今夜、どこで寝る

旅と踊りと酒

おっぱいが大きかったのでポールダンサーになった話について追記

ちょっと思うところがあったので追記を。
 
 
記事について書いてくださった方々、ありがとうございます。
言及してくださったブログ記事の中に、
「おっぱいにコンプレックスがあった人がそれを克服した話」
というような言及が複数あるのですが、それは違います。
 
この記事は、
おっぱいにコンプレックスがあったから会社員を辞めてポールダンサーになった話」
ではありません。
 
私自身は自分のおっぱいを体の一部としか認識していなくて、それが人に揶揄されるのも知っていたけど、おっぱいに対してコンプレックスや劣等感を抱いたりはしていなかった。
ましてや
「おっぱいが大きくて恥ずかしい」
とか
「おっぱいが大きいことが嫌だ」
とは思っていなかったし、今も思っていない。
 
 
物理的に邪魔だなあと思うことはある(服の着こなしが難しいとか、ポールの時技の妨げになるとか、走るとき痛いとか)。
それは背の高い人が、天井の低いところは歩きづらいみたいな、そういう意味合いだと思っています。
 
 
・おっぱいが大きいことは何でもないことだと思っていたけど、必要以上に注目されて、揶揄する人がいたことに驚いた。
・おっぱいが大きいことに価値を見出す人々がいることを知った。
・ポールダンスをやりたかったので会社を辞めた。好きなことをやる方が人生楽しい。
という内容のつもりで書きました。
 
 
「おっぱいが大きい自分がすごく嫌だ!自分が嫌いだ!
人にも言われるしもう最悪!
でもポールダンスをやっておっぱいが大きい自分ごと好きになれました!」
というストーリーではないのです。
どちらかといえば私は、自分の内面や生い立ち、家庭環境に強いコンプレックスがあったし、それは今も根深く残っていると思う。
 
なので体のコンプレックスを克服して強く生きていく、という話とはちょっと違います。
 
私が伝えたかったメッセージとしては、
・自分の体は自分のもので、誰かにどう思われようが、愛して大事にしよう。
・主体的であれ。
・揶揄する人なんて気にするな。
・人生は短いから好きなことをやろう。
でした。
 
拙い筆力で、勢いのままに書いた記事がこんなにたくさんの人に読んでもらえると思わなかったので本当に感無量です。
願わくば老若男女、肉体を持つすべての人が、自分の体を愛おしく思い大切にできる時間を持てるよう日々祈ります。
一日一分でもその時間があることで、人生は大きく変化すると思ってるよ!
おわり。