満月の夜に13時間のバス移動。
この旅2回目の夜行バス。
幸いにも隣の席は空いていたのでいつも通り横になってなる。今夜はバスで寝る。
明日はどこで寝るのかな。
バスは夜明けの隙間を縫いながら海沿いの街をただ走っていきました。
ところどころ、名もないビーチが見える。朝日に海が輝いている。
やっぱり内陸の旅向いてないなー。水辺が好きなんだな。歩いてすぐ海とか川とか湖があってほしい。
しかし、カミーノはまた挑戦したいな。今度は100kmくらいからで。
昼頃にバルセロナに着いて、リュックを背負って街を歩く。
色んなものを捨てまくって、また買い足して、重さはあまり変わってないはずなのに、随分軽く感じる。
私は辛いことはすぐ忘れてしまうので、また忘れた頃に自分から何か「辛いこと」を始めてしまうかもしれない。重い荷物を背負って足にマメを作って、大好きな人から遠く離れた場所へ行って毎日泣き暮らすような、そんなことを。
そしてまた気付いて、要らんものを捨てて、身軽になって歩き出すのかな。その繰り返し。ずっと一生。
それでもその時、誰かが電話に出てくれたら、重い荷物を背中から下ろした時の感覚を思い出せるなら、それは救いだと思う。そう思った。それこそが救いだ。
手で触れる、目で見ることのできる愛のかたち。地球の裏側に電話をかけられるデバイスと30L入るバックパック、お守りがわりの銀のピアス、揺れるバスの中で書いて汚い字になったポストカード。そういうものが目に見えないものをやりとりするための尊い装置になる。
書けることが本当にしあわせだと思った。頭から言葉が溢れてきて毎日自分の気持ちや世界のことがちゃんと説明できる。自分の言葉で、自分の意思で。わからないことがない。今はまだうまく書けないことも、時間が経てば言葉にできると信じてる。というより、そうなんだと実感した。もうこわいものはない。
誰かに手紙を書くことも、ブログを書くことも、頭の中で言葉を綴ること、メールを書くこと、そのように言葉や文字と向き合えることがなにより嬉しい。本当にずっとこうしたかった。これが欲しかったものです。私には彼女というミューズもいるし、なんだか森の中の美しい泉のそばに家を建てたような気分。
さあ次は何をしようかな。
時間はたくさんある、この街で、もしくはまた別の街で、色々書きたいな。それがあれば。
それさえあれば私は大丈夫です。