傷つけすぎたり、本当のことばかり言って相手を追い詰めてしまっていいことがない。
本当のこと、正しいことは、良いことかもしれないけど、そればかりをぶつけたら誰だって辛い。
正しいことばかり押し付けて、こっちは気持ちよくなれるかもしれないけど、相手はそうじゃない。
誰にでも弱さや辛い部分があり、脆い部分をかばいながら生きている。
感情的になるとそういうところを鋭く刺すようなことばかり言ってしまう。
言った方がいいこともある、けれどただ自分が優位に立ちたいだけのために「正しさ」を武器にして攻撃することは、なんか違う気がする。
だからその正しさと優しさの絶妙なバランスが難しくて、人と上手く話せない。
「愚痴を言いたいだけ」の人にアドバイスをしてはいけないし、「ノロけたいだけ」の人に真剣な忠告をするべきではない。


多分本当の意味でアドバイスが欲しい人なんてどこにもいないんじゃないかな。
だって本当はみんな、自分で全部わかってるんだから。
それをわからないフリしてる方が楽だから、そうしているだけで、見えないようにしてるだけだと思う。
でもそれをずっと続けてると本当に分からなくなってしまうんだよねー。
分からないフリをずっと続けていると、「本当に自分が感じていること」が何なのか、わかんなくなってしまう。
だからわかんないフリなんてしないで、自分の感じたことをそのままやったほうがいい。
Don't think, FEELですね。

相変わらず上手く話せないし、忘れられないことばかりだけど、何とかやっているよ。
あなたは元気にしているんだろうか。
好き、と嫌い、くらいは口に出して上手に言えるようになりたいです。
おわり。

泥沼の真ん中でシャワーを浴びて

女同士で付き合っていったい何になるんでしょうね?
何にもならなくたっていいじゃないですか。
愛し合ってるならそれが何より素晴らしいことでしょ?

 

www.nanakorobiyaoki-sui.com

同性同士で付き合うことは「子供もできないし結婚もできない」から意味がなくて、異性の結婚・子供を作ることには意味がある、
なんてことはない。どっちも意味があるしどっちも意味なんてない。
意味があるから何なんだよっつー話ですよしゃらくせえ。
そしたら人生なんでもかんでも意味のあることばっかりなのかよ?
昨日までに食べたお米粒の数にも意味があるんですか?
今日の下着の色にも?
今私がここで生きてることも?

今私がここにいることに意味なんかないし、あるとしたらそれは自分で決める。
誰にも決めさせないし誰にも奪わせないし自分の中に大切に持つ。
自分の生きてる意味を世間さまの基準でしか決められないんだったら、それこそが「意味ない」よ。

私はこの世に私が生まれてきた意味があるとしたら、それは生を謳歌するためで五感をフル活用するためで、人を愛したり愛されたり大泣きしたりバカみたいに笑ったりするためだと思ってるよ。
誰かが勝手に決めた意味だの価値観だのに振り回されてる暇は私の人生には1秒もない。

いろんな人が勝手なことを言ったり押し付けたりしてくる時、どんなに一人になってゆっくり考えても、気持ちが押しつぶされそうになる時があった。
そういうのって「泥沼の中でシャワーを浴び続けてる」ようなものだなと思った。
人の価値観という泥沼に腰まで浸かってたら、どれだけ自分の気持ちに正直になろうとしてもあっという間にまた泥だらけになる。
そうなる前に、自分を泥沼に引きずり込むような人や泥沼そのものから離れる方がいい。
困ったことに泥沼の住人は、自分以外の人がシャワーを浴びて泥を落とすことが許せない。
みんながみんな、そんな地獄の入り口みたいなところから出てそれぞれの場所で楽しく暮らせたらいちばんいいんだけどな〜。
自分で自分を責めたり暗い穴に突き落とすのはやめる。

人の幸せだったり価値観を貶めたがる人・いわゆる「マウンティング」をしたがる人って自分の価値観だったり幸せに自信が持てないのかな。と最近思いました。
何言っても不安にさせたがったり、未来がないような物言いをしてくる人。
昔はそういう人に会うとすごく悲しくなってしばらく人に会いたくない…って思ってたけど、今は、そういう人こそ「自分」を見つけられるといいね、って心の中で思っている。
この人の自分、どこに行っちゃったのかな?って。

まとめ・人が人を慈しむ気持ちは何よりも美しいですよ。
おわり。

あなたとコーヒーが飲みたい

東日本大震災から6年が経ちました。
このニュースを読んで思ったこと、まとまるかどうかわからないけど書いてみます。

www.asahi.com

仙台市に住んでいた同級生は、子どもと、妊娠中だった奥さんが津波に流され、家族の中で自分だけ生き残った。そいつは胸まで海につかって長い棒を使って自分の子どもを捜し出し、口の中が泥だらけなのを洗ってあげて。奥さんは2週間後に2キロくらい離れたところで発見された。その後、同級生は仮設住宅で1人でがんばっていたんですけど、やっぱり耐えられなかったんでしょうね。奥さんを火葬した日の1年後に、「子どもに会いに行ってくる」という遺書を残して自殺しました。

 そいつの気持ちがわかるんです。俺でも、たぶんそうするかもしれない。同級生のことは別にニュースになっていることでもないんですけど、被災地では、そういうことがいっぱいあるんだろうと思います。

 

 こういう話を読んでしまうと本当にたまらなく辛い。
全てが鮮明に蘇ってくる気さえする。

あの日私は東京にいたし津波被害に遭っていない、友人知人、家族に至るまで幸いにも無事だった。
私自身も怪我もせず、今日まで生きている。

それでも、被害という被害を受けていなくても、ただただあの惨状が辛かった。
信じられない気持ちばかりだった。何もできない自分が苦しかった。
無力さと、無念さと、歯痒さでいっぱいだった。
直接的に被災した人、被災しなかった人(と便宜上は書くけれど、あの時日本にいた、もしくは日本国外にいた日本人全てが被災したと言っていいと思う)、それぞれの苦しさや辛さがあったと思う。

死んだ人と会うことはできない、というのは言葉にすると簡単だけれど実感することはなかなか難しい。しかし、ついさっきうたた寝をしていてそれを実感することができた。


短い夢を見た。
私は祖母と一緒に、死んだ父の墓を探しに、父の故郷の山の中を歩き回っていた。蝉が鳴いていて首筋にじっとり汗をかいている。
祖母は鉈を持って藪の中をどんどん進んでいき、時折姿が見えなくなる。老人にしては足が速すぎる。元気が有り余っていて困るくらいだ。
私は父と父方の祖父母に絶縁されているため、告別式にすらこっそり出席したし、墓の場所なんて知る由もなかった。なので、父の実家の近所の寺や神社を訪ね歩き、おおよそのあたりをつけてその山の中を探そう、ということになったのだった。


母には言いづらかったので、そういう時は物分かりの良い祖母の方がいいだろうと思いついてきてもらった。
小一時間も山の中を歩いていると、それらしき墓がちらほら見受けられるようになった。おそらく親類縁者の土地にまとめて墓を建てているのだろう。
しかし、まとめてとはいうものの、山の中で土地が有り余っているために、墓と墓が絶妙に距離を取っていて一つ一つ調べるのはかなり骨が折れた。しかも、親類なのでみんな同じ苗字。ちゃんと近づいてみないと誰の墓かわからない。
父は若くして亡くなったので祖父母が健在で、さらに離婚していて独身なので新しく父だけが入る墓を建てることになる、という話を聞いていた。なので、真新しい墓石があればそれが怪しいだろうと祖母と二人で話していた。


水筒に入れてきた冷たい麦茶を飲み干し、手で額の汗をぬぐいながら歩いていると、ようやくそれらしき墓石を見つけた。名前を確認する。父の墓だった。
萎びかけていたが花も供えられていた。供物を置き、吸ってたかわかんないけど煙草に火をつけて線香入れに置いた。私は煙草を吸わないので、口にくわえて火をつけるのが下手だ。煙にむせて涙ぐんでしまった。
何分間かそこで手を合わせた。長ズボンを履いてきたのに何箇所も蚊に刺されている。山の蚊は強いしものすごく腫れるので本当に嫌だ。
山を降りて、車を停めた場所まで歩いていると、一台の車がこちらに向かってゆっくりと走ってくるのが見えた。それを見た祖母が突然ものすごい勢いで反対方向へ走り出し、角を曲がって身を潜めたので急いで着いて行った。
「何なの?!急に走ったりして。」と言うと祖母は「あれはあんたの父親の父親、つまりじい様の車だよ。見つかったらまずいと思って。」と言った。
なーんだそういうこと、びっくりさせないでよ、と軽口を叩きながら、私たちは再び車に向かった。


車に向かっている途中、急に違和感を感じた。
なぜ祖母は走っているのだろう?つまり、なぜ祖母は走れるのだろう?
去年病気をしてから、杖をついて歩くのがやっとなのに。
そうか、これは夢なんだ。と気づいて、現実と夢が混じり合っていくのを感じた。
私は夢の中でさえも父の墓を探している。夢の中でも彼はもう、死んでいる。
人生で一度しかまともに対面したことがないから、彼は私の夢の中にさえ、出てくることはないんだな。
そう思いながら目を覚ました。

墓を探したくだりは丸々全て事実なので、夢というよりは記憶を再生したにすぎない。
あれから数年、父は死んだまま、私は彼女と別れ、祖母は病気になって歩くこともままならなくなった。何もかもが変わり、時が進んでいく。死んだ父にはまだ会えていない。

今私はバルセロナにいる。午前中、ポールダンスのレッスンを受けに行った。
バルセロナに知り合いは一人もいないため、一人で受けに行ったレッスンだったけど、先生も生徒もとても親切にしてくれてすぐに打ち解けた。
レッスンが終わり、特に声をかけてくれたキューバ人の男の子と話していたら、お茶をしに行こうと言われた。もう一人ロシア人の女の子もクラスに残っていたので、その子も誘って近くのバルでコーヒーを飲んだ。
ポールダンスという共通点があるので、話がはずむ。同じ苦労や喜びを味わっているもの同士、世界中どこに行っても「ポールダンサーあるある」が通じるなあ、などと思いながら楽しい時間を過ごした。
一杯のコーヒーを飲み終わるまでの短い時間だったけれど、私たちはまた次のレッスンも一緒に受けよう、次は終わった後飲みに行こう、と約束をしそれぞれ帰路に着いた。

 

ポールダンスのレッスンを受けて、コーヒーを飲み、家に帰り、うたた寝をし、短い夢を見て今日という1日が平穏無事に終わっていく。
あの日からもう6年が経ち、私は私のやりたいことをやるために、人生を喜びで溢れさせるべく生を謳歌している。
楽しいことばかりです、と言いたいところだけれど、一番の後悔は父が死ぬまえに和解できなかったことだ。


時を戻せるのなら、父とコーヒーを飲みに行きたい。
初めてまともにあった日、19歳のあの日も私は大人ぶってデニーズでコーヒーを注文した。そのあと、なんでも頼んでいいよ、と言われてパフェも頼んだ。
19歳の私はコーヒーはおろかカフェラテすら普段飲むことはなく、その時のコーヒーはただ苦くて酸っぱい黒い汁だった。美味しいなんて全然思えなかった。
父はお代わりもしていたから、少なくともコーヒーを飲める人なんだろう。
そんなことすら私は知らない。


あれからもう10年近く経って、私はコーヒーが飲めるようになった。
ブラックでは飲まないけれど、カフェラテは好きだ。バルセロナのコーヒーはどこも美味しい。
ここに来てくれないかなあ、美味しいコーヒーがいつでも飲めるのに。
その辺の適当なバルかカフェに座って、3月のバルセロナの太陽を浴びながら、父とコーヒーを飲んでどうでもいい話がしたい。仲直りがしたい。もう一度会いたい。墓なんか探しに行きたくない。
クソ野郎、こんなに早く死にやがって、と焼香台の前で散々悪態もついてやったけど、聞こえてすらいないんだと思うと腹立たしい。

 

いつの日か私が死んで、もしその行き先に父がいてもう一度会えることがあるのなら、一発殴ってそのあと一緒にコーヒーを飲む。
そしてこれまでの文句と、恨みと、愚痴とワガママと愛を一緒くたにして伝えたい。
おわり。

 

追伸
異国にいると、日本のニュースも見ないし、今日が311だということを共有できる人がいなくて結構寂しいものです。
外に出てみたら愛が深まるとよく言うけれど、今日は本当にとてもセンチメンタルな気持ちです。
存外自分の国のこと大好きだったんだなって気付きました。

自分のご機嫌は自分で取る

他人にご機嫌を取ってもらうのは赤ちゃんまででやめよう、という話。

 

19歳で実家を出るまで私は他人のご機嫌をとることを第一に生きていた。
そうしないと生命の危険があり、日常生活がままならなくなるからだ。
そして実家を出て、誰の顔色も伺わなくていい生活に羽を伸ばしていた。
のもつかの間、今度は恋人の顔色を伺うようになってしまった。
彼ら・彼女らが不機嫌になった時、私は全力でその機嫌の回復に努めてしまう。
イライラしてる人が隣にいるとそのイライラが伝わってきて怖いし、不快だし、ご機嫌でいてほしいからだ。
そしてそれを継続していると彼らは、「なぜ不機嫌であるか」を言語化することを放棄するようになる。
「なんで不機嫌かはてめーが察せよ」というフェーズに入ったらもう手遅れである。
急に口が退化したの?と思うほど、機嫌の悪くなった彼・彼女らは黙り込んだり意味のない言葉をわめくだけになってしまう。

今思えばそれは彼・彼女らの「お気持ち表明」の機会を奪っていたにすぎないし、そうさせてしまった一端は明らかに私にある。
そして私はそもそも「思ってることを口で言わない・言えない」タイプの人を選んで付き合ってしまっていた。無意識的に。
彼・彼女らにしてみたら、付き合う前から俊敏に気持ちを察し、その気持ちに沿った言動をする私のような存在は魅力的なのではないかと思う。
顔色を伺わせたい人と顔色を伺いたい人が付き合うお似合いのカップルの誕生。
その先には地獄が待っている。

 

その地獄にはもう二度と立ち入りたくないので、そもそも顔色を伺わせたいタイプの人と付き合わない・もしその傾向が見られても、お互いの機嫌はお互いで取りましょうという合意を得てから人間関係を築きたい。

自分のご機嫌は自分で取れる。
ただしそれは、自分が何が嫌いで何が好きか、何が心地よくて何が不快か、徹底的に自分を見つめて深掘りして知っていないと難しい。
つまり、自分のご機嫌が自分で取れないタイプの人は、自分が何を好きで何が嫌いかよくわかっていない。
だから自分の気持ちを言語化するのが下手になる。
なぜ自分の気持ちをわからないまま放置しているのかというと、
自分のことを知るのが怖い・しんどい・目を向けることが辛い・重苦しい・面倒・などのどれかに当てはまると思う。

 

そりゃー自分のことを深掘りするのってクソめんどくさいですよ。
しんどいです。
「自分探し(笑)」とか言ってバカにされちゃうような世の中だし、昔のことや自分の欠点を改めて思い返すの超つらいし、夢でうなされる。
しかし、しかしですよ。そんな辛さを何度かみしめても余りある位素晴らしいことがその先には待っている。
自分が何を好きで何を嫌いか把握し、自分のご機嫌を自分で取れるようになることは確実にQOLをぶちあげる。
自分が何でイライラしてるかもわからないままイライラし続ける人生の100万倍良い。

 

そして自分のご機嫌を自分で取る、というのは実はすごく簡単なことで、
「嫌なこと・辛いことをやらない」
「好きなこと・快適なことをする」
この二つの地道な積み重ねを日々行うだけ。
ただし前述の通り自分が何を好きで何を嫌いかわかっていないと難しい。
嫌なことを無理やりやってたら気分が荒んでいくし、好きなことを知らなかったら回復もままならない。
好きだとおもってやっていたことが実はしんどいこともあるし、その逆も然りでやってみないとわからない。
日々トライアンドエラーである。

 

自分探しをバカにするようなやつとは付き合わないし、何が悪いんだよって話ですよ。
一回でも本気で自分探したことあんのかよ?みたいな。
インドでもヒマラヤでもNYでも行けばいいと思うんだよ。
行ったことない場所ならどこでもいい、刺激の中に身を置いて、何が快不快なのかを五感を全開にして浴びてこい。
さすれば道は開かれる…多分…みたいな。

 

私は道が開かれるのを待つより、道をこじ開けるか自分で道を作る方が好きです。
おわり。